ちきりんさんの言葉を借りると
問題の量 > 実行力のある志 の場合、世界は悪化するし、
問題の量 < 実行力のある志 の場合、世界は良い方向へと向かう、
今までは後者であったからこれからの世界は安心だ
という言葉がある。
何とも数学の証明問題のような言い回しに、理系頭脳はビッビッっと反応してしまう。

今、グレタさんが正直な意見をストレートに言っているにも関わらず、
反感を持ってしまうのは何故なのだろうか



豊田章男さんが脱炭素を目指すと言って、脱内燃機関を指すヨーロッパは、
本当に脱炭素を考えているのだろうか?と提言したり、

フェミニズム運動によって、今だに料理を作るのは87%が女性である、そして母の手料理不要75%と言って新聞記事の表紙を飾ってみたり、
男性育児休暇といっているが、
赤ん坊にはおっぱいが必要な子供の人権を無視して、大人の労働力の分散に力を注いでみたり、
おっぱい育てをしない方には朗報であり、私も100%哺乳瓶で育ったのであまり言えた義理はないが
やはり赤ちゃんのうちはおっぱいに接して、1~2年くらいはお母さんと一緒に過ごした方が、
お父さんと居るよりはいいんじゃないかなぁ~なんて個人的にアラカン近い男は思う。
12年を過ぎた中古車に税金を上乗せさせて、ハイブリッドの高い新車には税制を優遇して、
安い買い物のように視線誘導して買い替えを促進して
実は反面で、廃車•廃棄ロスを増やして反エコロジーを試みたり
脱プラスチックと言っているが、実はプラスチックも生分解性(1年から5年で土にかえる)のもの
に変えればいいだけなのに、木材パルプがいいと言って森林伐採が進むよね。
森林が復活するまでに20年はかかるから、やっぱり生分解性のプラスティックの方が環境に優しい。
そして
バッタの殺虫剤や除草剤を売らなければ、緑を増やせるのに、
森林を抑制しておいて、今度は木材パルプに材質変更すれば、
森林が伐採されて二酸化炭素が増えて温室効果ガスで温暖化が進む。
世界の森林の大半はアマゾンにしかないが、
年々火災の影響や伐採、鉱物資源開拓などで減少化している。
水と森林が無限にあると思い込んでいる所が、そもそもの間違いだ。
日本には、海苔で包んだおにぎりや鍋で煮込んだ野菜を木のお椀で食べ、
陶器でご飯を食べる文化があった。
江戸時代には懐に箸🥢お椀🥣を忍ばせていつでもどこでも食べられるようにする風習があった。
つまり包み紙すら海苔やシソ、高菜など、食べれるようになっており、
その他はリサイクルできている社会だった。
いつの頃からか、金銭的逆転を果たし、使い捨ての方が安くなってしまった。
その結果、産業が労働力の安い地域を目指し、後進国へと生産地が変わった。
安いもの、使い捨てのものを求めた結果
結局日本など先進国の自分の仕事も失ってしまう結果となってしまった。
もしも、高級陶器の柿右衛門の茶碗と秋田杉のお弁当箱📦、
輪島塗の箸に津軽塗りのお椀で食事をするようになったら、
世界はどれだけ豊かな食事が増え、そして肥満が減るのだろう。
ジャンクフードに課税して、5年以下で捨てる物には使い捨て税を作り、
外国で作らせる税を儲け、内需産業を育成し、燃費ではなく、
↑
スギちゃん・・・ビビった税!?みたいな
安全が基準値以下の中古車には課税をすれば、安全な車が長く乗れるようになる。
問題は、私には、こういう提言ブログを書く志はあるのだが、
実際にやれるだけの実行力がない所が、ちきりんさんの言葉通りで、
これをご覧の方で実行力のある方のネタになって貰えれば幸いだなぁ〜と思い
こういう思想が増えていくのなら、
世界は持続可能な社会SDGsが続けられるような気がします。
利権追求思想 > 真理追究思想 の現代ですが、
利権追求思想 < 真理追究思想 になれば
人間が住み良くなるのではないでしょうか?
本日もご覧いただきありがとうございました。
