言葉の大切さ | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

 

喫煙したくて仕方ないので、たばこを買ってきて、大量にストックしてみたり、

ユーチューブで喫煙動画を見たり、たぼこのグーグル検索をかけてみたり・・

 

 

色々と動画などを幅広く拝見していると、いろんな人が居るなぁ~

 

と思いますし

 

同時に、みんな頑張って生きているなぁ~とも思います。

 

 

 

しかし、そんな中で自分にとってすごく気になる言葉があります。

 

 

 

自己否定感や

 

認識と咀嚼と消化と出力という部分のプロセスで生じる

 

「結果的マイナス言葉」です。

 

 

 

何かに接する時、それをどう思うか?というのは非常に重要な第一歩だと思います。

 

 

例えば、このタイプの人は好きだとか嫌いだとか。

 

または興味を惹かれるか、全く無関心な事柄か?

 

第一印象でそれを認識するか?しないか?

 

認識した場合

 

人は常々選択を迫られ、記憶をするかしないか?の取捨選択を行っている訳です。

 

その後のプロセスは、その時期によってまた変わるでしょう。

 

 

幼児期(エゴの確立時期)、幼少期(天秤と葛藤期)、思春期(身体ホルモン変貌期)、

 

青年期(友情約束と決断期)、壮年期(人格確立期)、晩年期(身体ストレス発散期)、

 

老年期(人生を顧みる反省期)などの思考の変換時期を経て

 

 

それぞれに、知識・知能・思考の発達段階と手順が違う中で

 

またその人が、どういった環境によって人間摩擦を受けながら、

 

自分を見失ったり、そしてなんとか取り戻したりしながら

 

もしくは、自分があっても、社会や職場に流されつつ無いふりをして見せて生きてみたりとか

 

 

それぞれの発達時期の考えるプロセスを経て出力する言葉や態度などが変わり

 

また社会通念上の試行錯誤をしながらよりよい人生を掴むために

 

他人、自分の葛藤・駆け引き・納得などを経て

 

暗中模索しながら最善、最適解を答えを求めていくことが通常だと思っているのですが・・・。

 

 

そんな中で、簡単に希望を失う言葉や、

 

自己否定する言葉が口から出てくる人に対しては

 

私としてはなぜだか「やるせなさ」を感じてしまいます。

 

 

それは無知な初期段階や、一時的な思春期の自暴自棄的時期なら

 

まだわかります。

 

しかし、ある程度成人したら、止めて欲しいと思います。

 

 

自己肯定観で生きてい欲しいと、希望的観測を持っています。

 

 

まぁ~希望的観測などという言い方をした私の押し付けですけど。

 

テヘ

 

こう云った言い方をすると

 

「ちげージャン」とか「ウザー」とか「メンドイ奴」とか

 

根拠なき反発するのは必ず若い人だと思います。

 

 

 

たばこを吸っていて良かったことや悪かったことなどの一つに

 

日頃関わることの無いような人との喫煙所での関りが出来ることが良かった

 

という意見は多く耳にします。

 

そして、たばこなんて吸わなければ良かったという話もよく聞きます。

 

 

しかし、たばこを吸っているクズな人ばっかりから声を掛けられるのが悪かった事

 

だという認識は何だか私の癪に障ります。

 

 

 

自分には大体同類が近寄ってくることが多い訳であり、

 

他人が悪い訳ではなく、自分がそういう意識で居るから、

 

鏡のように相手が自分に話題を合わせて話して相手してくるのであって、

 

 

悪い人たちが集まってくるというということは、

 

自分が悪いことをしているという認識をした方が良いかもしれません。

 

(キックバック問題で自民党を離党する人々はそう云ったことに気が付き離れるのでしょうね)

 

それを無関心に知らないふりをして自分を棚に置き、

 

他人が悪いというような言い方は、どうも私には納得がいかないのです。

 

(二階さんのようなインタビューを見ると特にそう思えてしまいます)

 

例えるなら

 

結婚相談所で、年収が3000万円以上の若い男を希望する30代女性が居たとしますが

 

自分の年収が300万円で相手にそれをワンチャン期待する方が土台無理な話です。

 

 

いい所、300万円の30代男が「お見合い」というシステムであることをご存じないようです。

 

 

 

自分は棚に置いておいて、他人をバカ呼ばわり。

 

 

つまり、心の成熟が成されていない証拠です。

 

 

言葉は、心の持ちようが、他人に分かるように出現する意思であり

 

いくら心で思っていたとしても、普通は口に出来ないものです。

 

 

戦争、事件や事故の被害者、いじめなどの虐待を受け、

 

心に不可逆性のPTSDを受けた者などのように、

 

他人によって直接的・間接的な被害を受けた方々ならまだしも、

 

全く幸せで困難でもない生活環境を経てきたのならば、

 

せめて言葉くらいは丁寧に選んで発言してみませんか?

 

って私は思います。

 

 

もしも敢えて、そういった否定的で、被害的で、威圧的で、悲観的な表現などを

 

好んで使用するのならば・・・

 

それは、他人を信用していないという意思であり、またどこか間違って

 

一種の防衛反応的バリアを張った言い回しを身に着けてしまったのかもしれません。

 

 

とかく、都会では、美しい物にはバラの棘がある等と例えられるように

 

接客業が故に・・・多くの人から

 

ナンパされ続けたり、ちょっかいを駆け続けられたりすると

 

それらメンドイごたごた事から遠ざかる為の

 

防衛反応的、もしくは脊髄反射的に、

 

相手に対して、悪い言葉を乱用し、乱射攻撃してしまう自己保身癖が

 

自然に身についてしまっているのかもしれません。

 

 

人って、言葉で大体・・・人格って分かるものですよね。

 

 

丁寧な言葉と、ひと呼吸を置いた話し方をされる人には、

 

やはり相手はそれに応じて敬意を払って話してくれるだろうし

 

べらんめぇ~知ったこっちゃねぇ~的なつっけんどんな方には

 

やはり、言うだけ無駄という印象で、近寄りがたくなるし、

 

自ずと、いい人が近寄ってくるということは、つまり言わずもがな

 

良い言葉で語りかけているからなのではないだろうか?

 

と思うのです。

 

 

人生も四半世紀を生きてくると、毎日を遠く高望みなどせず、

 

身近な些細な事に意識を傾け、そして細部まで慎重に観察し、

 

そして丁寧に行動して生きていくことこそが

 

一日一日を充実させて、

 

精神的にも満足させる時間の過ごし方が出来るのではないだろうかと

 

最近思うのです。

 

 

昨日、短歌を毎日作っているという人と会話する機会がありました。

 

 

相変わらず、私もこんな口調で、エールを送るつもりで

 

あれこれとプッシュするようなアドバイスしてしまいましたが、

 

もしかして迷惑だったかもしれません。

 

 

老いれば、風の如しにしなやかに言葉を受け流し聴くことを身に着けられるのでしょう。

 

しかし、20歳も若い私に、その様なことをを相談された訳ですので

 

年齢など関係ないとばかりに、死んでまで金を持っていけないのだから

 

後生大事にして遺産相続国庫金としてしてしまうか?

 

詩集を発行するのに少しばかりの数十万かかるのは仕方がない・・・、

 

良い詩を作ろうと志す人々に書籍として残すことも、長年やってきた先輩として

 

必要な行動なのではないか?

 

などとつい、良かれと思って言い過ぎてしまいました。

 

 

ただ単に、そう思われているんですね。なるほど・・ん-

 

などと言葉をそのまま受け取り、

 

聞き役に徹すれば模範的受け答えだったかもしれません。

 

 

そういう意味でも、私はまだまだ成熟した壮年(人格者)とは言えないのかもしれません。

 

 

まだまだ修行が足りませんね。

 

 

と云うことで、「言葉ってすごく大切」上差し

 

自己反省ペコリ

 

 

言葉一つで、それは他人に与える口害攻撃になり得ることもあるし

 

もしくは希望の光にさえ・・・なり得る訳です。OK

 

 

そんな風に、改めて思わされた今日この頃でした。

 

 

 

本日も最後までご覧いただきましてありがとうございました。

お願い

 

 

 

PS 言葉が大切ってタイトルなので

 

詩人の影響を受けてえー?

 

たばこの詩を作ってみました。ゲッソリ

 

笑って下さいましウシシ

 

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ゆらゆらと登りし紫煙は

 

さよならとばかりにさざなみ揺らぎ

 

色を消しつつも香りを届ける

 

香りの出先に意識を遠く巡らす

 

瞼裏先には想い人

 

心揺らぐはけむの如くポーン

 

 

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自分では行けるぜって思ったのですが、

 

こういうのを嗜好を満たさんが故の俗詩といって、

 

あまり宜しくない表現のようですね。

 

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ではではバイバイ