毒とは | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

最近、気になる言葉があります。

 

毒親

 

という言葉や、それに関連する52ヘルツのクジラたち

 

 

などの文庫が意識的に目に付くような気がします。

 

 

 

何をもって毒と云うのか?

 

 

 

ウィキペディアなどを調べると、すぐに出てきます。

 

それは、ある意味の一つには、根底に共依存関係があることに気が付かされます。

 

 

ただ、その呪縛から互いに、自分自身から逃れられないことに起因する

 

自分の人生が思い通りにいかないことを持って、

 

 

であると云いう風な言葉に置き換えているように思うのです。

 

 

 

あくまでも私の直感的なものがそう思わせています。

 

 

 

私自身も農家の長男として生まれ育ち、

 

それはそれは期待というプレッシャーはすごいものです。

 

家庭でも、小さい頃から土地の境界線はここまで、登記されているから・・・云々

 

小学生の頃から色々と、継ぐ者としての責任を押し付けられてきましたし

 

地域に於いても同様に、神社の総代職しかりで一家の長として市内の世間様より見られ

 

それは、自由になりたい心とは相反するかのようです。

 

 

 

そうやって息が詰まり、高校はどこでも良いからとなるべく遠くの学校へ希望しました。

 

案の定、誰も私の事を知らないので、対等に会話が出来て心が晴れやかとなり

 

更に進学は神奈川県へと行き、身も心も「自由」を手に入れました。

 

 

そう思うと、あれは毒気を放った親や地域だったのではないだろうか?

 

とさえ思ってしまいます。

 

 

やはり案の定、長男として・・・墓守として根深い所に刷り込まれた私は

 

地元に帰り、今暮らしていますが、誰もの目線は相変わらずです。

 

 

地域から出たことがなく地元の学校を卒業して結婚して、地元で暮らす人は、

 

やはり、仕方がないという諦めの気持ちで人生に希望と云うよりも

 

犠牲者としての感情を読み取ることができ、

 

子供は専門学校や大学などで、他県に行き自由に暮らせよと、

 

自分の出来なかったことを子供に託しているような気配さえ感じられますが

 

 

自分は相変わらず、自分自身の責任感などの呪縛から解放されておらず、

 

私の目には曇った心が見えるかのようです。

 

そんな知ったかぶったおごった目線はあまり良くない傾向ですが、

 

自分が自分自身の呪縛から解放されない限り、毒は死ぬまで効き続けてしまいます。

 

 

毒には、実は薬効成分がありますが、閾値を超えれば命を落とす毒となり

 

閾値以下ならそれは薬にもなり得る物質が薬物です。

 

 

正の効果を発揮するか?負の効果を発揮するか?

 

はそれぞれの体質などもありますから難しい所ですが、

 

とかく鈍感力と云うような言葉で表されるような心の広さを持つ主は

 

当然、お相撲さんのように毒の喰らい量も多くなくてはなりません。

 

 

またHSP気質の繊細さんは、少しでもうつ症状へと陥って涙もろく立ち直れなくなってしまいます。

 

 

酒もたばこも毒ですが、毎日飲んでいると免疫が出てくるし

 

第一にペチャクチャとしゃべっているうちに

 

翌日には嫌な事すらも笑い飛ばしてしまい忘れてしまいます。

 

また

 

たばこを吸っていると、どんな嫌なことを言われてもカッ!!としたりせずに

 

ふーん、ちょっと吸い終わるまで待てよという感じで

 

嫌な事にも鈍感に反応することが出来ます。

 

少量の毒を喰らっていると、ちょっとした毒にはびくともしなくなるのが不思議です。

 

 

幸せな日本で、無毒無害の環境において褒め育てされた方は、

 

非難される事や叱られる事、注意されることに慣れていないと、

 

ちょっとしたことが心の傷になってしまいやすいように思います。

 

 

 

先日も、近所の大工の息子さんが、現場で叱られてから、

 

怖くて会社に行けなくなり辞めて1年間引きこもっているというのです。

 

 

久々に会ったら、酪農で就労支援B施設があるから行ってみようと思っていますとのことでした。

 

相変わらず人間恐怖症が治っていないみたいでした。

 

 

更に近所の除雪や建築などをする会社の若手新人が事務所に帰ってきたので

 

泣き顔で居たので、どうした?と聞いたところ・・・

 

現場で「邪魔!」と云われたので帰ってきましたというのです。

 

携帯で連絡して現場の人に聞くと、

 

材料を運んでいる時に通路に居られると、頭にぶつかって怪我をさせてしまうので

 

そこから立ち退いて、角の所にいて欲しかったらしく、そういう意味で

 

邪魔!

 

って言葉を掛けたそうです。

 

それを聞いた女性の従業員が、メチャメチャ腹を立てていました。

 

だいの男が、泣き顔見せるな!!って説教しようと思ったけれど、心に留めおいたそうですが、

 

それを云えば、完全に辞めてしまうからグッとこらえて、

 

明日また来てね!って言って自宅に帰したそうです。

 

 

そういう事例を今年は2件も聞き

 

小さいうちから毒をちょっとは喰らって大きくなった方がまだマシじゃね!?

 

って我々の昭和の世代は思います。

 

 

多少の意見の食い違いで口論や喧嘩も出来ない人と

 

信頼関係を作ることなんて難しいと思うんです。

 

 

そういう人々が親になっていき、子供に対して猫かわいがりしか出来ず

 

虐待やネグレクトなどを含まない、しっかりとした量のある適切な躾が出来ないと、

 

社会に出て子供自身が困ることになることに繋がるような気がします。

 

 

無毒が良いとは限りません。

 

 

美しいバラには棘があるというように

 

強い者にはちょっとぶつかった位では怪我のしない剛毛と、

 

何を言われても動じないほどの心臓に毛が生えている程度の

 

防衛する忌避素材をまとわなければいけないのではないのだろうか?

 

と思います。

 

 

塩・砂糖・太陽光線・キノコ菌などは大量に摂取すれば、すべて毒ですが

 

必要量がなければ、生命を維持できない物質でもあります。

 

毒は必要量を毎日摂取しておくことが、命を守ることにもつながり、

 

毒舌でも毎日聞いていると、慣れてきて、ちょっとしたことにも

 

毒舌で返せるようになって、笑いに結び付くかもしれません。

 

一旦死んでこい!と云われて、

 

ハイ死んで、お前の墓穴に爆弾を仕込んで、また生き帰ってきましたよ・・・

 

などと返せるほどに免疫が付いたら良いのではないでしょうか?

 

そんな風に、毒親とか流行っている昨今ですが、

 

躾の怠惰・怠慢など、

 

怠った結果として生まれた親があり、それが善意と云う毒気を吐き始めるのです。

 

一種のコロナ警察やスピード警察のように、自分の善を人に押し付けようとしてくるのです。

 

それを喰らった子供は、自分自身の努力によって、

 

つまり成長期における反抗期などの

 

その呪縛からの解放をしなければ治療手段がない

 

という時代に苛まれるようになったということのように思えます。

 

 

これは冒頭でも述べたように、ある意味という一部の考えであって、

 

その他にもたくさんのエッセンスを含んでいるので、実際にその状況になってみないと

 

分析や解決法が見つからないと思うので、

 

また良い事例があったら、考えてみたいと思います。

 

 

と云うことで、あくまでも素人目線での内容でした。

 

本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。