池田知佐子さんを懐う | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

私がこの方を知ったのは、今年、2022年だった。

 

2013年の山と溪谷をペラペラとめくっていた時のことだったと思う。

 

何度も何度もトイレに置いてあって・・・見返してきたはずなのに、

 

はてさて私はどこを読んでいたのだろうか?

 

大凡、緑が美しく、ディティールのハッキリとした山並みに目が奪われていたに違いないと

 

思いたい。・・・つまり見るだけであって読んでいなかったということだ。

 

たまたまやる気を出して、老眼になり始めた目で活字を探していた時のことだったのだろう。

 

ふと巻末の方のコーナーを何気なく読んでいた時に、「幻の書、復刊」とあった。

 

???

 

はて何が・・・幻なのだ・・・という思いでネットを検索してみると。

 

「みんなちさこの思うがままさ」というタイトルが確かにあった。

 

復刻版らしく、それ程の数はなさそうだった。

 

アマゾンのカートに入れっぱなしのうちに売り切れとなる前に

 

早速、ポチって読んでみることにした。

 

作家などではなく、一般の山好き女子が雑誌に寄稿したり、

 

山岳会のへの寄稿文を一冊にまとめたものだったが、

 

実に豊かに山の記録が表現されており、惜しい人材を世界は失ったと読みながら

 

序盤の数扁で思った。

 

1999年に脳内出血の理由で51歳で急逝したのだが、

 

あれから23年後に私はその若かった頃の彼女の写真を偲びながら黙読を進めているのだ。

 

 

1989年頃からの遡行がメインだが、あの当時は昭和64年、平成元年で

 

Winkの愛が止まらない、プリンセスプリンセスの世界で一番熱い夏

 

TM Network ゲットワイルドや竹内まりあのシングル・アゲイン

 

工藤静香、井上陽水、斉藤由貴、爆風スランプなどがテレビに頻繁に出演し

 

それを見ていた頃だ。

 

 

そんな中、彼女は山岳会入りして、渓流を遡行する沢登りをメインとして活動していった。

 

 

彼女の表現を感じる度に、一般的に人生というのは一言で謂えば

 

色の無い時間の流れに浮かべられた葉っぱのような人生に

 

なぞらえて捉えてしまいがちだが・・・

 

 

つまりは自分の思うようにはいかず、時代に流されてしまって歩んでしまうと言いたい訳ですが

 

例え・・・流されるにしても、実はその自分に与えられて決められた時間というものの中に、

 

様々な事柄を通して、人生の時間軸に色を塗っていくようなものであり、

 

自らが人生の軌道を変えられるもののようにさえ、池田さんの文章からは思えてくる。

 

 

人によっては人生は7色の色鉛筆のうちの白黒のみを使うかもしれないし、

 

また人によっては、染料や顔料までをも駆使して、

 

まるで写実的に表現し記憶に残す人もいるだろう。

 

 

「山行」と云えばたかだか二文字だが、ちさこさんはその記録を色とりどりに言葉で表現し

 

彼女でしか表現できない「透明感のある山の世界観」というものを

 

文章によって残したことが価値がある事だと思った。

 

その透明感を、わたし風に例えるならば・・・

 

E♭やAから始まる音階やアンビエントな不協和音を含まず、

 

Cから始まる、時折シャープやフラットをポイントとして入れながら形成されている

 

曲のような透明感なのだ。

 

また、普通は人によく見られたいから美しい表現を多用したりするものだが、

 

そういった体裁というもが無く、

 

ありのままの感情を語彙力を活かして現しているところが

 

クリアで魅力的な文章に思え、読む者を魅了していくのだ。

 

 

私もブログで山登りの報告書のような文章を書き残しているが、

 

なるべく、池田さんのような表現力豊かな言葉にできたなら・・・・

 

イヤ・・・もとい・・・そういう感性で山登りの行動を見つめてみる目を養うことが出来たなら

 

きっと池田さんに近づけるのではないだろうか?

 

などと思って読み進めているところなのです。

 

 

山登りには

 

山頂から見る絶景に人は心奪われ、のめり込んでいく。

 

次第にそれは、苦しさを乗り越えて到達した満足感として感じられるようになり、

 

またワイワイと賑やかな山仲間たちが増えることによって、自分の居場所を見つけられたり

 

山行回数を重ねる度に体力が増していくことも実感し、健康的で良いと感じられたり

 

苦しさの限界まで努力することを身につけることで、

 

日常でも仕事の限界まで頑張れるようになったりと

 

脳は何かにつけて山登りを正当化するメカニズムに結びつけようとしていく。

 

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しかしながら最も重要だと思われ、山行によってしっかりとした境界線が引かれるのは

 

明確な危機管理能力だろう。

 

危ない、これ以上は危険かもしれない、この先には危険が待ち構えている

 

というような危機察知能力と回避能力が自ずと身に付き

 

日常での立ち居振る舞い、行動に至るまで、

 

どこが無理であるかの見極めが出来るようになっていくと思うのです。

 

道路に小石があった時に、不意に浮石を踏んで捻挫することを予測し、

 

着地寸前の咄嗟に平地に足を持っていったり

 

前の人が木の枝に当たった時、その反動の跳ね返りでバチンと自分の顔に当たることを嫌って

 

少し距離を置いて歩くことなどや、

 

階段を登ったり降りたりする時に、かかと重心で登ったり、

 

爪先から先に足を置いて滑らないように歩くなどは、雨の日や雪の日に転倒を予防する上でも

 

重要な立ち居振る舞いでもあると思うのです。

 

そして、危機が連続する山登りでは、思いやりの心も同様に育まれると思います。

 

誰か1人でも怪我をすれば、目的が達成できないことが前提の山登りでは

 

常に自分以外の他人への配慮も欠かせません。

 

 

この本の中には、実は危険であるという表現はあまり書いていません。

 

沢登りは、登山の中でも実は危険に満ち溢れているはずなのに。

 

まずは水の中に落ちれば息が出来なくなるし、そしてナメ滝は滑りやすい。

 

落ちて怪我する頻度は登山道を歩くよりも遥かに多いことでしょう。

 

故に高さに足の裏がぞわそわするとは書いてありますが、

 

決して怖いなどの後ろ向きな感情を見せないところが、

 

危険を安全に乗り越えようとする確かな技術と気概が、

 

読む者にとっては逆に緊張感として伝わってくるのです。

 

 

そして、自分は弱いということを素直に認めて居ながら、

 

周囲のパーティーは弱音を吐く度に彼女を励まし、

 

そして檄を飛ばしながら、出来ぬはずのない彼女を最後まで導いてくのです。

 

東北や北海道の紀行が多く見受けられましたが、

 

やはり山深く渓流釣りにとって魅力的な場所が多いからなのだろうと

 

思いながら、月とスッポン、もしくは雲泥の差の如く

 

私は一生踏み込まないであろう渓の旅の思い出を読みながら妄想を膨らますのでした。

 

 

本日もご覧いただきましてありがとうございましたお願い