とあるきっかけで中国に研修に行くことになった時、やはり中国は広いことを知った。
それは土地だけでなく、人口が多いことや民族文化の摩擦が多いことによる切磋琢磨が作り出す
伝統技術のレベルの底が高いこと、と同時に低い振り幅もあり、底辺と上辺を同時に見れる広さだ。
私の氏名を漢字で書いてもらった時なども、あまりにも美しすぎて、
漢字とはこれほどまでに美しい文字だったかと、
あたかも象形文字の造形美と、偏と旁の機能美が同時に見れるような美しさは、
未だに忘れられません。
そして、寺院なども日本の寺院とは時代を隔し、国を隔し、言語を隔し、人種を隔し、
まるで違う建物であり、全く見方が分からなかったことも印象的な思い出でした。
「10枚千円安いよ!」という、一つ覚えの日本語で接客してくる中国人。
そこまで言うなら買ってあげるよと1000円を手渡し、商品を手に取り、ビニール袋を破ってみれば、
5枚しか入っていなかったり・・・俺のは7枚入っていたぜ
と、
絶対に10枚など入っていないボッタくり商売が標準であり
日本の正当な商売とは、世界一ハイスペックな正直商売だと、日本を羨みの眼差しにさせてくれたのも
裏という存在があったからこそだと思います。
さて、そんな中国での30年も前のあれこれの思い出ですが、
日本には日本ならではの良さというものがあります。
例えるなら古都京都のような、日本にあって治外法権的場所と気位とプライドによって
大方の人は見下される・・・ぶぶ漬けに代表される京ことば。
しかし、それだけのものがあるから悔しいけど、逆らえず、
「頭を下げてお願いします。文化を守ってくださいまし」
と言わなければならないほどの宝がそこ、京都にはある。
例えるなら伊藤若冲の墓がある石峰寺にある五百羅漢像などは
石に魂が入っている。
あまりにも人々が魅了され、4000体作ったとされる羅漢像は盗まれて
残り200体となってしまった。それほどまでに人を魅了する石がそこにある。
晴明神社なども雰囲気と匂いがその場所だけが違い、
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スピリチュアルが入っているかも
何かしらのパワーで封印されているのではないだろかと思わせる雰囲気を漂わせている。
目的は、むしろ京都の守り神として鎮座したと聞くが、あながちウソではないのかもしれない。
京都は北に高い山で鬼門封じをした玄武(船岡山)、
南に見通しの良い開けた湿地である朱雀(巨椋池)
西には大きな道が続く白虎(山陰道)、
東には清き流れを生む青龍(鴨川)を配して
風水学を取り入れて文化が栄え、その後、その街づくりは全国の模範となった。
徳川家康が栃木に日光東照宮を作り自分がその墓に入ったのも、風水的に自分が作った江戸の町
関東平野を未来永劫鬼門封じである玄武に配したから、今もって東京が栄えているとの説もある。
さて、本題の日本の宝の一人と思うのは、金沢翔子さん
何がどういうきっかけで、漢字がこれほど芸術的に書けるようになったのかは不明だが、
元々持っていた才能と母親の英才教育の賜物がこれほどまでに人の心を魅了する
書家を作り上げたのだと思うし、ハンデを持っている人の希望にもなった偉大な人物だと思う。
新潟県の魚沼に西福寺・開山堂という所がある。
ココには東洋のミケランジェロと言われるほどの石川雲蝶の彫刻がある。
日本にこれほどまでに素晴らしい彫刻があるのかと絶句して、ただただ見惚れて来たことは印象深い。
ここは、日本の宝、彫刻を収める場所だろうと思う。
もし行く機会があるのなら、是非とも併設している有料の宝物殿も見ていただきたい。
さて話は元に戻るが、金沢翔子さんの揮毫は、私が見た中国の書家による美しさとは違い
日本らしいカスレとシミ、そして墨の量が織りなす美しさが、絶品だと思う。
そして極めつけは、字のカスレうねりに神々しささえ感じてしまいます。
この字こそ、ザ・日本の書道を象徴するものであり、見ていて飽きません。
シッタカブッタ言い方をしてしまい申し訳ありませんが、私の眼にはそう映るのです。
形が優しく、好きな字のタイプというか・・・なんでしょうね。
そして、金沢翔子美術館が福島県のいわき市にあることも、生誕の地から北の玄武に配置したことも
鬼門封じの役割を果たし、益々活躍されるだろう事を啓示している気がしてしまいます。
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思い込みすぎ?かも
まだ、コロナの感染爆発で行けていませんが、終息した折には美術館に行って、
書の宝庫たる場所なのか確認してきたいと思います。
私は、全身の銅像が好きなので、出来れば銅像の宝庫という場所も見つけてみたいと思っています。
現在は酒田美術館にある銅像がお気に入りですが。
皆さん全身銅像の宝が集まっている場所ってありますかね?
そんな風にペラペラと言いたい放題言って今日もまた終わりたいと思います。
ご覧いただきましてありがとうございました