ちに待った「War Room」がついに上映開始です。

夜勤の夫に申し訳なかったのですが

近くの小さな映画館で息子三人と見てきました。


末っ子のユウにはやっぱり難しい内容だったようですが、

お兄ちゃん達は、予期していた以上に楽しめたようです。


小さな町の小さな映画館。

観客の半分くらいは友達や知り合いで、

ほのぼのとしていて、とても温かい感じがしました。



さて、映画の内容ですが、

不動産業に携わっている、エイジェントのエリザベスは、

クライアントであるクララおばぁさんに導かれながら、

幸せでない自分の婚姻生活のために闘います。



会えば、けんかばかりで、ストレスばかりがたまっていく夫婦関係。

二人とも仕事に没頭して、一人娘のことにもあまり関心を示さず、

家族関係は悪化していくばかり。


態度も冷たく、優しさも思いやりのかけらもない夫に

エリザベスもほどほど愛想がつきていきます。

そんな夫に服従どころか優しくすることもできない。


ところが、クララおばぁさんは、

「夫のために祈ったことはあるの?」と聞き、

「けんかする時間があるなら神に祈りなさい。」と厳しく指摘します。

「あなたは闘う相手を間違っている。」とも。

エリザベスの闘う相手は、夫ではなく、悪の力であるべきだと。

エリザベスと夫の仲、エリザベスと神の関係、そして

エリザベスの家族を引き裂こうとする悪の力が本当の敵だ、

とクララは言います。


クララの励ましのもと、エリザベスは、

もう一度自分の婚姻のために闘うことを決心し、

クララのように、クローゼットを「War Room」に変えて、

夫のため、娘のため、そして家族のために祈り始めました。


このシーンを観ながら、懐かしさがこみ上げてきました。

私もかつて同じ道を辿って来たから。

War Roomこそは設けませんでしたが、

夫は「敵」ではなく、本当の敵は他にいると気づき、

プラン変更をした時のことが思い出されました。(笑)


誰もが無意識的にしてしまうように、エリザベスは夫を変えようとしてきました。

でも、妻としての仕事は、夫を尊重し、愛し、夫のために祈ることであって、

夫を変えることではない、と悟り、

自分の責任以外のことは神に委ねて、ヤコブ書に書かれてある

神のみことばを信じ、自分は祈りを通して闘うことを決心したのです。




「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」

だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます。神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。

ヤコブ4:6-8



童話のハッピーエンドは、実際の世界ではただのスタート時点に過ぎない

ということを大抵の人は、結婚後に初めて知るのではないでしょうか?

童話の中の主人公たちのように、ハッピーエンドの後はバラ色人生が

待っているということではない、と結婚後に気づく人の方がたぶん多いでしょう。

私も、うまくいく夫婦関係は、経営あってのものだと知ったのは、結婚後でした。

(結婚前に既にその事実を知っていて、心の準備が出来ている人は幸いです。)


だから、イライラしてしまうのも、不幸せだって思うのも、

襲ってくる失望感も、相手のせいだ!と思ってしまうんですね。

自分一人なら、どんなに楽だろうって思ってしまいますよね。

同然、闘う敵も、こんなみじめな目に会わせてくれた夫であったり、

妻であったりと思う訳です。


ところが、もちろん相手にも直さなくてはならないところはあるかもしれませんが、

それを口実として、夫としての責任、妻としての責任を

怠ってもよいというわけではありません。

それでは、誰もが負けてしまいます。

そして、自分が幸せになれるわけでもありません。

いや、どちらかと言えば、逆でしょう。

本当の敵は、大嘘つきの悪魔だと気づかない限り、勝利はないのです。


今、離婚率が高いのは、間違った相手を「敵」としているからではないでしょうか?

目の前にいるこの人が自分を不幸せにしている原因だと信じてしまったら、

私たちの負けです。悪魔は指一本触れなくとも、私達の耳に嘘をささやくことで、

私たちを自滅させることができます。


そんな負け方をしないためにも、日々神のみことばで身を固め、守ることの重要さを

改めて思い起こされました。


エリザベスのように、自分の敵は夫ではなく、悪の力だと気付いたのが

私にとっての折り返し時点でもありました。

自分の目をイエスに向ける時、いつもなら苛立つことでも、

神からの視点で観ることができるようになります。


相手が悪いのに、なんで私が下でに出なければならないの!

という気持ちが出るのは当然ですが、それにこだわっているうちは、

前に進むことができないはずです。


本当に幸せになりたい人は、ギブアップする前に

矛先が本当の敵に向けられているか確認し、

もう一度闘ってみてはどうでしょう?


「神は謙遜な者には恵みを与える」という言葉を信じて、

自分の闘う目的と相手を見失わずに、勝利への道を一歩一歩、

歩み続けるよう励まされた映画でした。


がつけば、前回の投稿から一ヶ月以上も経っていました。

子供達の新学期が始まってからのこの一ヶ月、

何から何まで忙しく、気持ち的にも落ち着かない日々でした。

そろそろ落ち着くかなぁって思っていたところに

今度はショックなニュースが飛び込んできて、

今ちょっと放心状態です。


迷った結果、やっぱりブログに書こうと思いました。

気持ちの整理にもなるかなぁって思って...

私事で恐縮ですが、付き合ってくれたら嬉しいです。



今日の午後、妹から「母が体の不調を訴えて病院に行った結果

肝臓に癌があるのが発見された」と連絡がありました。

「膵臓にもあるようだ」とのことで、

既に拡散している可能性があるというのです。

明日、精密検査をして、もっと詳しい状態を理解した後、

今後の治療について決める予定だそうです。



こうして実際に言葉にするのって実は勇気にいることだったんですね。



自分の親はいつまでも生きているような錯覚をもっていませんか?

私は、無意識的でしたが、現実な問題として

真剣に考えたことはなかったと思います。

今まで大病することもなく、比較的健康でいた両親のことだから

こんな状況になるのは、あるとしても早くてもあと10年後くらいだろう

なんて気楽に構えていました。そこに飛び込んで来た

予期していなかったニュースをどう受け取るか、複雑な気持ちです。

今太平洋の向こうで入院している母の姿は想像することも難しく、

実感が湧きません。



と、もやもやした気持ちでFBをチェックしていたら、

友達のポストにこの曲のクリップを見つけました


I'm Gonna Love You Through It



癌患者と周りの家族や友達のために書かれた歌。


「最後まで貴女を愛し通す。」

患者にとって、なんて心強い言葉でしょう。

そしてなんてタイムリーな時にこの歌に出会えたのでしょう。

私が落ち込んではだめだ。母のために強くならなくては。

とても励まされました。


状況によっては、台湾へ帰る予定ですが、

今の時点で、私に出来る事は母のために祈ること。

「最も偉大な医者」に母の完治を祈ると同時に、

母が病気を通して、イエスと出会い、イエスを受け入れ、

自分を委ねることで、神から与えられる平安に守られることを。


何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

ピリピ 4:6-7



浦綾子著「残像」読了しました。

この小説は、二つの家庭をめぐる物語で、主人公真木弘子は、

世間体を固守する「事なかれ主義」の父洋吉、

何が起きても動じない、感動のない母勝江、

金銭と物質を「神」とする小悪党の兄栄介、

そして、いつも片隅にいて、静かで気を遣いすぎる兄不二夫

と暮らしています。


物語は栄介によって引き起こされる悲劇から始まります。

女遊びの好きな、無責任で非情、なおかつ冷血な栄介は、

妊娠した、と訪ねて来た紀美子を玄関払いし、

「死にたければ、死んだらいいだろう。」と吐き捨てる。

紀美子は、その言葉の通り自殺してしまったのだが、

栄介は通夜にも、葬式にも、初盆にも

一度も顔を出したことがないだけではなく、懺悔の気持ちすらない。

弘子は、謝罪せずにはいられなく、栄介の代わりに紀美子の家族を訪れる。


物語は、弘子の家族関係と、

弘子と紀美子の家族(父の市次郎、兄の治、従兄の芳之)

の関係をめぐって発展されていく。



栄介の非情さに「実際、ここまで冷血な人がいるのだろうか」

と絶句してしまうほかに、印象に残っているのは、

「赦す」ということです。(これは隠されたテーマの一つであるのでは

と思いながら読み続けました。)



紀美子の父、市次郎は、弘子の詫びを受け入れ、仲良くしていくことで、

紀美子と同い年の優しい弘子の存在に慰められる。

それとは逆に、紀美子の兄、治は、自分の妹を自殺に追いやった

冷血な栄介の妹を赦せないばかりではなく、

復讐(しかえし)をしようと企んだりする。



ストーリーの中で頻繁に浮き出る「赦す」

というトピックについて考えさせられました。


今まで、人を「赦すか赦さないか」

という選択に面したことが一度だけあります。

日常的に例えば、「むかっ!」ときたことに対して

相手を赦すというようなのではなく、

「このままこの人を恨み続けるか、ここで全てを忘れて、前に進むか」

という選択です。


私は、後者を選びました。

聖書にはこんなことが書かれてあります。

イエスの弟子であるペトロがある時、イエスにこう聞きました。


「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」(マタイによる福音書 18:21)


それに対して、イエスはこう答えました。


「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」
(マタイによる福音書 18:22)


七の七十倍。「490回」という答えではありません。

「七」は聖書の中では、「完璧」という意味を持っています。

イエスの答えは、「何回でも」という意味です。

なぜなら、神は私達の罪を全て赦してくれました。

赦してもらった私達になんの資格があって、他人の罪を赦せないと言えるのでしょうか。

イエスは、こんなたとえ話を通して、これを説いてます。



「天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。


決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。


しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。


家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。


その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。


ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。


仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。


しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。


仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。


そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。


わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』


そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。


あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

マタイによる福音書18:23-35


でも、恥ずかしながら、私が「赦す」と決心したのは、

この教理が源にあったからではありませんでした。

一クリスチャンとして、イエスの教えに従う心はもちろんあったのですが、

それよりも、自分が楽になる道を選んだのだと思うのです。


心に恨みがあっては、苦しいのは自分だ。

相手は痛くもかゆくもなく、自分が苦しんでいることさえ

知らないだろう。それどころか、もしかしたら、

悠々と幸せに暮らしてさえいるのかもしれない。

過去に縛られて、身動きの取れない人生を送りたくない。

心が「恨み」という毒で朽ちてしまわないために、

「恨み」を門前払いしたのだと思います。


そんな利己主義な理由で決めた選択でしたが、

神は私の選択を通して、祝福してくれ、恵みを与えてくれました。

おかげで、傷が癒えるまで時間はかかったものの、

「恨み」に心を占領されずに済みました。

それだけでも、神からの恩恵と憐れみだと思って感謝しています。



紀美子の兄、治は「恨む」ことに執着し、

無実で、全く関わりのない弘子に対して、

栄介の妹ということだけで、復讐を企みました。

自分がした苦しい想いを栄介にもしてもらいたい、

そういう一心で、弘子の幸せを妨げようとします。

「目には目を」。頑固として譲らない治は、

弘子の幸せを壊そうとする中、

自分が全然幸せではないという事にも気付きません。

治は、「恨み」の奴隷となってしまい、

自ら自分の心に鎖をかけてしまったのです。

その一方で、父、市次郎は、「赦す」ことを選び、

それによって、心の傷は少しずつではあるが、癒えていきます。


正反対な選択によって導かれる二人の生き方が脳裏に付着したまま、

心の中で「七の七十倍」
と思いながら、私はページを閉じました。


ちの教会と他の地元の教会が主催した

毎年恒例のイベント、Family Fun Festで

「カン落とし」のゲームを担当しました。

「並べては落とされるカンを拾い直して並び直す」

を4時間続けて、昨日の夜は腰痛と頭痛のままベッドに入りました。


今朝起きて、下半身の筋肉痛も加わり、歩くのも、しゃがむのも

ゆ~っくりとしかできなく、普段の運動不足を痛感している今日ですが、

半年程前に予約したアレルギー科の先生とのアポがあったので、

重い体を引きずり、子供達を起こして、支度し、クリニックへと向かいました。

(カナダで専門のお医者さんにかかる場合、平均で数ヶ月待ちなので、

何があっても、行かなくてはなりません。

ちなみに、今日診てもらった先生の次に取れるアポは来年の4月だそうです。)


着いてみると、いつも聴いているラジオチャンネル100.3の

放送ステーションがなんと同じビルの中に!

来る途中も聴いていたので、子供達は、車の中に流れたDJたちの会話が

今自分たちのいるビルの中から放送されているのが

すごく不思議でならなかったようでした。



100.3放送局は111号室にあり、

108号室のアレルギークリニックととても近くで、

クリニックを見つける前に放送局を先に見つけました。


ドアの向こうに、DJのTさんがいるということに

息子たちは、少し興奮していたように見えました。

早朝番組のDJのうちの一人、Tさんは、同じ教会に行っている方で、

スモールグループでも週一で会うので、よけい親しみが持てたみたいです。


さて、今回のアポは、長男のアレルギーの再検査のためですが、

知らないうちにアレルギーを持つようになったようなものです。

幸い、重症な過敏反応を起こしたことがないので、正直

今でもアレルギーがあるのはちょっと信じ難いところがあります。


小さい頃、ビーナッツバターを食べた時はなにもなかったのに、

3年ほど前、ピーナッツバタークッキーを食べた後、

のどがチクチクするとか、ちょっと息苦しい感じがする、と言うようになり、

検査の結果、ピーナッツ、カシューナッツ、ピスタチオに対して

かなりのアレルギーがあることが判り、

以来過敏反応を起こした時のためにエピペン、

今はヴォイスガイダンスのある新型のAllerjectを

家に一つ、学校に一つ、そして長男のリュックに一つ(随時携帯用)と

緊急のために備えています。



これです。上げ上げ サイズもコンパクトで

エピペンよりバックの中にすんなりおさまります。



ところで、針が大嫌いな息子は、一回目の検査では

40個くらいの針のあるスタンプを二つ(合計80個)背中に押されて、

思わず大声で叫び出し、恥ずかしい思いをしました。

待合室で待っていた次男や他の患者さんにも丸聞こえで、

「女の子でもここまでは叫ばないぞ。」とコメントした人もいたそうです。苦笑

幸い、今回は違う方法で検査してくれて、痛くはなかったみたいでした。



でも、とてもかゆかったようです。10分間、かゆいのを我慢。



二分程して、やはり、ピーナッツとカシューナッツの箇所が段々腫れ上がってきて


10分後には、二つとも15mm以上になりました。

8mm以上で陽性なので、15mmはかなりの重症。


治ることもあるので、二年毎に再検査をと言われて、

期待を持って、今回の検査に向かったのですが、

やはり、重症のままでした。 ムムム

その他に、犬や猫、特に猫に対してのアレルギーがあることも判り、

猫好きな息子はとても残念がっていました。ほろり


練習用のAllerjectも頂いたのですが、


これからも使わずに済むことを祈りながら、クリニックを後にしました。

やっぱり、健康第一ですね。
「伝えたい、心の手紙」

という題でのコンテストがあります。

そのコンテストに応募するつもりで書いてみました。

「今は亡き、あの人に心の想いを伝えよう」ということで

思い出や想いを800字程度にまとめた手紙に綴るという内容のコンテストです。

手紙形式に変える必要があるのですが、その前の段階のものを

せっかく書いたので、ブログに残してみたくなりました。

そして、800字制限も無視して、ここではもう少し多く語ることにします。


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 目を閉じると、今でも脳裏にはっきりと浮かぶのは、ガクガク小刻みに震える

祖母の背中。今年もまた別れの日が来た。駅のプラットフォームで見送る祖母は、

泣き顔を見せまいと、私達に背を向ける。そのガクガク小刻みに震える祖母の背中が

遠くに小さくなっていき、見えなくなるまで、私達は汽車の窓から目を離さない。

 日本に移民した私達家族は、毎年冬休みは、祖父母のいる台湾へ帰省した。

妹と私は、一年分のカレンダーを作って、カウントダウン。海の向こうでも、

祖母は一ヶ月前から部屋を掃除したり、布団を出して干したり、私達の好物を買い占め

たり、作り始めたりと大忙し。疲れすぎて体調を崩す事もよくあったそう。

 祖父母と一緒に暮らしたころ、四人姉弟の上の二人である私と上の妹は、

母が幼い弟と末っ子の妹の面倒で手が回らないため、祖父母と過ごす時間が多かった。

寝るのも祖父母と一緒の部屋だった。

 祖母は、その年代の女性からすると、背も高い方で、太ってはいなかったが、しっかり

した体つきだった。子供の私から見て、頼もしさがあった。が、亭主関白な夫にもの静か

についていき、優しさ溢れる、おしとやかな女性(ひと)だった。時代が時代なために、

わりと富裕な醤油工場の長女に生まれながらも、学校に行かせてもらえなかった祖母は、

教育を受けた事がなく、字も読めなかった。

 男兄弟達が博士課程を得てアメリカに移民した中、祖母は、貧しい農家の祖父の家に

嫁ぎ、10人兄弟の長男の嫁として、畑仕事、家事、子育てに人生の大半を費やした。

それでも、性格がにじみ出ているためか、祖母には、気質のよさと優雅さがあった。

 その祖母の手作り料理は、いつも愛情がたっぷり入っていて、心をも温めてくれた。

旧暦お正月の赤餅、元宵節の色団子、端午節のちまき、中秋節の月餅、その他の台湾の

伝統料理。それから、昼寝の後のおやつに出してくれる水飴とビスケットの

サンドイッチ。箸でクルクル巻いた水飴をビスケットで挟んで食べる、その味も

忘れられない。

 その祖母が末期の腎臓がんで入院した。15年前、私がアメリカに留学中のことだっ

た。その年の夏休み、たぶん最後の再会となる思いで、祖母を訪ねて台湾へ帰省した。

腫瘍が大動脈を覆っていて手術が難度である上に、高齢だというのもあり、父は叔父と

小母たちと相談した上で、手術は見送ることに決めた。祖母は、大量のモルヒネで痛みを

抑制していた。体中の筋肉はほとんど落ちてしまい、皮に包まれた骨だけの体となって

しまった祖母は、一回りも二回りも小さく見えた。モルヒネのせいで意識も朦朧として

いて、記憶の中の祖母はどこにもいなかった。

 「アマァ。(おばあちゃん)。」 屈んで、ベッドに腰を掛けていた祖母を下から

見上げた。「この若いお姉さん、誰?」 病室にいた父、叔父、小母たちに答えを求める

祖母。(私のことも忘れてしまったんだ。)私だと小母たちが伝えると、祖母の目に魂が

戻った。と思った瞬間、祖母は泣き出した。涙の伝わる骨ぼねとした頬を両手で覆って。

(思い出した。私のことを思い出した。私の知っているアマァが戻った。)だが、

1分後、いや、30秒だけだったかもしれない、祖母の目から魂が抜けて行った。

私はまた祖母の知らない「若いお姉さん」に戻ってしまった。

 今でも、あの時の祖母の涙は何を意味したのだろうかと思う時がある。私が会いに来て

くれたので嬉しかったのか、それとも台湾に帰ることがなかなかできなかった私が会いに

来たことの意味すること―自分の命がわずかしか残っていないということ―を悟った

のか。いずれにしても、その時の祖母が脳裏に焼き付いている。

 飛行機の窓から見える台湾の街が模型のように段々と小さくなっていくのを見つめ

ながら、私は心の中で祖母に別れを告げた。もうあの震える背中を見る事はない。手作り

料理を食べる事もない。でも、それら全ては私の心の中で生き続ける。祖母との思い出は

心の奥深くに焼き付いている。決して消える事はない。おばあちゃん、今までの私の人生

の四分の一にも及ばない時間しか一緒に過ごせなかったけど、一生分の思い出を

ありがとう。貴女の孫娘に生まれて来れて、私は幸せ者です。おばあちゃんに出会えて、

本当によかった。