説教しても治らないのは知っている。
最近、わたし宛の郵便物を開いている。
流石に気になって聞いてみた。
なぜ?人に届いた郵便物を開けるのか?と
そしたら、名前が見えなかったとか
私宛だと思って間違って開けしまったという常套文句が返ってきた。
もしも、兄弟で母の従兄弟が自分宛ての手紙を開けていたらどう思うか?
お姑さんが自分宛ての郵便物を開けていたらどう思うか?
と聞いてみたら、そりゃ嫌だと言ってきた。
なのにも関わらず、
私宛の封筒や郵便物を開けるのはなぜなのか?
そこのところを考えてみて欲しいと伝えた。
きっとそれでも心に響かずに、真の意味は分からないだろうな。
分かったふりをした素振りを見せるのだろう。
これが、認知障害の特徴でもある嘘を付く行動だ。
ある意味で、アントニオ猪木さんが
「すみませんと一応は謝ってはみるが、絶対に直さない」
というのが信念で国会議員で成功したように、国会議員に必要な能力らしい。
いちいち反省して行動を修正していたら、国会議員は務まらないのだ。
だから、この母の認知機能や習性は、大物になる可能性に必須の能力であることは
前々から知っていたし、いちいちショックで泣かれ続けられても困るので放置していたが
自分に都合の良いようにバイアス思考で、
嘘をついてごまかすことには、いつも違和感を感じていたのだ。
私は違和感に気がついていたが、昔からそれに対応する言葉がなかったし、
それに対応する語彙を知らなかったが、
なにか母に不足している部分があるのだろうとは気がついていはいたのだ。
今なら分かる。
母は軽度発達障害の認知機能障害を持っているのだろうと実は今は見ている。
専門家ではないから正確な診断ができないし、医師に診断をしてもらうつもりもない。
生まれや、生い立ち、家庭環境、などなどの様々な背景もあるのだろう。
今の定義された言葉や分類がある以前から、
弟へ接する態度が暴力的で、蹴飛ばして起床を促すことがあったり
しつけとか家風とかではない、ただならない印象を持っていた。
考えること、上手く言葉にすることが出来ずに、それよりも感情が爆発するのが先で
自分の思い通りにならないと、力づくの行動に出るのだ。
理屈で理解するなどではなく、時間だからとか、昔からそうしてきたのだとか、
という伝統継承世界の時間定義と概念で生きている。
またその三世帯同居の中で
ましてや農家の嫁なのだから、そういった事が当たり前だと思っていた。
だから長男である私は様々な立場で我慢に我慢を重ねて、
その結果として冷静になれていたのかもしれない。
その我慢と冷静さを買われて学生時代には生徒会長などという大任を任されたこともあり
今でも、地域では、〇〇さんを見習え的な言い回しに、ものすごく嫌気が差している。
そんな地域性や束縛、概念から半ば解き離れるべく都会へ上京した過去があるので
今ではどんな状況でも乗り越えられる自信を持って地元で生きていられる。
しかし母は、田舎に育ち田舎に暮らし、全て田舎に囚われて生きてきた。
子育てが終わり、介護者を見送ってから。しばらくは、
安堵とようやくの夫婦間生活という安定もあり、
また父の理性によって抑えが聞いていたようだが、
2年前の夫の死去によって一人となり、
また老齢化特有の朝から晩までテレビとストーブの前に居座るから
寂しさのあまり、郵便物が届くこと、そして、それを開くことが楽しみになったのだろう。
どうせ、家族宛なのだからと・・・いう気持ちで。
しかし、フィジーなどのシェアするのが当たり前の社会、持つ者は奪われる権利がある社会。
もしくは、昭和の社会なら話も分からないでもないが
今はプライバシーが尊ばれる令和の時代だ。
息子だってアラカンでもある。
やはり、アラカンの私は、勝手に封筒を開けられたり郵便物を開けられることは気になってしまう。
エロ本など怪しげな郵便物に小心になる必要もない現在だが、
不思議と、中古本やAMAZONからの郵便物などは開けられないのだが、
行政からの透明部分がある封筒など、補助金の振込などの通知に敏感に反応するらしく
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それならと、
世帯主の名義を変更して、私ではなく、母名義にしようか?と提案してみても
私は息子に譲ったのだと言って、そこは譲らないのである。
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まぁーそれ程までに怒りまくる話ではないのだが、
実は私の自営業収入よりも母の農業収入の方が倍ほどに多く、
納税額も多いのが実態で
お前には悪いが、今年も国税がかなり掛かるらしいと伝えてくるので、
それほどお金が儲かって、懐にゆとりがあるのに、
どうして還付金やら交付金が気になって
開けてしまうのかな?
それほどお金が無いと思う貧しい心や、ひもじい気持ちでいるなら、
広大な農地を切り売り、または全部売ってしまって現金化してみたらどうか?
と今朝提案してみた。
そしたら、そんな考える余裕と、暇などはないと返ってくる。
毎日テレビをつけっぱなしで観ている暇があるのだから・・・と返したが
それはお前が考えることだ。
と責任を押し付けてくる。
あーーー参ったな。
こういう人だったのは知っていたけれども、自分さえ良ければそれで良しみたいな
考えは、今では通じないでしょ。
子々孫々まで苦労の無いように考えて行動するのが普通じゃないか?
と私は思うが、
土地こそが全て、土地があるほど偉いのだ的な考えが、今だにあるようで
隣から土地を買って欲しいとせがまれると、あそこは亡き夫が欲しがっていた所だと言って
不動産屋と相談していることに、もはや身体が動けないのになぜ欲しがるのか?
私はそこまで農業なんて出来ないから減らして処分してくれと頼むが、
売れない、買ってくれる人が居ないと言って取り合わず・・・
全く後々の人の苦労のことなど考えていないのだ。
そして、そもそも私の話など聞く耳を持たない。
なかなかに問題児というか個性が強い、もしかして強欲の母なのかもしれない。
今まで生きてきて、私達を養ってきてくれたのだから、
成功体験の積み重ねでそう考える思考
そう行動するように習慣づいたのかもしれないので
ジリ貧で理想と心配心だけが高く、
そして、未だ経済的に成功したとは言えない私が強く言えたことではないのだが
人宛ての封筒や届きものを勝手に開けて、
勝手に到着したよと相手先に連絡をして下さるのは
手間が省けて良いのだが・・・なんとも難しい問題だ。
いつかは死んで居なくなるのだからと、この問題については目をつぶってきたことだけれども・・
なんともその癖が気になるのだ。
そして
今後、タガが外れて、他人様に迷惑がかかるようなことがなければ良いのだがと危惧するのだ。
幸せそうな私にも
なかなかに深い悩みがあったことに今回気付かされてしまった。
そして、母と同様に、またそんな悩みも明日には忘れてしまうのだろう習性は
アントニオ猪木的に都合の悪いことは忘れるという大物気質でもあると自負している。
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はて?・・・・俺もそういう意味では・・・・認知障害を?
持っているのだろうか???
草
この内容を読んだ皆様方には、様々な感情を作り出させてしまう内容だったかもしれません。
貧しかった戦後の時代から進み、
今では教育環境が整って、金やものが豊かになった時代だとしても
完璧で完全な人間など、どこにも存在せず
人はどこかしら、何かしらの問題を抱えているのだろうと
母を見ていて、自分もどこかおかしい所があるのだろうと推測し得るし
同時に、他人様に迷惑がかからないように生きていかなければならないと
気を引き締め我が身の行動を振り返るのです。
本日もくだらない内容を最後まで御覧いただきましてありがとうございました。