先日、ある人との会話だったが、今月仕事がないとの自営業者の話だった。
来月は忙しいらしく、それもそれで難しい問題らしい。
彼の職業は、それほどニッチな仕事でもなく、探せばいくらでも存在する仕事でもあろう。
ただ、問題なのは、でたらめが横行する世の中で、
彼は完璧主義者だから困るのだ。
お客様から目が届かない部分の手抜きが出来ない性格であり
後々、同業者が追加工事をした時にでも、バカにされないようにと
絶対に手抜きできずにやるからこそ、
手抜き工事をして安く請け負うことが出来ずに、仕事が少ないのだが
これが困ったことに、
年配の同業者の方々には彼の受けが良く、大工事の受注を任されることが多いのだが
下っ端の職人を頼もうとしても、地元にまじめにやってくれる人材が不足しており
その仕事を引き受けられないでいるのだ。
何故、みんなまじめにやらないんだ、といつもぼやいているし、飲酒量が増える原因は
手抜きを前提に考えている職人と、完璧主義者的自分との葛藤や
妻と、完璧主義者の娘との親子関係のいら立ちがあるようで・・・。
その完璧を辞めて、適当に手抜き人間になれば、誰とでも友達になれて
そして仕事も適当に見て見ぬふりをして、ハイハイと言いながら
どんな大工事も請け負ってやることが出来るはずなのに・・・と
私の眼からは思ってしまうが、
逆を言えば、
お客様から見れば、彼は少々工事費は高いが、内容を見れば満足するはずだ。
問題なのは、客は請求書の金額だけを見て、内容を見ていないから不満があるのだろう。
適当にやってやられて、そして安い請求書に喜ぶのか?
それとも資格者らしく手抜きをせずに、後々の追加工事の事まで念頭に作業して
正規料金を請求されるのかは、お客には見えない。
そういった仕事は時として難しく、自分の道徳観との戦いでもがき苦しむのだろうと思った。
私は、気分転換に彼との共通の趣味でもある、魚釣りの話をした。
今だと、船でヒラメ釣りとかイカ釣りなんかもいいですよね。
安くあげるなら、私のように防波堤から竿を出し、コハダとかアイナメ釣りなんかも出来ますし
私は先日、タコ釣りの道具を買いまして・・・。
などと空いた時間の有効利用を提案してみた。
彼も、そうだな、今まで忙しくて魚釣りもしていなかったから、この機会にやってみようかな?
と言って、気分転換が出来そうな気持ちのゆとりが生まれたようだった。
実際にスキマ時間を有効利用できるか否かは、あとは彼の気持ち次第だろう。
さて、最近私は、60代からの幸福を掴む極意
などという書籍を読んでいる。
内容としては、特別なことではなく、視点の変化についてだった。
金を稼ぐこと、地位や名誉を高める競争社会の思考を変えて、
個人を楽しむ習慣を作れという事だった。
これはもはや、私は20年も前から実践している。
今更感はあったが、それでもケチ根性が発動して、最後まで目を通してしまった。
そして、この考え方は、老人になれば相方も死去して居なくなるし
子供たちも独立して居なくなって、一人になるのだから
誰しもがその考えと行動を実践しなければ幸せを感じる独居生活は送れないというものだった。
今までは他人との競争社会で勝つことによって優越感を得て・・・繋いできた。
しかし、一人になった孤独の状態では、
身近な事柄に満足して幸せを感じるものの見方をしなければ
自分は不幸だと感じてしまうだろう。
不幸か幸福かは、全て他人が決めることではなく、自分が決めることであり
その幸福を手にするには、自らが積極的に能動的に掴みに行かなければならないと書いてあった。
暇な時間に、電話の前で不安げに仕事を待っているのか?
それとも、今だとばかりに外に飛び出して、散歩や草花を眺め、青空に流れる雲を眺めて
気分をリフレッシュしてくるのかは、全て自分次第でもある。
ある意味での自分の心のセルフマネジメントともいえるだろう。
確かに生活をしていく上で、ある一定の金額の所得は必要であろう。
しかし、それ以上は欲張りというものでもあると思う。
人は基本的に欲張りであり、もっともっと・・・といつも最大限を希望している。
しかし、生活は最低限で良いはずなのだ。
食料は何処にでも溢れている。
電気代や健康保険などの固定費を払える程度の稼ぎがあれば、良いはずなのに
人は、いつもそれ以上のゆとりを必要としている。
ゆとりの量こそが幸せとなるならば、やはり金・金・金の世界に巻き込まれていくのだろう。
しかし、金と幸福とは次元が違う。
人は死ぬ時になると、仕事が第一には考えられなくなるという。
つまり、人生の価値観は誰しもが仕事ではないと思っているのだ。
では何が大事か?と言えば、残される家族という人たちだ。
自分ではない。
結局、自分の身体が仕事が無くて空いた時、自分を癒す事も大事だろうが、
愛する家族や子供たちの為に時間を費やすことが最も人生の重要な所作になるだろう。
何だか死生観的な話になってしまったが、逆算をして考えてみると
子供たちや愛する人の為に自分を使うことは非常に重要なことだ。
稀にお父さんはATMだからねって言われることは避けたいが、
お父さんとの親子関係の中で、子供は自尊心を増し、幸福の連鎖が引き継がれていくのだろうと思うと
非常に時間の使い方というのは重要になってくるように思う。
その前に、やはり自分というものも大事になってくるから、
ある程度、自己満足も必要に思う。
そういった意味で、暇な時こそ、視点を変えてみて
人生のマネジメントをしてみるのも良いかもしれない・・・そう思った。
いつもレクサスを乗ってくる人たちと会話していると、全くそういう気が興らず
彼らのように・・もっと金が欲しいと考えてしまうが、
スズキエブリーに荷物満載で来られる人たちと会話していると
ついつい、お疲れさまでしたと声を掛けてしまい、身体を労わる言葉が出てしまい、
休息を作るような会話になってしまうのは面白い。
いずれにせよ、人と比べずに、自分が満足であるようにマネジメントすることが
まずは第一歩だという事を忘れずに生きていきたいと思ったこの度の会話だった。
本日も、最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。