結婚の定義 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

 

2035年、本当の人口激減が「東北エリア」を襲ってくる

 

右矢印日本で「結婚しない女性」が増えている「当然の理由」左矢印

 

こんな記事を読んで考えてしまいました。

 

 

 

今日は先進国の共通問題

 

そして日本の問題である結婚について考えてみました。

 

旧約聖書時代、またポンペイ遺跡時代には同性愛者がたくさん居たみたいですね。

 

噴火後に見つかった遺跡の中で、どういう訳か

 

同性が抱き合いながら火砕流に飲み込まれている形が残されているようですが

 

国が先進国だと自認するなら、

 

今後、生産人口の増加を含めた国策の一つとして

 

婚姻戸籍登録は男女の組み合わせでしか出来ないと

 

イギリスで始まったことを受けて、

 

昭和初期には、日本も先進国の仲間入りをするには、

 

男女の組み合わせでしか戸籍登録できないという風に右習えしたことがありました。

 

 

そして、1990年代のフェミニズムなどの影響以降、様々な意識変革が行われ

 

先日のLGBTQ+という、私は病気の人々と呼んでいますが、その人達が

 

同性婚が可能になる法律制度の現代ならではの社会背景に後押しされて変更されたこともあり

 

・・・と同時に、アメリカでは5年前に同性婚を許可したのですが、日本が許可されると同時に

 

法案が廃止されて、同性婚が禁止になりました。

 

面白い逆転現象ですね。

 

アメリカでは、異性婚による人口増加を図った狙いがあるようです。

 

世界に遅ればせながら右習えして、オープン化したばかりの日本は

 

少子化の中でこのような法律制度変更は、どうなっていくのでしょうか?

 

私には時代が逆行しているようにしか思えませんけれども。

 

 

 

そんな中で、結婚したくない、出来ない理由は何だろうか?と考えてみました。

 

一つには所得と物価というものがあるかと思います。

 

 

画像はウェンディーズの高級バーガー一つで2090円也

 

 

一個でこんな金額だから、30万円の給料でも生活は赤字になるでしょう。

 

 

核家族による一人暮らしの中で、自分一人だけ生きていくので精一杯

 

アルファードなんかはとてもじゃないが乗れやしないが、

 

最近の見合いの話を聞いていると・・・せめて軽自動車ではなく

 

レクサスを乗っているくらいの人じゃないと付き合いたくないという話もあり

 

なかなかに見合いの条件やハードルがインフレ並みに上がってより厳しさを増しているそうです。

 

成人女性にとって

 

仕事もあるし、男は好きだけど、女性側が犠牲になるのは嫌だ・・みたいな考え。

 

男も同様に、女は好きだけど、結婚になると自分の自由が無くなってしまい、

 

相手と子供にすべて奉仕しなければならないことは生き地獄でしかない。

 

だったら独身が楽でいいじゃないか?という考え。

 

 

誰だって、時間の自由とお金を使える自由が良いに決まっています。

 

結婚と子育ては、いくら良い建前と飾りつけの言葉で表したとしても

 

夫婦の全ての犠牲の上に成り立つものですから、美化などはできません。

 

犠牲が好きな人など誰もいませんから、何らかの夫婦と子供の幸せな家庭像というプロバガンダや

 

もしくは、社会風紀や規範などや、未婚への偏見などがなければ

 

誰もが結婚や子育てなどは、今後しないでしょう。

 

 

 

それを知っている昭和の以前の昔は、

 

結婚するのが当たり前であり、

 

出来ない人には犯罪歴とか?

 

もしくは、子宮などの病気持ちで子供が出来ないのではないか?

 

とか、身体のどこかや頭に欠陥がある6掛け人間しか未婚者はいない・・・

 

などという差別的共通認識で、

 

自分で好きな人が見つけられない場合には、25歳までには強制的に見合いをさせられたり

 

お見合い写真だけを見て決められて、

 

結婚式に初めて相手の顔を見たという年寄りの話はよく聞きましたが

 

当時は、全員が一度は結婚させられた時代でもありました。

 

 

そして、離婚は恥ずべきことで、万死に値する行為であり

 

実家に出戻ってきて暮らすことなどできず、

 

今住む場所から少しでも早く離れて一人でひっそりと暮らさなければ、

 

家名と伝統に汚名が付くとまで云われるほどの時代でもありました。

 

今では考えられないほど

 

すんごい偏見があった昭和時代でもあります。

 

 

誰しもが我慢・・・我慢を当たり前のように強いられて、

 

その中で高度経済発展と共に

 

そのストレスを、ファッションだとか自動車だとか、

 

お金のかかることに幻惑し、逃避行動をとって

 

正の国内消費経済スパイラルが生まれたように思います。

 

 

今の令和の社会は、

 

それとは真反対の負の国内経済スパイラルに陥っているように思います。

 

しかしながら、円安によって貿易収支だけは黒字となり、国内消費には目をつむり

 

上場会社の国外益にばかりに目を当てているプロバガンダは

 

正常な経済判断と先進国の制度作りから益々離れているように思います。

 

つまりは利権構造社会、富める者はより豊かに、

 

そして貧乏人はさらに困窮へと社会が構造改革されているという証明です。

 

 

 

男性と女性が存在する理由はただ一つ。

 

そうです。

 

動物としての種の繁栄しかありません。

 

 

つまり子供を作らないということは、言い訳は多数あるとは思いますが

 

肯定するなら、自分の命を否定していることに繋がります。

 

 

自分の命の価値を肯定していく上で、寿命という限りがある。

 

 

ではどうやって永劫に自分を残していくのか?

 

 

子供しかありません。

 

 

 

つまり、生きることに強い意志が働くことが、結婚をして精神的安定を求め

 

また子供という、未来の安心を求める行為に繋がっていくと私は思うのです。

 

 

自分なんてこの世になぜ生まれて来たんだろう?

 

などと考える弱い人間は、

 

いつまでも子供どころか?結婚さえも出来ないでしょう。

 

ですから、これからは、自分が生まれてきた理由はただ一つ。

 

 

先祖が未来永劫を望んで作られた自分なのだから、自分の世代で絶やすのではなく

 

世代を紡ぎ、未来の人々への希望をつなぐ行為なのだと使命感を持つことが

 

自分の意識を高めたり、命の価値を高めたりして

 

大事に生きていく、自分のスキルを磨き、高望みすることを覚え

 

年齢と共に豊かになっていくと共に、生きる強さにもつながっていくのではないかと思うのです。

 

 

現在、表向きの言葉を語る人は多いと思いますが

 

何故結婚が必要なのですか?

 

何故子供が必要なのですか?

 

すべて国に税金を払うためですか?

 

などと否定的に考えがちですが、真には先ほど述べたように、

 

結婚も子供も、すべては自分の為というのが本質だと思います。

 

 

拒否と否定は誰でも簡単ですが、肯定していくことはなかなかに難しいことです。

 

 

今後は住みよい日本社会の創造とかそういう風なフラッグなどではなく

 

人生1度は異性婚をしなきゃダメ。

 

そして子供を作らなきゃ人間失格。

 

などというプロバガンダや社会の風潮にならなければ

 

絶対に人口は増えることはないと思います。

 

 

中国はなぜ貧困なのに子供が増えて、一人っ子政策をしなければならなかったのか?

 

中東のイスラム教徒が爆発的に子供が増えている理由はなぜなのか?

 

などを研究をしていけば、経済的に貧しくても

 

結婚と子供が出来る未来予想図が描けそうだと思うのですが?

 

如何でしょうか?

 

このままのオープンソース化な社会が進めば、必ず日本国は

 

軟弱志向のマイノリティーな日本人ではなく

 

貪欲思考の他国の人種に乗っ取られていくように思います。

 

 

これは、縄文人が弥生人に乗っ取られ、

 

また奈良大和人(韓国人)によって乗っ取られてきた歴史を見れば明らかなように

 

中国人や韓国人に乗っ取られていくように思います。

 

私は顔に肝斑シミがあるので、肝斑は縄文人の特徴でもありますので、

 

かろうじて珍しいその東北縄文人の系譜ではありますが、

 

埼玉付近から広島までは弥生人系統が多く、京都や東京には奈良大和人が多いと聞きますが

 

 

その系譜には、どれも、顔には肝斑シミが出来にくく、日焼けしにくい白い肌が特徴で

 

頭脳明晰なのが大和人の特徴というらしく、今後も

 

ルッキズム

 

(いわゆるアニメ声優が顔出しする行為など、

昔は声優が顔出しすることはありませんでしたが

今では声優も見た目の良い人しか出来ない職業となり、

もしくは見た目の良い人が選ばれる傾向があるということ)

 

がその後押しなどをして、

 

美しい顔の人々同士が結びつき、

 

勢力を増す時代になってくるのだと思うと

 

過去の歴史がまたそろそろ1600年ぶりに行われ、

 

そして今後も島国日本の歴史更新が繰り返されるのか?

 

という思いでもあります。

 

 

結婚とは、まずは種の保存の為の意思が人為的に働く場合に行われる

 

人ならではの裏切ることを禁止する契約であり

 

よって、婚姻数が増えるということは、住民はこれからも有り余る力を伴侶や子供に注ぎます

 

という意思表明のような表しであり、

 

野鳥のオオハクチョウやオシドリなどは、そのような契りをせずとも何らかの自認によって

 

一生を共にし、種の繁栄行為と子育てを共に行う。

 

金が無くとも、動物はそれ位は出来るのに・・・、

 

なぜ人間にはそれが出来なくなってしまったのだろうか?

 

 

つまり金の問題ではない、結婚や子供を必要としない条件、

 

つまりは人間にとって何らかの危険な雰囲気を感じ取っているのかもしれないし

 

以前の昔に、農薬を使いすぎて川から魚が消えた時代もあったように

 

人間の輸入食品にそのような結婚したくない、子供を作りたくなくなる

 

・・・ようなホルモン物質が含まれて

 

故意に人口の制限(粛清計画)をされている可能性もなくはないだろう。

 

などなど、つたない結婚の定義について考えてみました。

 

 

 

最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。