梅 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

朝起きて、まだ辺りはブルーモーメントらしい

 

窓の外には先日、開き始めた白い梅の花が十数輪に増えていた

 

今日は雨模様らしく、窓を開ける気にもならない

 

きっと寒々しい風が来ることを見ずして分かるからだ

 

 

にも関わらず、梅は季節を知り、何故だか人間の知性によって発見された

 

太陰太陽暦のカレンダーや、ウェザーニュースの開花予報などを見ずしても

 

正確に咲き始める自然の営みに

 

ただただ、感嘆し驚きを隠せないし、

 

人間は、それほどまでに自然の摂理を感じ取れなくなってしまったのか?

 

そして、地上の生産活動という歯車の一つとしてしか、時間を見ていないのか?

 

とさえ思ってしまうのだ。

 

梅は相当昔の奈良飛鳥時代に薬用として日本に持ち込まれ、全国へと広がった。

 

よって、梅の木は人の暮らしの上に立っていることを計り知ることもできる

 

目の前の梅も同様に、今は面影すらもない住居と何十年も前に

 

この世から去られた人の家系の誰かによって、この地に植えられ、

 

きっと毎年恒例の梅干しの原料に使われていたんだろう。

 

今では、全く別の関係者であろう一族の方が採取されに来るが

 

ニワカに剪定を覚えてしまった私は、

 

その木に全くと言っていいほどの手入れが成されておらず

 

「桜を切るバカ、梅を切らぬバカ」という言葉を毎年思い浮かべてしまう。

 

しかしながら、消毒だけは欠かさずにやられるので、そこは感心している。

 

 

この梅の木は、鑑賞者である私を含め、採取者二人の三人が、

 

毎年見つめている梅の木だが

 

梅は、花を咲かせて愛でさせ、そしてほのかな香り放って人を酔わせ

 

さらには実を味わって愛でさせるという薬用効果があるらしい。

 

 

目の前の木とは別に、私は、数十メートル離れた場所に紀州梅と白梅を植えている。

 

 

紀州梅は食べる為、

 

白梅は江戸時代の役者を立たせると映えるような木の樹形に剪定し

 

カクカクとした枝づくりの為に植えたのだが、

 

剪定が上手くいかずに、少々枯れ始めている。

 

故に、余計なことをせず実が成るように、行き過ぎた手入れを現在止めている。

 

 

どうやったら、あのカクカクとした枝づくりが出来るのだろうか?

 

と一人妄想しているが、やっぱり趣向人の思考なのだろうか?

 

 

梅を見て、私のように思いを馳せた人は数多いるが

 

最も有名な人の一人で毎年活用されるのに、「杜甫の江梅 767年56歳」が挙げられるだろう

 

杜甫  江梅

梅蘂臘前破、梅花年後多。絶知春意好、最奈客愁何。

雪樹元同色、江風亦自波。故園不可見、巫岫鬱嵯峨。

 

 

(瀼水のほとりに咲く梅の花を見て詠んだ詩)

梅の開花が年の暮れにほころびたのであるが、全体的には、新年になってぱあっと咲いてきた樹木がずっと多い。春が持つ好意は誰もがよく知っているけれど、旅客のみであるからどうしても憂いが募ってくるのはどうしようもない。梅の花の咲いたのを見ると、雪が降って樹木に乗ったときのように真っ白で、それが落花すると川風に連れて大江の水面に波の泡のようになっている。こんな時に故郷のことは見ようとしてはいけないのであるし、梅の花の向こうに巫山の姿だけがこんもりと高く聳えている。

 

 

このような詩を今よりも1300年も前に思い、言葉に出来ていたなんて

 

昔の人は、ある意味で私と同様に、人と植物との違いを感じ取り

 

そして、人は愚かで儚い生き物であるということを知り

 

まるでそれは、人生とは水に沸く泡のようであり、

 

この世に現れたかと思ったら、いつかまた消えるという様を表し

 

詩として残している。

 

何故に人生は、儚い泡のような存在なのだろうか?

 

50を過ぎてようやくこれからだというのに、寿命があるのだろうか?

 

梅もまた、花を咲かせ、あっという間に散るように、

 

人の人生も旬の時期というのは、気付かぬうちに過ぎ去っている。

 

 

過ぎ去ったことは分かり得るのに、なぜそれを若いうちに思わなかったのだろうか?

 

などと自問自答しても仕方がない。

 

 

そんな気持ちにさせられた、窓辺の外の梅の開花であった。

 

 

ということで、今朝の心情でした。ニヤニヤ

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。バイバイ