過去を語るのは、歳をとってきたから振り返ってしまうのでしょうか?
ついつい、これまでのブログでは、青春の真っ只中、日経平均株価 3万9千円 のバブル時代1990年を
引き合いに出し、ジュリアナ東京を横目に・・・・などと、社会現象を思い起こしましたが・・・
果たして内面はどのようにして形成されたのか?
と思った時・・・
何とも驚きの・・・そうだったのかと今頃になって気付きました。
いつしか
ジェームス・レッドフィールドの書籍の虜となり、人生で初めて出会う
眼には見えないスピチュアルな世界感があるのだと信じていた自分が居た事を忘れていました。
幸福感とも、優越感とも、満足感ともいえないような、精神的に満たされた感情を得る事が出来たのは、
この作者によってマインドコントロールされていたからなのでしょうか?
もしかして、宗教に近いかもしれない・・・このスピリチュアルな世界観は、
言って分かるか不明ですが、丹波哲郎の大霊界の世界観や
テレビで見かける・・金髪のあの方々との世界観とも違い、当時の無垢な心の私にとっては
読み進める毎に・・・乾いた砂漠に水が吸われるように染込んでいく内容でもありました。
当時、統一教会のメンバーと週に一度仕事をしていたので・・・その何でも決まっていて困った事がありませんので、苦労を何故するんですか?という言い方に無性に腹が立ち、悩みバンザイ、悩んでみようぜ?
と云った反抗心もあったからなのかもしれません。
私の小学校時代には学校教育上の道徳という時間はあるものの、何を習ったかの記憶もないのですが
倫理観や道徳観の礎的概念というのは、このシリーズから得たものが多いのではないだろうかと思うのです。
物語に出てくる国ごとによる文化の違いなどを、読み進めていく事によって
日本で当たり前と思っていることも、外国では当たり前ではなく、
親が食事を作り子供に提供するということすらも当たり前ではない
という事が書いてあったことが印象的でした。
そして、何より今でも印象的なのは・・・鬼滅の刃のお館様が話すとフワフワする・・・
と云うような表現の内容で、書いてある内容は・・・完全なる抽象表現。
完全に文章なんですけれども、それがなんとも雲を掴むような感覚と云うのが、この書籍の特徴。
見えないものを見えるように努力する。もしくは本質を見る目を養うというのでしょうか?
これら・・・いくつかの書籍を読んだ中での印象でもあります。
一般的な気功法の練習本のように、
両手の手のひらの1cm空間に温かさを感じるように集中して、
徐々に手を放していっても温かさが分かるように等のように
具体的に書いてくれれば分かりやすのに・・・と思ったことは懐かしいです。
しかし、地球交響曲 DVD 龍村仁監督の世界観も同様に
漠然とした表現から、人それぞれに訴えかけてくる心に響くメッセージという
又は、地球に対して優しくなれるというのか?謙虚になれるというのか?
生命体として、その時まで尊く時間を過ごさなければならないのだなぁ~と
思わされる感覚は似ている所でもあります。
自分の一番清き、汚されたくない部分に普段はカギを閉めて置いておくのですが、
これらのジェームスレッドフィールドと龍村仁さんの作品に触れると・・・
その少しばかりの清き心がくすぐられて、ついぞ聖人君子の如く振舞ってしまい、
まるで、それは黒澤明監督作品を観た人が、映画館から出ると、
途端に肩で風を切ってサムライになってしまったかのような感じにも似ています。
しばらくすると、現実社会によって清き部分に埃がかぶり汚れていく事を嫌って、また金庫へと仕舞ってしまうのですけれど🤪。
人は、強くなれると云いますが・・・そこには確信めいた自信というか・・
何かが無ければ強く生きて行くことは出来ません。←偉そうに言ってしまいました。www
この強さとは、青春時代に気づきあげたスピリチュアルな何か?があったお陰かもしれません。
もしくは、アルコールの摂取過剰によって最近アホになってきたのかもしれませんwww
話を戻すと
そういう意味では、ジェームスレッドフィールド教の信者になってしまっていたのかもしれません。
誰しもが、そのような精神の形成段階において、何らかの影響を受けて大人になったであろうと推察されます。
私の心が、ドス黒く薄汚れてきたら、また購入して読んでみようかと思っています。
皆さんは?誰に倫理観や道徳観の影響を受けましたか?
等と話題を振って終わりにしたいと思います。
ご覧いただきましてありがとうございます。