”デイビスはハンコックを叱ったり、恥をかかせたり、イメージどおりの演奏ができなかったと責めたりしませんでした。彼は、自分の予定をさらりと変更して、最悪の状況になりえたミスを、素晴らしいことに変化させました。”
Julie Ackerman Link デーリーブレッド 1月6日

さんは失敗したぁ!って思った事ありますか?

人間なら失敗は付き物ですよね。

私も思い出したくない失敗談が山ほどあります。えー


今日のデーリーブレッドで Julie Ackerman Linkさんは、

ジャズピアニストのハーニーハンコックさんが

駆け出しの頃、もう既に音楽界のレジェンドと呼ばれた

マイルスデイビスさんとの演奏会で、

デイビスさんの見せ場であった、

トランペットのソロに近づいた所で

間違ったコードを弾いてしまった失敗談について書きました。


ですが、“デイビスさんはハンコックを叱ったり

恥をかかせたり、イメージ通りの演奏が出来なかった

と責めたりしませんでした。彼は、自分の予定をさらりと変更して、

最悪の状況になりえたミスを、素晴らしいことに変化させました。”


なんて模範的なリーダーでしょう!
 

でも実は、主は常に私達の間違いに対して、まさに同じ対応をしてくれています。

「あなたの神、主はあなたのために、そののろいを変えて、祝福とされた。あなたの神、主があなたを愛されたからである。」 
申命記 23章5節

神からのこのような憐れみ、恩恵を受け取っている私達は、

今度は身の回りの人達にも同じ対応をするべきではないでしょうか?


そう考えた時、自分の傲慢さ、情けなさが痛いほど見えてきました。

特に子ども達に対して、、、

子ども達が間違いを犯した時、自分はどのように対処しているか?

その機会を利用して、間違いを美しい、素晴らしい何かに変えているか?


いや、やはり、叱って責めて終わる方です。


叱られ、責められたら、どんな行動に出ますか?

やはり、自己防衛の体勢にでてしまいますよね。

そしてきっと罪悪感からその人には近寄らなくなると思います。

さらに、自己嫌悪に陥ったり、最悪の場合、

自分は価値のないものだと思い込む可能性もあります。


自分にはその人に会わせる顔がない

と思ってしまえば、その人との関係に距離が出てしまいます。


ですが、その人がデイビスさんみたいに

対応してくれたら、どうでしょう?

きっと、感謝、感激の気もちで

いっぱいになるのではないでしょうか?

そして、その人の前では本当の自分でいられます。

失敗しても、ありのままの自分を受け止めてくれる人、

人生の中でそんな人と出会えただけでも幸せなことですよね。


そう考えた時、神はありのままの私達を受け止めただけではなく、

私達が受けるに値しない恩恵も祝福も、

少しも保留することなく、毎日注いでくれています。


実際、私が本当の「愛」とは何か、と分るようになってきたのは、

神の偉大な愛を心に感じてからです。

神が自分をどれだけ愛してくれているか

それが分った時、感謝、感激の気持ちでいっぱいになりました。


今日のデーリーブレッドを読んで反省しました。

これからは、子ども達の間違いを

素晴らしいものに変えて行けるよう

意識していきたいと思います。


子ども達には、ありのままの自分でいてほしいし、

自分は価値のないものだと絶対に思ってほしくないです。


「親」というのは、一種の「リーダー」だ

と再認識した今朝でした。

"The world is round and the place which may seem like the end may also be the beginning.                      Ivey Baker Priest


新年早々、素敵な言葉に出会えたなぁ

と感慨した元旦でした。

新年に新しいデボーション!

と本棚にある本の中から

"Daily Word for Women - 365 Days to Love, Inspiration, and Guidance"

を選び、一日目を開いたところで

Ivey Baker Priestさんの言葉が

真っ先に記述されてあるのが目に入ってきました。


今までで、かつて終点だと思った時に

そのまま終点にしてしまったのと

諦めずに歩みつづけた時のことが

次々と脳裏に浮かんできました。


地球が球体だと発見される前、

人々は地の果てが存在すると信じていました。

そしてずっと行き続けると

地の果てから落ちると信じていました。


「果て」にたどり着いたと信じて疑わなかった私は、

そこから一歩でも先に進めば、確実に墜落する

と信じて、「ここで終わり」

と引き返したことが数えきれないほどありました。


でも、私が知らなかったのは、

自分が「球体」の上にいたということ。

一歩先にある険しい『崖』は存在しなく、

「終点」だと信じて引き返した先にあった

素晴らしいもの、たとえば改善された人間関係、

心からの喜び、試練を乗り越える事から得られる強さ、

を経験せずに返って来てしまったのです。


私達の知識には限りがあります。

科学がこんなに発達した現代でも、

まだまだ人類が知らない事が沢山あります。


自分では「終点」だとしか思えないところでも、

実は、次に繋がるスタート時点であるのかもしれません。

「終点」だと決めつけて、諦めたりする前に

祈りや、聖書に記されている御言葉を通して

主の意志を求める、そして従うことがいかに重要か

考えさせられました。 なぜなら、


「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」      
エレミヤ書 29章11節


例え、困難にあっても、試練の真っ最中でも、

神のこの言葉を信じて、一歩一歩前に進むことで

希望と心からの平安、そして本当の喜びに近づいていくのです。



「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」        
フィリピの信徒への手紙 4章6-7節


2015年、「終点」が「スタート時点」に変わる一年でありますように。


けましておめでとうございます。

2015年いよいよ始まりましたね。



さて、年明けとともに、

12月から実行し始めた企画

子ども達の傲慢さをなくし、独立性を養い、

思いやりと責任感のある子ども達に
育てるために、

一ヶ月一つの目標をたて、それに向かって


家族で取り込んで行こう!」

の一ヶ月目も終わり、二ヶ月目に突入しました。

(企画の詳しい内容については「実行開始」のエントリーへ!)


ボチボチと経過をアップする予定でしたが、

12月は思ったよりもず~っと忙しくて

なかなかブログを書く時間をもてませんでした。


結果から言うと、ビックリするくらい、

本当に一ヶ月目で変化が見られました。

一ヶ月目は身の周りの整理整頓が目標でした。

毎日、同じことを繰り返していくうちに、

良い習慣が身についていったみたいで、

朝起きた後は、言われなくとも

ベッドをきちんと整理しているのが見られるようになりました。

 

一ヶ月後の今日、開始前よりだいぶ改善されました。

たまに服などを置き去りにしたりすることはありましたが、

全体的に、パスできる程度の状況でした。

7ドル50セントから始まったご褒美も

月末には2ドルほどしか減っていなく、

息子達も少ないながら、お小遣いが増えたことに大喜びでした。


ということで、一ヶ月目の目標を保ちつつ、

二ヶ月目は食器洗い/食器を片付ける

ことが加わります。

一週間毎に食器洗い/食器を片付ける役割を

交代するということで、二ヶ月目が始まりました。


今までもたまにお手伝いをお願いしたりしていましたが、

これが自然と日課になるように、

そして、私が手助けをしなくても

ちゃんとマスターできるようになれれば

と願っています。


2ヶ月目の2日目ですが、いい調子です。




このまま、先月と同様、

良い結果が出ることを期待したいです。



「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない。」

箴言 22章6節

週の土曜日、12月20日に

6日に亡くなった小母の告別式がありました。

小母は母の妹で、10人兄弟の中でも

母と一番親しかった姉妹でした。

母より一歳年下で、母が20数年間、家族から離れて

一人で日本にいる間も、ずっと頻繁に連絡をとっていました。

母の兄弟は今では、残り5人となりましたが、

この小母が亡くなったのは、母にとって

格別に衝撃が大きいだろうと思っていました。

実際、電話を通して、母の痛みが痛いほど伝わってきました。


小母は、末期がんだと分ったあと、

従妹と叔父の通う教会に通い始め、洗礼も受けました。

ですので、告別式は教会でクリスチャン形式で行われました。


今日、母から電話が来た時に、告別式について聞いてみると、

「みんな、すごく落ち着いていて、__(従妹)も全然平静だったし、

褒辞の中にも冗談が混じっていて、一番泣いていたの、私だけだったかも。」

と言っていました。


う~ん、思っていた通りの告別式だと私は思いました。

クリスチャンのお葬式に出席したことのある人なら

想像できると思いますが、家族の方が笑顔でいられるのも、

笑いがあることにも驚かれるのではないでしょうか。


悲しみはあるものの、

その人が今、天国にいて、神様のそばにいて、

私達のいるこの地上よりも遥かに素晴らしい所にいて、

苦しみもなく、悲しみもなく、これからは、涙を流す事もない、

それこそ、極楽にいることが疑いもなく確信できる。

お別れも永別ではなく、一時でしかないので、

いつの日か、また再会できるという希望があるから

悲しみの中にも平安、そして喜びがあるのです。


 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。 
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。 
ヨハネの黙示録21章3-5節


また、天国について、聖書では、このように述べています。

その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。 城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、 第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。  十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。  都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
ヨハネの黙示録21章11節、18-26節

今日はクリスマスイブです。

今年もクリスマスを祝う日がやってきました。

イエスは、私達に神の用意してくれた「都」への

招待状をくれるためにやってきました。

神は愛だということを伝えるために生まれてきました。

クリスマスイブの今日、クリスマスである明日、

イエスの愛、神の愛が一人でも多くの人の心に届くことを祈って。
ぅ~、やっと一段落つきました。

息子たちの学校のバザー、

教会の子ども達のクリスマスパフォーマンス、

学校のクリスマスコンサート、

学校でのクリスマス会でのお菓子交換

などなど、今月は恒例のごとく、

イベントの絶えない日々を過ごしています。

(おかげでここ一週間、不整脈がまた出てきました。・・・・


こんな12月ですが、今年最初のクリスマスパーティーで、

昨日、14年間のカナダ生活で初めての日本人のお友達と

彼女の家族を家に招待し、お鍋を囲んでの楽しい時間を過ごしました。

彼女手作りのシフォンケーキがとても美味しかったです!

二切れも食べてしまいました。キャッ☆

これしか残っていません。㊦㊦( ̄^ ̄



まだまだクリスマスイベントが続きますが、

(あと、7~8つくらい)

とりあえず一段落ついたところで、

今日はゆっくり休んでいます。


と言えば、聞こえが良いですが、

実は、寝坊してしまったので、教会にも行かず、

朝からダラダラと過ごしています。苦笑

まっ、エネルギー補給ということで。笑

みなさんも忙しい中、休みをとることを忘れずに!