そんなに哲学を知らない人間が・・・哲学だとか単語を引っ張り出して来るのは、
何だか、おこがましいのですが・・
ではどうやって、概念を変えていくべきなのか
世界は地球温暖化を叫んでいます。
昨日の「2030」という地球環境の岐路を訴える番組でも、
2020年から30年までのわずか10年間の人間の行動で、二酸化炭素排出量が変わり、
その結果、現在は1.2℃の上昇だが、上昇が1.5℃を超えると、
気候に対して深刻なダメージを与えてしまい、
人間が快適に暮らすことが出来ない程に、戻れない状況まで悪化してしまうという
危機を訴える番組構成でした。
かなり煽っていたな~という印象です。
産業革命によって、石炭そしてガソリン、そして核エネルギーと
エネルギー需要と供給は飛躍的に増え、世界の人々は、今後ももっと必要を訴えるでしょう。
そんな人間の欲望の中で、脱ガソリンをしてみても、結局はエコという名の下に、
更に電池生産などの副次的二酸化炭素量の増加へと繋がり、
見た目上の悪の枢軸の対称が変わるだけに過ぎません。
こんな辛口なコメント書きましたが、きっと多くの人も薄々と気が付いている事と思います。
先進国のテクノロジーを傘に新産業分野を生み出し、
後進国はついて行けないからガソリン車を作り続けなきゃいけない。
結局、ガソリン車も減らず、エコという名の二酸化炭素を増やすだけで、
結果的に二酸化炭素を増やしちゃうんじゃないの?って
やはり、本当に地球の事や孫やひ孫の時代を考えるなら、
地球に負担を掛けない施策を根本から見直して、
実践しなければならないのではと思うのです。
縄文生活に戻れという訳ではなく。
「足るを知る」生活というのでしょうか?
車は一人1台か一家に1台とか?(自分に言い聞かせているかも)
動的資産は減価償却票のように、一覧できるようにして、それ以上は持たないように管理すれば、
無駄を省くことが出来ます。
フェラーリ・ベンツ・レクサス・バイク5台とか?個人所有で要らないでしょ!
売る側としてはありがたいお客さんですけど・・・
↑
いっぱい持っているお金持ちの方ごめんなさい ← 持ってない男より皮肉を込めて・・・www
問題は過疎化の村の老人の足をどうするか?村中にシェアカーを走らせて、
タブレットでボタンを押して、必要に求めて・・・病院やスーパーに5分以内に配車できる
タクシーサービス網が整備されれば、不満なく、全て公共機関での生活が可能となり、
老人は車を持たなくても良くなります。
そういうシェアシステムネットワークづくりに金をかけて、構築すれば
理想的なのではないだろうかと思います。
まぁ~そういう風に必要最低限生活を、先進諸国から初めて、
脱プラスチックでリサイクル可能な木材での器生活や
米や芋を食べたりする多糖類生活で、甘いものをなるべく減らして病気を減らしたり、
水も一人一日100L制限をかけて、大事に使うようにするとかすれば
先進諸国をマネする後進国も、次第にそれに移行するかもしれません。
その意識改革を行う時、最も大切なのは抑制に当たる制限ではなく。
それがカッコいいのだ!それの方が正しいのだ!
と思わせる思想なのだと思うのです。
ウンチは臭いという概念を、ウンチで育てた野菜の方が健康的で、
見た目が綺麗な化学肥料で育た野菜は危険であるという風に、
ウンチは安全という哲学によって変えていくしかないと思うのです。
つまり、環境を変えたいのならば、人々の意識を哲学によって思想を動かし
健康的な社会と生活、そして次世代の人間の命を守る
という使命観を作り上げる事こそが、
人がみずから選択肢を変えて、社会を変えていくのではないだろうかと思うのでした。
新たなるカントの概念の出現に期待したいと思います。
グレタさんは、批判ばかりで具体策も出さないし、怒ってばかりでは人は動きませんよね。
本当は、日本のような先進国であり、信頼できる国から、
世界のベンチマークになる基準が発信できれば、良い影響を与えられそうな気もしますけど・・・・
などと勝手に理想と妄想に一人燃えているのでした。
今回もご覧いただきましてありがとうございました。