12月から始まった我が家での新企画

「子ども達の傲慢さをなくし、独立性を養い、

思いやりと責任感のある子ども達に育てるために、

一ヶ月一つの目標をたて、それに向かって

家族で取り込んで行こう!」も三ヶ月目となりました。

(一ヶ月目の記事はこちら、二ヶ月目の記事はこちら


今月の目標タスク:バスルーム掃除です!

段々ハードになってきました。

私にとってです。笑

完全に手放しで息子達に任せるのが

段々ハードになってきました。苦笑


先月の茶碗洗いは、私が

次男のセイの洗わなかったも同様の食器を

センサティブな心が傷つかないようにと

セイが寝た後でこっそり全部洗い直したりしたのですが、

今月はトイレ、バスタブ、洗面台と

やはり、後からこっそり磨き直すのかなぁ

と思ったりしています。えー


長男のシュンは2歳年上なだけで

セイより茶碗洗いもバスルーム掃除も

きれいに出来ています。

年齢ではなく、性格の違いでしょうか。


 


一つ、目に見えて変わったのは、子ども達の態度です。

家事をすることに対して、

嫌な態度を取ったり、文句を言わなくなりました。

普通に生活の一部となって来ているようです。



家族の一員として責任をもって、家事を生活の一部として

積極的に取り組むことが本来の目的。

ちゃんとピカピカに茶碗を洗えるか、


トイレや洗面台を磨けるか、が今の目的ではないので、

細かいところは目をつぶって、

手を出したいところは、自分の手をぐっとつかんででも

子ども達に手放しで違うタスクに挑戦してほしいと思います。


そして、責任感だけではなく、

自分でこれができた!という自信も段々ついてくるのを願って。

母として段々ハードとなってきたこのプロジェクト

めげずに続けて行きたいと思います。かお









朝、日曜礼拝に私はプンプンしながら出かけました。

日曜の朝に限って、、、試されるものです。

日曜の朝はサタンの試探が特によく働くのは知っていますが、

今日はそれに打ち勝つよりも、

自分の怒りに浸っていたかった気分でした。

「神さま、今日だけわがまま言わせてぇ~!」

と神様にわがまま言いながら、怒りを発散し、

教会まで車を走らせました。


でも、そんなわがままな私にも、神はいつも通り

私の霊に必要な糧を与えてくれました。


マタイによる福音書第13章で、イエスはこう語っています。

「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。 

また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。 

高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。」


「あなた達は、イエスにある宝を見つけた。あなたは、その『畑』を買いたいと思うか。」 

「全力投身でイエスと歩む覚悟はあるか。」

牧師さんの質問を、私も自分に問いかけてみました。

「宝があるのは、知っていても、自分の持ち物すべてを売って、その『畑』を買う人はどれぐらいいるだろう。」

本当にそうだと思いました。

自分も今まで、どんな気持ちでクリスチャンとして歩んできたか、

考えさせられました。


生温いものだったと思います。

宝の居場所を知っているだけでは、足りないのだと気づきました。

すべてを売って、その『畑』を買わなければ、

そこにある宝は始終自分のものではないのです。



宝が自分のものとなった時の喜びと

宝を発見しただけの喜びは

匹敵できないと思います。


神はアブラムに言われました。

「アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう」

創世記15章1節

すべてを売って、その『畑』を買いたいと思いました。
日はとても暖かく感じます。

マイナス5℃ですから! 笑



人の感覚って面白いですよね。

マイナス20℃以下をずっと経験していると

マイナス5℃がすごく暖かく感じます。


さて、今日は頭にまとまったアイディアが

あるわけでもなく、何が書きたいかということも

はっきりしないまま、今このようにして

コンピューターに向かって鍵盤をたたいている次第です。苦笑


書くネタがなく、書けないでいるのはわかるけど、

書きたいことがありすぎて、書けないでいることも

あるんだなぁって気づかれました。


最近、色んなことを考えていて、

脳みそがオーバーロードで

頭の中がぐちゃぐちゃで整理されていなく、

爆発しそうな状態なのですが、

何も出てこないという事態であります。・・・・


「言葉ありすぎて、言葉足らず」の状態

と言う矛盾した感じでしょうか。


ニ週間ほど前にFBのあるクリスチャングループに参加しました。

キリスト教には最初から英語で接しているため、

日本語でのボキャブラリーなど全然分らなく、

日本人クリスチャンと繋がる事ができるのも一つですが、

キリスト教について日本語で伝えることができるための勉強

になると思い、参加することにしました。


この二週間で意見や観点の違いでちょっとした

論争になった投稿がいくつかあり、色んな意見が交わされたのですが、

それで、ただ「傍聴」していた私も色んな事を考えさせられました。

レスをしたかった時もあったのですが、

自分の考えを言葉にきちんとできないでいるのが

とてももどかしく、フラストレーションを覚えました。


でも、もっと深く自分を問いつめてみれば、

自分の思想を言葉で表現できなかったもどかしさの他にも

自分の考えを言う勇気がなかったという事実の方が

私を惑わらせていたのではないだろうかと思うのです。


論争が続くに連れ、コメントしている人達が

感情的になってきたのも明らかで、

「人に悪く思われたくない」

という気持ちがあったのは事実です。

言いたいことが沢山あったのに、人の批判を恐れて、

自分が信じていると主張し続けてきた
真理も教理も

一言も言えずにいました。


共感をもつコメントに「いいね」しか押せなかった臆病者でした。



「コメントしている人が、もう自分の心の内を言ってくれているのだから」

とか

「日本語でなんと言ったらいいか分らないし」

とか、

口実を探そうと思えば沢山見つかります。

ですが、奥深くにあるのはやはり「恐れ」という気持ちだったと思います。


そんな状況だったので、今日のデイリーブレッドを読んで、

「目を覚ませ!」とビンタされた気分です。


ジョンルイスがキング牧師率いる1963年の

公民権運動に参加したのは23歳の時でした。

50年近く後、キング牧師のかの有名な「I HAVE A DREAM」演説

を聞いてどんな影響を受けたかとインタビューされた時、

ルイスは、

「あの演説を聞いたあと、何も無かったかのように元の生活に戻ることはできませんでした。何かをせずにはいられなかった。とにかく行動を起こさずには…。良い知らせを伝えずにはいられませんでした。」

と答えました。 (全文はこちら


聖書の中でも、イエスと出会った人は、

何かをせずにはいられませんでした。

良い知らせを伝えずにはいられませんでした。


サマリアの婦人も、

水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、 
「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。           
ヨハネによる福音書 4章28-29節


イエスに癒してもらったらい病の人も、


自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。
ルカ書17章10-11節


この他にも数えきれないほどのストーリーがあります。


自分の人生に福をもたらしたもの、自分を救ってくれたもの、

他人の人生に福をもたらすもの、他人を救えるものがあると信じるなら、

何もせずにはいられないのではないでしょうか?


サマリアの婦人やライ病の人のような興奮を覚えるはずではないのでしょうか?

人の目を気にしているのはまだ未熟なのではないでしょうか?



他人からの批判を受けつつも

キリスト教の真理を伝えつづける

兄弟姉妹達の信仰の堅さに私も見習いたい、

そう反省し、励まされた2週間でした。

神の望むことを私も望みたいから。

それは一人でも多くの人が神のもとに帰ってくること。




日はちょっと重い内容になるかもしれません。


昨日の記事でお祈りのリクエストのうちの一つであった

闘病中のAさんが昨夜8時45分(こちらの時間)、

お亡くなりになりました。享年36歳です。


思ってみれば、Aさんとはもっと早くに知りあえたはずです。

Aさんは、昔の教友のご近所さんで、

同じく日本から来たということで、

教友からAさんという人がいるということは聞いていて、

癌になったことも、三人目を妊娠、出産したことも聞いていました。


ずっと、会えればいいなと思っていて、

会える機会を待っていたのですが、

別の教会に移る事になり、

それ以来、Aさんの事は頭の奥にしまわれてしまいました。


それから1、2年経ち、私がお手伝いをしている

レディースランチを通して、去年Mさんと知り合いました。

Mさんのお家に二回目に招待された時、

Aさんと初めて会いました。

MさんとAさんは、とても親しい友達だったのです!

世界は本当に小さいですね。

というか、今住んでいる田舎の白人の町に

日本人はそんなにはいないので、

自然とみんな知り合いになってしまうからでしょうか?


初めて会うAさんは、笑顔いっぱいで、明るくて、

かつらをかぶっている事には気づきましたが、

すごく痩せていた以外は、癌と闘病していることも

分らないくらい、ピンピンしていて、

「治療がうまくいったんだ。」と心の中で思っていました。

私が先に失礼することになり、Aさんが車をよけてくれて、

離れる間際にとてもスィートな笑顔で手を振ってくれました。


あれが、最初で最後のAさんとの対面でした。

Aさんのあの時の笑顔は、今でもはっきりと脳裏に浮かんできます。


それは、4ヶ月前と経たない時のことです。

あの時にみたAさんからは想像できないくらい、

彼女の病気の悪化は速く、12月には一度日本に帰国し、

西洋医学ではもう手のつくし様がないため、

漢方やヒーリングに希望をかけたみたいです。

実は、おとといも日本に再び出発する予定でしたが、

空港で救急車に運ばれて

住んでいるこの町の病院に入院することになったのです。


Aさんと過ごした時間は、たったの一時間半足らず。

それでも、彼女の人柄がよく伝わってきました。

話を聞いていると、AさんとMさんの知り合いの中には

Aさんから声をかけて知り合った人が多いみたいです。

去年の7月に日本から来たばかりのYさんも

Aさんがスーパーで見かけて、声をかけたから、

みんなと知り合いになれたそうです。


私は、友達をつくることに抵抗はないのですが、

白人のこの町でアジア系の人に会っても、

怖じ気づいてさーっと通り過ぎてしまいます。

今までも何度か日本語を耳にしたことはあったのですが、

誰かに声をかけたということはなかったです。


だから、よけいにAさんの人懐こさ、

とてもフレンドリーなところがすごいなぁって思います。


Aさんみたいな人がいるから、友達の輪も広がり、

人とのつながりも出来て行くんだと思います。


私もAさんのことを初めて聞いたとき、

友達に「じゃ、今度紹介して!」

って図々しくお願いするべきだった

と今になって後悔しています。

Aさんと、もっと早くに知り合えたはずです。


そしてイエスのこともシェアできる機会があったはず。


この冬、一番寒いこの二日間(-35℃)ですが、

この悲報は、心の中まで寒さを射し込んできました。

私がこんな思いなら、

ご家族の皆さんはもっと痛い思いをしていることでしょう。

Aさんのご家族のために祈りつつ、

彼女の精神に習って、今度からもっと周りの人に

目を向けたいと思います。

Aさんのご冥福を祈って。

『主よ、どのようにして、困っている人の負担を減らし、仕えることが出来るか、教えて下さい。あなたの愛を反映した愛と憐れみの心を与えて下さい。そして、それを行動に移せるよう促して下さい。』
デイリーブレッド 1月7日の祈り

近、私達の身の周りでは、

色んな人が色んな困難に面しています。


創業して財務状況に赤信号が出てしまっている上、

管理方面でも問題が出ている友達夫婦。

ストレスと心配で、夜もなかなか眠れず、食欲もなく、

その上、毎日長い労働時間と、心身ともに疲れきっています。


それから、モルヒネで朦朧として、腹水と激しい痛みに苦しみながら、

末期癌と闘っている知り合いの若いお母さん。

自分が自分でなくなっていくことがこの上なく辛い上、

3人の幼いお子さん達(1歳半から5歳)のことも心配な筈です。


そして、お隣さんのおじいさんが自分から名乗り出て

屋根の修復をしてくれた際に屋根から落ちてしまい、

一ヶ月後に亡くなってしまったことで、

そのおじいさんの家族から賠償金日本円一億近く

で訴えられている
知り合いの友達夫婦。


どれもが心に重い負担です。


すごい親しい知り合いという関係でもないので、

図々しく押しかけるわけにもいかなく、

自分はどんなことが出来るのかと考えていた矢先、

今日のデイリーブレッドで、神からの背中を推された思いです。


「だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。」 

ガラテヤの信徒への手紙 6章10節


この知り合い達とその家族に神の平安があり、

面している困難が無事解決されることを祈りつつ、


食事でも、子どもの世話のお手伝いでもできればと思っています。

皆さんもこの知り合い達のことを心に覚えて、

祈っていただけたら嬉しいです。


「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。 ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」

マタイによる福音書 18章19-20節