このブログをご覧いただいてくださる皆様を欺くタイトルと云っても良いかもしれません。
いや、節約しないでくれと言うご指摘もあるかもしれません。
確かに、根っからの散財家であり、浪費家であり、
自他共に同級生までもが、お前が節約とは考えられない。
遊ぶために稼いでいるんだろうとばかりに、私の老後などは誰も心配さえしてくれません。
確かに明日を信じてとか、時折寂しさも演じてみたりもするのですが、
なにせバイクの事故をやったり、冬山で何度も死にそうな目に遭ったり、
熊には何故遭うのと云えるほどに遭遇し、何かをやれば
危機が隣にあって、遅ればせながら・・・待ってー
とばかりにくっついて来るような私にとって、
1年後生きてさえいれば良いのですから、
そんな先の老後は気になりません。
そんな、楽観主義の中でも、何故に節約ですかと聞いてみたくはないですか
先ほど皆様を欺くというキーワードによって、フラグを立てていた訳ですが、
やっと回収する時がやって参りました。
どちらかと言えば、多弁家であり、年中良くおしゃべりをしていましたが、
いつも気になっていたことに説得力がないんですよね。
とある友人は、一言、口から言葉を放てば、周りはシーンと静まり返って、ウンウンとばかりに納得し、
私がいくら説明をしようとも、聴きはするが納得しない。
当たり前の事を、正論を話すことが良くないとばかりに、奇策や革新案などは受け入れる。
何故に正論は受け入れられず、視点を変えた目線は注目されるのか?と
子供時代より気にはなっていたのです。
それから様々な奇怪本などを読みながらの人生の中で、
唾を舌で転がして、唾液が固くなってから飲み込むと気の力が増えるなどと迷信を信じ、
初めのうちの数回は試してみたものの、本質はそこじゃないと感じ、
話す言葉も、口からサヨナラする前に、心で練ってからサヨナラするようにした青年期時代。
周りから見れば、無口な気難しい青年と親も周囲も感じたに違いありません。
そうすることによって、言葉に重みと説得力が増すかのような錯覚を感じていたのです。
しかしながら、アラフィフともなると、人生どうでも良くなり、見栄や外聞などよりも、自分らしく生きるという
思想の道が見え始めてきてからというもの、元来のおしゃべりは封印を解いたらしく、このように
飽きもせず、説得力の無い文字をペラペラと垂れ流すのは、
老人になると涎が漏れたり、人との会話で涙がこぼれ落ちたり、
はたまた、おしっこの切れが悪かったりして悪臭が漂うのと同様に
心の何かの栓が劣化して、締め忘れているのか?
それとも、ゴムパッキンの性能が劣化して、締めても出てくるのかよく分かりませんが、
まるで落語家のように漏れて・・・溢れるのです。
心地よいものでであれば救いですけれども、
もしも、老害という名の付く代物に値するならば、控えなければならないのではと思うのです。
さて、幸田文さんの本を読んでいるときに、やはり幸田さんも同様におしゃべりらしく、
親に「言葉の節約をしたらどうか」と幼少期に指摘されていて、
その節約が気功法の気を練るという鍛錬術の結果のように
言葉が洗練されて、見事な文章になって私たちを喜ばしてくれるのですが、
何やら他人事などではなく、自分も節約しなければ、
世間様より見放されてしまうのではないだろうかという妄想が芽生えてきたのです。
・・・という訳で、しばらく言葉の節約をしなければいけないなーと思い始めたのです。
皆さんがタイトルをみて想像された節約とは意味違いであった事(換喩法)、
欺いて申し訳ありませんでした。
などとつまらぬ、たわ言をご覧いただきまして、本日も誠にありがとうございました。