何とタイトルをつければいいのか | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

リジェレナティブというパタゴニアの映像をみた時に、何となく違和感というか?

 

それがどこから来るものか?

 

それはきっと自分の中のこうあるべきという偏見にあるのです。

 

 

 

映像の中で不耕起栽培について語っています。

 

不耕起栽培とは上差しつまり耕さないこと。

 

1943年アメリカのエドワード・フォークナーが「農夫の愚行」という本の中で、

 

畑を耕さずに、雑草を乾燥させたりしたものを、土の上に被せるだけで、

 

肥料も要らないという論を提案しました。

 

その後日本では、1970年代に川口由一さんに代表される方々が、

 

自然農という名称で実践されています。

 

不耕起栽培の当初は、土中の細菌バランスや、虫などの生態系が整わず、

 

作物が育たないことがあるそうですが、昆虫との共生や、土中細菌が良くなっていくと

 

作物の免疫力が高まり、虫に食べられなくなるという話でありますが、

 

砂が多かったり、山土であったり、湿気が多かったりと日本の気候風土は一様ではない為に

 

画一的概念は当てはめられず、各自の土地柄で苦労して最適解を導く他はないでしょう上差し

 

 

不耕起栽培を行うことによって、作物を再生的、そして繰り返し生み出すことができるびっくり

 

その結果、社会が持続可能になる事を謳い、より深い自然環境での生命の循環を提唱しているのが

 

リジェネレティブという言葉と理念なのでしょう。グッ

 

 

日本のように四季があり、水と緑の豊かな環境よりも、痩せた土地で生きて行くためには、

 

畑を耕起して好酸菌を増やすよりも、耕さず嫌気性菌で育てた方が、

 

害虫との関係で有利なのだろうと察しました。

 

 

日本で不耕起栽培をすれば手間がかからないように見えて、

 

雑草処理に手間がかかり、害虫による作物被害(現金収入の減少)も現れてくるでしょう。

 

 

自家消費であれば良いですが、売り物にはなりません。

 

というか少しでも虫が食った野菜を消費者が買ってくれません。

 

 

また外部から金儲けを考えた工業的、機械的、大規模農業が進めば、

 

農薬まみれの土地になる事は目に見えています。

 

 

江戸時代に田んぼの中に畑を作り、害虫が近寄らないようにしたり、

 

肥料も体に優しい有機肥料で土地が汚染されることを嫌いました。

 

前提として、それは畑の土を反す耕起栽培だからです。

 

 

不耕起栽培は、虫が嫌う植物を隣に植えたり連作障害を考えて場所選びなどもしなけれなならず、

 

更に蜂などの受粉に関わる環境も考えなければならないので、

 

ある意味では、エキスパート農業かもしれません。

 

 

今の時代、単品農業でジャガイモだけとか葡萄農家とか米農家のように

 

利益の上がる作物に絞ってやっている日本農業ですが、

 

退職されて頭の良い方、または、やる気のある方がいれば

 

是非とも畑付き田舎で不耕起栽培で半自給自足生活されてみてはいかがでしょうか?

 

 

そういう姿を後世に残せたなら日本はまだまだ持続可能な社会が継続出来るような気がします。

 

 

そういった古き良き日本、伝統を紡いできた日本を、改めて思い起こさせてくれる

 

リジェレネティブの映像だった気がします。

 

 

 

外国では、大学に行って自然の勉強をして農業に取り組まなければならない程、

 

高度で複雑な植物との関わりですが、

 

日本の三世代同居家族(つまり田舎の方)では、爺さん婆さんや父や母の誰かが、

 

日常的に畑をやっていて、当たり前に見ていて、覚えさせられますし、

 

それが、耕起栽培か不耕起栽培かも目の当たりにしていることでしょう。

 

 

三世代の良い所の一つに自然の勉強をするために大学に行かなくても、身近にやっている人が居てOK

 

こうやって耕して、畝を作って種を植えていたなぁ~、マルチを被せていたなぁ~とかうーん

 

分からなければ聞く人が身近な家族に居るというのが三世代のメリットでもありました。グッ

 

それが、長らく日本の耕起農業を無条件に伝え支えてきたのでしょう。

 

 

 

さて、不耕起に戻りますが、

 

耕起栽培と不耕起栽培の収量の違いが分かる動画を見つけました。

 

 

やはり不耕起では収量も減るみたいですね

 

 

そして、頭の良い・・・考えられつくした不耕起栽培の例。

 

ここまで到達すればベテランの域。

 

 

そして、俺がやったら、まさにこのパターンになるであろう不耕起栽培の例ガーン

 

 

そして、行きつく不耕起栽培と共に生きる、、、最終形態の自然農の生き方グッ 爆笑

 

 

達人が言うには、文明が発達すれば・・・するほど現代農業が進み、自然農法とはかけ離れていく。

 

自然農法が良いことは誰でもわかっていることだけれど、

 

現金収入を追求していけば現代農法になって行く。

 

農業は価値観の違いによって見方が180度変わって、やり方も180度変わってくるという。

 

と哲学的な考えを持って、生きている。

 

 

人は現金が欲しい人ほど現代農法、つまり耕起栽培をしていくし、

 

現金ではなく、生きる事に時間が欲しい人、費やしたい人は自然農法、

 

つまり不耕起農法を選ぶという考えを持って生きる姿は、何とも素晴らしい。グッ

 

 

そして、未来の農業は、不耕起栽培になって行くのか?

 

 

それとも、不耕起栽培は、過去の物なのか?、

 

それとも、理想主義的栽培方法なのか?

 

それとも、世界的な最先端の取り組み方なのだろうか?

 

雑草を邪魔者に見るのか?はたまた、資源として見るのか?

 

土中細菌と昆虫との共生と健康的野菜を通して、人間の共生をも計っていくのか?

 

それとも、虫や細菌などを遠のけて、人間にとって都合の良い、見た目重視の野菜を追求していくのか?

 

不耕起栽培の畑の例、まるで雑草地にしか見えないですね。

 

ホントに収穫出来るものアルはてなマークえー? 

 

 

日本はやはり、湿度というものが、大きく影響し、

 

本来は不耕起栽培の方が健全な無農薬栽培が可能だとは思うのですが、

 

湿度が高いと雑草の勢いが強く、本来育てたい作物の勢いが負けてしまう為に、

 

ついつい、除草剤や選択的育成である、耕起栽培に走ってしまうと思うのです。ビックリマーク

 

 

不耕起栽培に必要な用品は、あまり必要としないメリットと、作物に化学肥料などを使わないので

 

人間の身体に良いメリットもあります。OKしかし、細菌バランスや土壌の管理ができていないと

 

土地面積当たりの収量が極端に少ないなどのデメリットも存在します。ブー

 

 

耕起栽培は、トラクターやクワ、マルチ、除草剤、有機肥料・化学肥料、支柱パイプなど

 

沢山の資材を要するデメリットがありますが、その代わりに収量が多いというメリットもあります。グッ

 

 

本来は不耕起栽培を試みたいのは山々ですが、毎日畑に引っ付いて管理できる人ならいいのですが

 

たまに畑に入る程度では、難しい農法かもしれません、私にはそのように感じてしまいます。ガーン

 

 

ミャンマーやアフガンのような、誰もが機械で耕起できないような土地柄では、

 

やはり不耕起栽培をせざる負えないのかもしれませんが、

 

先進諸国で機械が入手できる地域では、これからも耕起栽培が進んでいくことでしょう。

 

 

 

リジェレナティブという概念は、今後どのような展開を見せていくのでしょうか?

 

 

とどのつまり何を私が言いたかったのかというと上差し

 

凄ーく悩ましい問題な訳です。

 

だって、体に有害な化成肥料を使わずに、自分の身体の事を思って野菜を作るなら、

 

そりゃ自然農が良いに決まっています。グッ

 

でも、それじゃお金にはならない。チーン

 

農業というのは、野菜を作って売ってお金を手にする仕事な訳で、つまり、生産量を増やすためには

 

畑を耕して、化学肥料を沢山撒いて、工場のように野菜を育てて、更には農薬をふって虫のつかない

 

見た目の綺麗な野菜を作り売る。

 

その後の野菜は、やはりサンドイッチなどに加工する際に、消毒薬に浸して殺菌・滅菌処理をして

 

刻んでサンドイッチの具になる。

 

これじゃ薬品だらけの薬品漬けの野菜で、身体に良くないのは分かっています。

 

 

食べ物によって身体を悪くして、そして病院に行き、薬で誤魔化し、治ったつもりになる。

 

こんなんで本当に健康になれるんでしょうか?

 

 

確かに、野菜を食べてビタミンを補給するという栄養素補給という意味では、

 

食べないよりはマシかもしれませんし、・・・・もしかしたら・・・食べない方がマシだったりして・・・ガーン

 

というジレンマが野菜を作る方にもあって、更に食べる方にもあって・・・。滝汗

 

そこが今回の違和感の元であり、

 

未来永劫、この真の健康という概念と、偽の健康という概念が・・・表裏一体となり続くのでしょうね。

 

 

この世は、真理の生き方を追求するべきか?

 

 

一般的な作られた偽の道徳的概念の生き方をするべきなのか?

 

生産と食と健康と生き方をも巻き込んだジレンマにタイトルを何とつければよいのか

 

最後まで分かりませんでした。

 

皆さんも、そこら辺は気になりませんか?

 

という事でバイバイ

 

本日もお付き合いいただきましてありがとうございましたお願い