魂の焚き火を見ていました
木が燃えている。只それだけの映像でしかない
その中で、何故だか木の未だ色褪せない力に魅了されている自分に気がつき、
インスピレーションが発展していくのでした。
木は一粒の種から発芽し大きな木へと成長する中で
人間が発する二酸化炭素を吸って、いつも人と一緒に酸素を通して交換し合っている。
そして木は葉を茂らせて、時には影を作り我々の火照った身体を太陽から遮ってくれたりもする。
また、住む家の材料としても役立ち、我々の身体を風雨豪雪などからも守ってくれもする。
木々の成長はキッカケによって止められることもあるが、しかしそれからも役立ってくれる。
倒れた倒木にはキノコが生えてきて木々の養分を吸い尽くすまで朽ちずに残り、
山の恵みであるキノコを産み続けてくれる。
めぐみの形を変えてまで人間に養分を伝えてくれる。
キノコに養分を吸い取られて朽ちてもなお腐葉土としての役割を果たしつつ、
土からの恵みを我々人間に伝え続けてもくれる。
けな気だなー木って・・・・
そんな自然なサイクルに、不自然な形である燃やすという突発性を加えてもなお、
燃えて熱量を発して人の身体を温めて支えてくれたりもする。
なんと木というものは役に立つのだろう。
そして、それだけのカロリー計算では計り知れないほどのエネルギーを蓄積しているのだろうか。
私たち人間も最後には焼かれるが、それは無理遣りに火葬場で焼かれるのであって、
燃えて人の役に立つことなく、粉々になりコンパクトに収まるように合理的に追いやられる。
しかも莫大な燃料のエネルギーを消費させてまで小さくさせられる。
やっとのことで人間の手を離れ、本当の最後の最後は土に還り、
自然の営みのサイクルに集合するのだろうが、
なんと人間は、木よりも役立たずなのかと焚き火を見ていて要らぬ思いを馳せてしまう。

