北海道ツーリングへ行ってきました。その7 最終日 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

そういえば昨日の最終にサッポロピリカコタンに行き、アイヌ文様や衣服の変化、祭りごとの飾りなど、また歴史のすり合わせなどをしてきて、本当に有意義でした。
なめてカメラを持っていかなかったことが悔やまれます。
 
札幌でやりたいことはやったので、問題はブーツが臭くて困り果て、仕方なく靴下の上に
ゴミ袋をかぶせてからブーツを履くことにしました。
後にこのゴミ袋は人間を救うことになろうとは思っても見ませんでした。
 
さて本題に戻り、今日は小樽運河を見てないので、
小樽運河を見に高速道路で40分走らせます。
相変わらずの雨なので辛いです。
そして小樽運河に到着しましたが、こんなもんか?と思ってしまい、写真を撮らず
お食事どころのんのんでのんのん定食をいただきます。
ウニ丼3600円とかって俺には無理。
帯広の市場の朝定380円が懐かしいです。
一番安いもので1000円。
致し方なく食べて小樽を後にします。
 
向かうのは二風谷です。
そうです
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
 
どう考えても遠いです。
高速道路を雨の中飛ばしてなんとか10時頃に到着しました。
みなさんが絶賛する博物館はどんなものか。いざー
ビデオで学習タイム。
前日も札幌ピリカコタンで見たものに近いですけど、より長い時間構成になっています。
ーーんなるほど。
山形の米沢ではお鷹ポッポで木を削って細工しますが、似ている作り方なのかどうなのか。
平取町でのアイヌの暮らしなどの資料らしい。
札幌ピリカコタンで勉強してきたので、
・・・この文様はーー道南のコタンのものか?
なんて適当に考えながら見て回ります。
八雲地域や帯広、旭川方面など多岐に暮らした痕跡があるそうですが、いろんな歴史上の迫害があり、文様などごちゃまぜになってしまったらしいのだけれど、それをもう一度復活させようとする機運がるのだけれど、いかんせん言葉がムズガシイ。
今では文様は誰々作といったような扱いを受けて、どこのコタンという意味ではないらしい。
ココに来ると北海道の地名の付け方が分かります。
アイヌといえば踊り、様々な神(カムイ)に感謝を申し上げてから契約をしてカムイを人の世界に取り入れていく儀式が大切とされています。
チベットの民が酒を飲む時大地の恵みに感謝をして土に1滴こぼしてから人間の口に入れることと似ています。
 
日本の古き神社も榊を使ったりするものの、
原点がアイヌ文化のココにあるのかもしれません。
アイヌの男性は髭面で怖いイメージがありますが、女性は以外にも可愛らしいですね。
 
元のDNAは琉球民族と同一ですから・・
ただ縄文人と弥生人に中央を占拠され北と南に分断されてから、言葉も歌も隔絶され独自の文化を形成するようになった訳ですから・・・そう思うと縄文人の子孫である私は申し訳なく思ってしまうわけです。
 
なぜ縄文人の末裔かって?
それは顔に肝斑ができるからさ!テレビでやってた話です。
弥生人は日に浴びてもあまりシミや肝斑などはできにくい美白の顔を持つんだそうです。
シミだらけの私はまさしく縄文人。
でもいいんです。
縄文人は器用で忍耐強く骨格も強くできているんだとか。自画自賛
 
二風谷を出て一路、函館に向かい青森に渡ります。
これは青函フェリー乗り場からの夜景です。これで北海道を離れます。
 
ブラキストン線をまた超えます
長らくご覧下さりありがとうございました。
 
それでは See You !