暴力と非暴力 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

岡田斗司夫 チャンネルで[ アメリカがイランを報復攻撃 ]

 

というタイトルに目がいき、クリックして眺め見ていたら、

 

ついつい、その内容のソース元である、

 

中学生・高校生向きのSF小説の内容を解説していることが判明し

 

条件反射的に、またもやクリックしまくってしまったという話です。

 

笑い泣き

 

「歴史上、話で解決されたことはない、

 

最終的暴力によって決着がつけられてきた歴史があるのみだ」

 

という言葉についぞ心が惹かれてしまったという訳です。てへぺろ

 

 

 

まだ、注文したばかりで、読んではいませんが、

 

この本を購入するにあたって、

 

 

現代の社会の在り方や考え方が、

 

自由という名のもとに広がりを見せ、

 

現代まで、多様性が育まれてきていることは確かだと思います。真顔

 

例えるなら

 

アニメ、LGBTQ+、MMT現代貨幣理論、クレジットカード、仮想通貨

 

2進数パソコンベースの社会、GDPなどの経済指標のみで考える上級階層思考

 

その言葉たちを、一つ一つ解説していけば、

 

金本位制で長年続けてきた歴史が

 

フランス革命以降、工業化、貨幣価値の変更を伴いながら

 

途方もなく指数関数的に拡張現実が広がってきたことがわかります。

 

 

その前を遡れば、

 

シュメール民族が言葉の概念を発展させ、ローマ文明が数字と貿易と権力を作り上げ

 

アリストテレスなどの哲学家が民衆への正当性を説くべく、レトリックなどの手法を用いて

 

様々な民衆を扇動する基礎を作り上げ

 

暴力の時代にストローマン論法かもしれない神話を平定するべく創造し

 

それを元にユダヤ教、イスラム教、キリスト教などの旧約聖書の発展が為され

 

今までは、領土という暴利をむさぼる為に都合のよいと考えた権力者たちの争いだったものが、

 

いつしかそれは宗教戦争となり得、

 

またもや、それぞれの宗教観が元になって争うことを辞めさせるために、

 

新約聖書が2024年前に創設され、世界平和を唱えるようになったまでは良かったが、

 

それでも戦争は止まなかった。真顔

 

未だに、未練を引き摺る為政者は宗教を盾にしている。

 

それを知る

 

ロシアはロシア正教の名のもとに、聖戦は引き起こせない。

 

故に、ヒトラーの息がかかったのだと仮定するウクライナから、

 

愛すべきロシア国民を救出する為の軍事作戦という名のもとに開戦された。

 

建前は救出作戦だ。

 

 

中国も同様に、

 

アメリカ西側の脅威に囚われて洗脳呪縛された、我ら中国国民、中華民国を救出させるために

 

西側呼称の台湾を勝ち取らなければならないと謳うのだろう。

 

イスラエルのユダヤ教派閥は、ヨルダン川西岸とガザ地区に住むイスラム教を排除するために

 

建前は報復攻撃と言っているが、聖地エルサレムを念願のユダヤ民の手中に入れるべく

 

殲滅作戦を継続している。

 

 

 

そもそも、この現代世界に於いて、

 

話し合いという場所は、国連、NATO連合など、いくつかお膳建てされてはいるが、

 

未だこれと云った解決策は見いだせていない。

 

かろうじて、貿易コントロールによる経済的ダメージを負わせる程度がせいぜいであって

 

一応の決着においては、暴力に勝るものはないというのが、今でもの現実だろう。

 

 

ガンジーが非暴力の精神を見せたことで、世界は非暴力という概念があることを初めて知った。

 

しかし、その非暴力精神、デモ行為、話し合いという定義は、前提に人の善意があってこそ成立する行為であって

 

悪意が満ちている不安定な世界では、


危険に満ち、そして何ら無力であることは

 

先日のロシアで起こった、ワグネルのプリゴジン氏殺害に続き、

 

戦争反対を訴えるナワリヌイ氏が毒殺されたことで、

 

誰しもが分かったであろう。

 

 

たとえ大儀や正義を叫んでも、悪意ある世界では、


それらは全て何ら無意味で無力であることを。

 

 

結局、暴走プーチンを止める方法は、暴力でしかないのだ。

 

 子供がケンカする事は、話し合いの理解力や認知力が不足し、解決を急ぎ決着を見たいと願うから実力行使によって相手を圧倒し、抑圧させる為に圧倒的暴力を振るうのだ。


現代的な感受性で云えば、暴力というと聞こえが悪い。

 

戦争を無くす方法を本気で考えた時、世界は冷戦時代を経験した。

 

しかし、ロシアや中国は、今やオープンな株式市場主義参加を捨てて、

 

中世時代の金本位制で何が悪いとばかりに居直り始めている。

 

中国では昨年も金を220トン、日本円で数十兆円を溜め込んだ。

 

その前は、とんでもない原油を備蓄したことはニュースで承知のことだろう。

 

ドル決済システムSWIFTから離れ、

 

チャイナ元決済システムCIPS、中ロ決済システムSPFSを構築したことで

 

ロシアと手を組み易くなり、天然ガスを融通してもらうことになり、

 

せっせとLNG液化タンカーで運んでいる昨今だ。

 

中国は、備蓄している原油のタンクの関係上、10年以内には戦争する予定だろうが、

 

ウクライナを見れば解るように

 

専守防衛では、いつまでもベトナム戦争が20年続いたように泥沼化して終わらないだろう。

 

 

日本もアメリカも、台湾を見捨てれば、太平洋を中国に乗っ取られることは知っている。

 

後手に回れば収集がつかなくなることから、現在の世界平和維持の為にも、早期に終わらせたい。

 

やはりその為には、子供のケンカに見られるように、圧倒的暴力によって中国共産党という社会主義国家中枢部、

 

金本位制国家を壊滅しなければならない。

 

 

しかし、

 

アメリカ、日本のような資本主義・市場経済主義は、

 

MMT理論における架空の資本バブルを産んでいることも

 

ある意味で弊害と脅威であることも気を付けたい。

 

 

私は、日本そのものを変えるには

 

戦争によって、またもや「負ける」しかないと

先刻まで考えていた。

 

 

負けない限り、

 

 

岸田政権のように増税が増し、天下りが増え、利権をむさぼる財閥構造が力を増していく。

 

そのピラミッド構造、階層主義を壊滅し

 

新・明治維新まがいを行い、新しい民主主義経済を庶民の手に取り戻すためには

 

昔で云うところの農耕一揆だが・・・、その為には

 

戦争に負けなければならないと考えていた。

 

それは他国の侵略を許すということではなくの話しだ。

 

しかし、実際のところは負ければ

 

敗戦処理と戦後賠償の重い責任を負うという歴史上の約束事でもある。

 

また、それは、ある意味でのデノミによる平等社会の創設でもある。

 

しかしながら・・・・損得勘定で云えば、

 

日本は負けて戦後賠償することを子孫に残すことは

 

人道的に許されてなならないと私は考えている。

 

いわゆる「かわいそう」だと思うのだ。

 

だとすれば、どうして日本の国家構造を変え庶民が税奴隷から解放される道が残されているのか?

 

と考えてみれば、

 

利権に吞まれず、国民の暮らしファースト目線の政治家が法律整備をして

 

財務官僚の頭を押さえつけて、民衆の為の政治を行う他はないように思える。

 

 

もしも、戦争が起こったならば、日本は先の第二次大戦の敗戦と復興の歴史で学んだように、

 

アメリカに華を持たせるのではなく、絶対に勝って戦勝国独立という形で果たさなければならない。

 

もしも負ければ、戦後賠償のため、未来の50年間は今よりもっとひどい税奴隷に陥ってしまうだろう。

 

 

 

世界が、善意に満ちた社会においては、

 

日本は専守防衛によって社会的地位が守られ、戦争を仕掛けた国が悪者になるだろう。

 

しかし、もしも善意がない世界だとするなら、非暴力の精神は滅殺されゆく運命だろう。

 

つまり、日本は本当に解体すること意味してしまう。

 

現在の日本の憲法第9条においては、社会秩序があって、善意に満ちた平和な世界が前提での

 

戦争放棄であって、もしも、世界のあちらこちらで戦争が起こり、

 

睨み合い、利権欲しさに対峙する構造なら、憲法9条における戦争放棄が前提の

 

専守防衛は、必ず負けるだろうことを断言する。

 

はてさて、政治家たちはどう日本を見ているのだろうか?

 

本日は、暴力と非暴力について、世界のありようを鑑みながら筆を進めてみました。

 

 

最後まで、私の独り言にお付き合いいただきましてありがとうございました。