昨日、久々に焼肉の食べ放題に行ってきました。
その友人とは、山友であり、中辺路を歩いて、人生の一ページに残る苦労を共にしたのである。
その時の精神的疲労を肉を喰らう事によって満たそうとしているのか?
単に食い意地が張っているのか?
はたまた、男という孤独な存在が、時折馬鹿な事をしてみたいという、いわゆる連れションのように・・・
誘いたかったのかは知らないし、・・・恥ずかしくて聞けもしないのだが・・・
ひたすらに肉を喰らうのである。
腹はいつもながら膨満し、チョイと突けば吐き出してしまいそうなほどなのだが、
こうなってしまうと恥も外聞もない、今日は豚だ。
豚とみると、会計で立っていた細身のギャルも見た目は細くても、腹とその食欲は豚になっており、
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あいみょん風
周りを見渡すと、ここは豚小屋なのか?などと云う気持ちにも一瞬陥り、
待て待て、今日は食べに来たのだ!豚になれと自分を鼓舞して肉を喰らうのである。
話の内容は、前回のブログの続きにもなるのだが、
そもそも音楽をアラフィフになってからやってみようかと思わせてくれた存在の首謀者であり、
60歳を過ぎてから音楽教室に通い始めて、1000時間の神話を教えてくださり、
見事にその言葉の罠に私の心もひっかかり、続けて練習をすればいつかできるようになるのだと
一昨年の10月にEWIという楽器を始めるきっかけを戴いた張本人を前にして、
お互いに音楽の話と次の山登りの企てと、そして、
いつもお会いする山友にも、以外に楽器を嗜んでいる人間が多く居る事を知り、
横笛、ウクレレ、オカリナ、フルートなどを山小屋にみんなで持ち寄って、
あちらこちらの山小屋荒らしをして回ろうかと盛り上がりながら、盛大に肉を喰らうのである。
夢も大きく膨らみ、腹も大きく膨らみ、財布だけは萎み。話も後半になると病人の話となり、
糖尿病で・・・
という事を聞くと、ようやく食欲も抑えられ、我に返り気持ちも萎み、これで終わりにしようかと思うのは、
食べ始めてかれこれ2時間半をゆうに回った頃である。
本来ならば2時間という時間制限の中で、彼はいつも時間ギリギリになると20人前やら
アイスクリーム10個やらソフトドリンク6杯、そして私はカルビ10人前を頼むのだから、
当然それを消化し終えるのに30分はいつもかかるという訳だ。
食べ放題のお店を経営されている方には申し訳ないのだが、
こんな「豚な二人」が行くとお店の儲けは減る訳であり申し訳なく思いながらも・・・
時折お世話になっている。感謝
前回、利用したのは4か月前にもなりますねーと、4か月ぶりの再会を喜び、
来月の山登り計画を約束し別れるのだったが・・・・と
ここまでが前置きなのだが・・・・( ;゚д゚)ェ..........................
焼肉の会話の中で、どんなに努力しても、そもそもの生まれの違いって、
「ふとした時に出るよねー」という話になり、「どういう時ですか」と質問をした。
自衛隊の幹部候補生になるために、試験を受けて士官候補になる道と、
防衛大学を卒業してなる道とあるそうなのだが、彼の友人は一般で士官に受かったそうなのである。
士官が使える店があるそうで、相当に高級なのだという。
どんな施設も、飲み物でも頼めるのだが、一つだけ出来ない事があったとのことのなのだ。
演奏会が終わり、「あとはこのピアノどうぞお使いください」と言われた時の事。
「それでは・・・」と士官が立ち上がり、次々に我先にと弾くのだそうだ。
これほどまでに勉強をして努力をして、金もある権力もある俺が、
タダで弾けるこのピアノを目の前にして、
唯一生まれ育ちの違いは乗り越えられないことを知ったというのだ。
そういえば、私も経験がある。
箱根の旧道を歩いている時の途中の茶店で、「お茶は如何ですかー?」と店の方に誘われたのだが、
見てみると、のぼり旗には「お抹茶あります」と書いてあり、
作法の知らない私は、敬遠していたのだが、隣を歩く、みすぼらしい老人は、
それではと入っていたのであった。
この老人は何を頼むのか私も気になり、抹茶を頼む気はさらさら無かったが、
何を勘違いしたのか?店の者が2つ出してきた。
私は慌てて、違うと云いたかったが、恥ずかしさもあり、
その時の、店の者の思い違いの雰囲気の流れのままに流されてしまった。
老人は慣れた手つきで、お茶碗を回転させてお抹茶を戴き、終わると指で口元を払い・・・
私は分からないので聞くと、作法は無視してお口にどうぞと云われ、頂いたのだが、
抹茶の苦さより、作法を知らぬ自分の無知ブリに抹茶の味より濃い苦々しさを感じた。
いくら学業の勉強もしてこなかったが、社会勉強は無縁とばかりに見えないふりをしてきた。
そして、そんな事を教えてくれなかった我が家のランクの低さを改めて感じる機会にもなって、
自分の子供には、勉強のみならず社会に出た時に臆せず何でもできるようにと、
社会うんちく、山登りや仲間作り、茶道、書道、美術、何でも触れさせることが大事だと思うようになり
なるべく博物館、美術館、山登りなどに行く事を実践している。
三島由紀夫の命売ります
だったとは思うのだが、三島は積極的に貴族との関りを持とうとする。
その表れが、吸血女の編で、一部出てくるのだが、
私と同様に一般庶民から上の世界に憧れを抱いているのがよく分かる。
しかしながら、偏屈な私は、それとは真逆で、幸田文さんの「流れる」という小説の中で、
よくもこれほどまでに、下品な表現が出来るものだと呆れるほどに、
汚らしい表現が出来る世界を知りたいとも思うし、知る事へのためらいもあるし、
二人の文章表現を読み進めて行くときに、
自分の生きている世界が狭いことに気付き、そして中間に位置している事も知り、
下の世界で無くて良かったと安堵し、同時に上の世界も見てみたかったなぁなどと
嫉妬してみたりもする。
今私は、ドス黒い汚らしい世界に興味を抱いているのだが、いかんせん心のブレーキが働き、
行く事を拒んでいる。
今私の好奇心は、文章の汚らしい表現や人の奥のドロドロとした、重松清 「疾走」の中にあるような
又はユーチューブの【Ado】チャンネルの「うっせーわ」に出てくるような・・・
そんな世界観に興味津々なのだ。
どうしたら、汚い表現が出来るものだろうか?
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普段からテメーコノヤローだけでは文章表現としてはダメなのだ
いっそヤクザにでも弟子入りした方が近道ではないだろうかとさえ思ってしまう。
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しかしながら オファーお断り
人はダイヤモンドに目がくらむが、更に目が肥えてくるとイエローダイヤモンドやピンクダイヤモンド
それも初めは薄い色から濃い物へと思考は変わり、
最終的には漆黒のブラックダイヤモンドへと興味が移るようだが、
私の感性もホワイトダイヤモンドからブラックダイヤモンドへ心移りするような世界へと
目が肥えてきたのだろうか?
だとすれば嬉しい。
でなければ、没落への憧れとも云われかねない。
そんな今日この頃だ。
長々とご覧いただきましてありがとうございました。