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沢口靖子・・・わかっ!!
男の人は夢を追いかけて生きられるけれど
女の人は暮らしを背負って生きなければならんとですよ
いやーーーーー心に響きますな~
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キャーーー オ・ジ・サ・ン!!
貧しい時代。
フェミニズムなんて言葉の通用しない、男尊女卑の時代。
稼ぎ頭の男は、どんな夢をも見れたが、
酒を買って残った、おこぼれの生活費で、
どうやって豊かな気持ちの我が子らを育てるかに心血を注いだ女の立場。
それ程までに結婚という絆を大切にして、自己犠牲の元に幸せを築こうとしたケナゲな心を
象徴するかのような、「暮らしを背負って生きなければならんとですよ」という言葉。
我が東北の、おしん県では、「貧しい」と口にすれば、
心と暮らしが、もっとみじめになるであろう不安と計り知れない恐怖心から
声に出すこともハバカラレタ言葉ですが、
私の30歳くらい上の方々は、ワラを山にしたベットに薄物の着物を着て、くるまって寝て冬を越したんだ、
などと聞くと、貧しさには下限がないのではと思ってしまいます。
九州では、女の手のひらの上で男は転がされているので、いつもはヘラヘラとしていられるが、
いざ女が出てくると男は立つ瀬が無いという風に聞く。
ホントかウソか知る由もないが、それだけ女の人が生活をがっちりと支えているからこそ、
男は夢追い人で居られるのだろう。
そして、個人的豊かさを求める現代。
一人で稼ぎ、自分の為にお金を使うのが当たり前となった、おひとり様時代に於いて
男女の夫婦は必要であり、どちらかが病気になってもお互いに助け合いながら生きて行くという
大切さと尊さを客観的に見つめて、やはり一人称単位では生きて行くことは出来ても
生まれた意味や相手を思いやる気持ちや育む価値を改めて、
夫婦という憧れに変えて見つめられる時代となり、
生きて来た時間は、イコール絆をどれだけ強く、多く持てたかを意味するのと等しい事を
この刑事物語のセリフから発想させられる。そういう意味で・・・
今のこの豊かな時代の生活に於いて、改めてこの刑事物語3のワンシーンのセリフに感動してしまった。
「踏ん張って生きんとばいかんのですよ。」←合ってます?
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九州出身の方添削お願いいたします!
何となく心揺さぶられたので記事にしてしまいました、ご覧いただきありがとうございました