事件と孤独 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

今朝は、寒いな~と起床し外を眺めると、ぼた雪が降っていました。

 

すっかり軽トラックのフロントガラスは覆われています。

 

 

その後、いつものように、お気に入りのサイフォンでコーヒーを入れてから

 

 

仕事が入っておらずといえば、不安だが

 

休みだし・・・と思えば、気が楽になる。

 

 

自営業を始めてかれこれ32年、これには慣れた。

 

一人で始めて、スタッフは半ば6人にもなり、景気は良かった。

 

しかし、私は経営者には向いていない。

 

他人を気遣うと・・・いつしかエネルギー不足が発生し、

 

それが故にと云ったら言い方は変だが・・・逃げ口上を正当化するように言ってしまうが。

 

怠惰となり、横柄となり、怠慢となり

 

結局は自分が崩壊してしまうのだ。

 

辞めてくれないかな~という心を察したのか、いつしか45歳になるころには独りになっていた。

 

 

また、人が減れば、また怠惰な自分の営業不足によって、不安定な日々がやってきた。

 

 

自分の力で仕事を得て、生きていかなければならないからだ。

 

 

人が居るということは、楽が出来る、安心が出来る、依存が出来るということでもあり

 

人生は、様々な人間摩擦ゆえのストレスさえ飲み込めば、その他が得られるという。

 

孤独のストレスとは別の安心感が得られることを、改めて知った。

 

 

それも今は過去のことになってしまったようだ。

 

 

あれから10年までは経たないが、随分と一人で自営業をすることにも慣れてきた。

 

あとは身体が今と同じように動けば、何ら問題はないという心配以外に何もない。

 

 

そんな風にいる状況で、

 

 

今朝、ヤフーニュースを見ていたら、

 

2012年立てこもり事件の当事者と文通している記者の話が載っていた。

 

事件を起こした彼は、農業大学に通っていたが、学生時代に彼女を妊娠させ結婚し

 

その後、大学は中退して住み込みの仕事に就くが2年後に離婚。

 

 

その後無銭飲食などで、何度も刑務所に出たり入ったりを繰り返す。

 

 

家族からも、あの子は刑務所に入っていた方が楽なのかもしれないねと言われた。

 

そんな中で、出所後2か月目で、32歳で立てこもり事件を引き起こす。

 

 

文通の中で、社会の孤独を乗り切れずに、犯罪を犯し、

 

刑務所の監視されているという関りの中に

 

孤独ではない安らぎを感じていたのかもしれないと、

 

記者は分析している。

 

 

私の知る、若干自分よりも10歳ほど若い男にも孤独だと言わせる環境がある。

 

両親が早い時に事故と病気で、それぞれ亡くしたのだ。

 

兄弟もいない、親類との関係も薄い、自分一人で30歳の頃から一軒家で暮らし

 

自動販売機のジュースの補充作業を日々こなしている。

 

仕事も自動販売機で、帰ってきても誰もいない。

 

今では、酒も飲まないし、たばこも吸わないとのことだった。

 

私と会うと、顔からは生気が失せ、皮膚の色は濁ったように、・・・また笑わない。

 

なんの為に生きるんでしょうか?

 

と言うけれども、自分では考えない。

 

理屈っぽい私にただ聞くだけ聞いてみるのが彼流の関り方だ。

 

ファッションも若い時のままを継承して、銀細工のベルトのバックルを使い、

 

半ばヤンキーに憧れを持つかのようなオールドファッションのまま、

 

顔と髪の毛だけが白髪長髪となり・・・故に短髪の私よりもふけて見える。

 

彼女候補を紹介しても良いが、何といってもルックスがいまいちだ。

 

もっと明るく、ノウテンキでも装ってくれれば、

 

努力を惜しまず・・・考えなくもないのだが・・・。

 

 

私はまだ孤独ではないが、いずれ母が死んだらそうなるだろう。

 

 

でも、孤独を求める明るい孤独、夢に向かって走れる孤独を目指しているので

 

何ら問題ない。

 

 

先日も、ケーキの切れない非行少年を読み、予備学習済みだ。

 

孤独でも事件は引き起こさないだろう。

 

 

事件とは、人に迷惑を掛けないように生きる判断とは、真反対の考えに至った時に

 

引き起こす行動が結果的にそう呼ぶのだろう。

 

 

つまり、構って欲しい、自分を知って欲しいという根源的な欲求から始まり

 

その結果、「世の中を変えようと思った、変えたいと行動した」などの表現に、

 

世間一般では、てい良く置き換えられるのだろう。

 

 

私と正義感の強い電気屋の男は、いつも会う度に

 

岸田政治や閣僚の悪口、インボイスなどの話で盛り上がる。

 

しかし、

 

だからと言って、自分たちが政治家に立候補して、万が一にも当選してしまったら

 

金に呑まれて、公約よりも脱税する方向に走って・・・同じようになるよね。

 

金には何といっても弱い者同士だもんね・・・

 

などと言って笑いあっている。

 

 

だから、社会を変えるなんて出来ないよと諦めていられるのだ。

 

 

 

先日も部落の先輩と後輩が、市議会選挙の支持者後援会に入ってくれと頼みに来た。

 

確かに、大きな意味では地域から出ているのだから応援しなければならないのだろうが・・・

 

先輩と後輩には申し訳ないが、私には関係ないと判断して断った。

 

 

自分と何らかに関わりのある人物なら、当然入るだろう。

 

商売上の関りがあるのなら当然だ。

 

逆に見てみると、

 

支持者を集めるということは、演説や政治公約などよりも

 

直接的関りを多く持った人の方が強い支持を得られるのだろうとも思ったのだ。

 

 

孤独では、いくら頭脳が良くても選挙で当選はしない。

 

 

直接的に顔出して、会話を繰り返し、良い印象や近しい印象を持ってもらうことが

 

投票してもらう意思の第一歩なのだろうとも思った。

 

 

後援会参加に駆け回っている先輩と後輩は、消防団か職場つながりなどで見知っているのだろう。

 

彼らは、私よりも多くの人たちとの関りで、孤独を感じる暇などないだろうイケメンで人気者の人達だ。

 

先輩は、昔はしょうゆ顔と呼ばれ、肌が女性のような髭のない顔立ちで、

 

澄んだ低いゆっくりしたささやき声で話すから、安心感が半端ない。

 

目が細めで、会った女性は一コロだろう。

 

後輩は、頭脳明晰で、相手を気遣いながら話を進められる、

 

いわゆる地域のリーダータイプでまとめ役でもある。

 

努力家でウォーキングを欠かさない。

 

自分よりも人を優先してしまう傾向が強い。

 

これも眉毛と髪が色濃くフサフサな男気溢れるタイプだ。

 

どちらの奥様も看護師であり、彼らの職業も安定しており、お金には困っていないので、

 

何も考えず、休日には選挙の手助けが出来るのだろう。

 

 

そんな中で不安定な土日も関係ない自営業を選んだ私は、

 

あえて選ぶ孤独によって様々な中立的目線を保っている。

 

 

と云えば聞こえは良いが、

 

悪く言えば、多くの人との関りがめんどくさく考えているのだ。

 

 

人口減少化の中で、隣組長のみならず、会計・・・その他に職業業界上の組織部長や

 

IT部長・・・・部会長など・・・

 

役がスグに回ってきたりして、役付きが多すぎることを嫌ってのことだ。

 

 

「無印・無役で生きていきたい」

 

と考えるからこその、孤独・孤立なのかもしれない。

 

 

ある意味で、組織に組み込まれた歯車では、我慢を強いられ、

 

衝動的犯罪を防止する役割を持つかもしれないが、

 

そのフラストレーションを、先輩や後輩など・・・皆はどうやって解消しているのだろうか?

 

といつも疑問に思ってしまう。

 

趣味の多い私だけが、いつも大型バイクの音を轟かせ地域を抜け出し、

 

釣竿を持って海へと飛び出し、

 

車に乗り込めば、パチンコへと向かい、

 

年がら年中、ガス抜きと称して、遊び惚けている居るというのに・・・

 

 

 

これからの時代

 

孤独を感じて自分を知って欲しいという欲求から、同様の事件が起こるのだろう。

 

 

どうやったら、孤独と孤立から生まれる事件を防ぐことが出来るのだろうか?

 

 

 

そんな風に、今日も考えたりしています。

 

 

本日も、私の独り言に最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。