私が初めてこのトリエンナーレという言葉を知ったのは、
天皇陛下の顔写真を燃やしている写真がインパクトがあり、
これはダメだ!と瞬間的に思った所からです。
完全に芸術・美術・アート・伏線・表現・技法など・・・という概念を瞬時に忘れ、
日本人の奥底にある大切なものを踏みにじられたような感覚を覚え、
それ以降は憎悪の感覚が愛知県知事にまで及び、こいつは在日の血が混じっているから、
天皇陛下の顔写真を踏んづけている写真を見ても何とも思わないのだろうと
会った事も無い人に向けての一方通行の憎しみさえ覚えたのです。
知事見てたらすみません誤解でした
かといって津田さんに好感を持ち始めた訳でもありません。
ふてぶてしさは敵を作る印象なので否めません、そこは私も同様に・・・同じ類です。
ペコリ。
我が師匠・・・・ニーチェさん(哲学という虚学門)も云っていた・・・
「永劫回帰からの脱却のためには能動的な生への全肯定をしないと末人のままで終わり、
超人にはなれない」と・・・あれほど教えてくれていたのに、私は、なかなかそれが出来ない。
ついつい評論家のように、批判的立場の末人に・・・
超人を目指せ 俺
。
俺~帰ってこーい・・・・ハイ・・虚学の世界から戻ってきました。
あれから数年経った今、たまたま2Bチャンネルを見ていた時に
ワリードベシュティーの写真の拡張概念という言葉が目につきました。
しかしながら、この愛知トリエンナーレは、ハードルが高すぎて、
誰かが説明してくれないと一般人は、そもそも理解できない哲学の世界や
既成外概念
があり、
表現者の意図することを誤解してしまい兼ねません。
現に私が天皇陛下の写真を燃やしている写真を見て憤慨するくらいですから・・・
そして気が付いたのです。
まんまと踊らされていたことに・・・。
しかしながら、固定概念というものは怖いものです。
確かに天皇陛下は大事です。
それはドイツのヒットラーでも同じことでした。
と言えば誤解を生じてしまうので、
これ以上は日本の大切な、我々にとって最も大切な象徴の話はしないことにしたいと思いますが
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愛知トリエンナーレコンセプト津田大介さんの動画より
石→加工研磨→ダイヤモンド
=
物→変換→価値
という消費社会の価値変換システムに於ける社会インフラに於いての挑戦が
愛知トリエンナーレで表したい表現だったということを。
そして愛知は工業の町であり、様々な既成概念という殻(つまり表現の不自由という表し方)を
脱ぎ捨てたいと願う現われが
芸術に於いて、部外者の一般人に誤解を生じさせてしまったということ。
ちょっと言っている意味が分からないかもしれません。
あくまでもこれは、行ったことのない、ネットで検索して見れる部分での情報を元に
私が作り上げた定義と概念であり、実際に行って、展示物を目の当たりにすれば、
また見方が変わってくるかもしれません。 ・・・けれども
そこが美術分野ではなく、表現方法が巧みで、新たなる価値表現の芸術部分なのだと
気が付いた訳なのです。
しかしながら、芸術作品というのは、ある程度の説明が無いとわかんないですよね。
めんどいです。
人が考えていることを作品を通じて理解しようとするのは。
小説のように始めから終わりにかけて、一方通行の文字で進行してくれると芸術も楽しめるのに、
真っ暗なダンジョンゲームでもしているかのように、作者が描いたゴールへと
暗闇を行ったり来たりしながらマップを書き、出口へと目指すなどという思考の整理は
芸術ならではの面白さでもありますが、めんどい所でもあります。
ここら辺を、多少道しるべ的なガイドラインを用意していてもらえば、
アラカン世代は迷わずに楽しめるのですが、思考力が低下してくる年齢がそう云った挑戦的な課題を
目の当たりにした時、単純に誤解し兼ねません。
まぁ~これが理解できない人は、馬鹿と言われれば仕方がないのですが、
余りにも素養レベルのハードルが高い表現方法でもあり、芸術でもあるのだと
最近分かるようになってきました・・・・が、それも偏見の類かもしれません・・・www。
昔から私は理解力が乏しく、禁煙セラピーの本を何度も読んで、
やっとのことで理解して禁煙を果たすことができたように。
今回のトリエンナーレ表現についても、肯定目線で芸術を捉えるなら、
愛知トリエンナーレは意味のある表現という事になるだろうし・・・・
しかしながらそれ程までに理解力のある人間は、日本にどれだけいるのでしょうか?
現に地元の名古屋市長ですら、芸術を理解できずにデモをしているくらいですから・・・
そしてコロナにかかって・・また注目を浴びて・・・
もしも、芸術という自由表現の立場から河村市長の主張を見てみた時に、
売名行為や無知・無理解能力者・天皇陛下を手玉に取った極右翼とも見て執れてしまいます。
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すみません、また言い過ぎました・・・ペコリ
私も、初めのうちは理解力が足りずに、単純に天皇陛下の写真を燃やしたことへの憤慨しか
ありませんでした。
でも、数年を経て、違う角度から視点を変えて見た時に、もしかして河村市長こそが
この愛知トリエンナーレで一番得をしている一人ではないだろうかとも思えてしまいます。
どっちの見方が正しいのかは分かりませんが、
そう云った両者の立場に立って考えて見た時に、
共同幻想の罠というものに踊らされていた自分が居る事に気が付いた訳なのです。
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世の中は面白いですよね。
どちらか一方に加担するも良し、私のように客観的に傍観して冷静にするも良し。
そうやって激動しながら日本は、前に進んでいるのだと、
まるで隠居した老人の如く、社会の物事あれこれを捉えてしまい。
自分でも笑えてしまいます。
主線は、天皇陛下の写真を燃やすことによって、表現の不自由からの脱却を求めて、
世の中が、これについて理解できる社会、許容度が出来ているのかを計る目的で芸術という分野で
提案・表現したにも関わらず、やはり社会は、未だ封建主義的社会の反応が返ってきて、
そのとばっちりを受けたのが、愛知県の下村知事であったという事であり、
そこに、何気に市民代表として第三者である河村市長が正義を振りかざし出てきたという構図。
そして、見方を変えて伏線的目線で見るならば、津田さんに悪役を演じさせて指揮していたのは、
許可した愛知県の大村知事であり、それを成敗しようと出張ってきた河村市長が
市民目線の応援を受けて正義の味方感で役得を得ているという構図が見えてきた訳です。
愛知県トリエンナーレの伏線のシナリオを読むと、こんな感じになるでしょうか?www。
などと、自分で咀嚼して解釈していますが・・・
どうですか皆さん?
私・・・かなり間違って捉えていますかね?
本日もデタラメナ意見のブログをお読みくださってありがとうございました
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