回のブログ「ガッチャデイ」を投稿した後

「何か違う」と感じるものがあり、

すっきりしないまま数日経ったのですが、

その何かとは何かに気づきました。



クリスマスはイエスの「ガッチャデイ」を祝う日

と言いましたが、正確には、イエスの誕生日を祝う日

なのですが、なぜイエスの誕生日を祝うかというと、

イエスが誕生したことによって、

私たちが「ガッチャデイ」を持つことができるようになったからです。

(「ガッチャデイ」については、前回の投稿で説明しています。

こちらでどうぞ。)



イエスが降臨し、私たちの代わりに十字架にかけられたことによって、

私達は神のもとに戻り、家族となれるプレゼントの鍵をもらいました。



 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。
エペソの信徒への手紙 1:5



この鍵を受け取り、それによって開かれる扉へ進むかは

私たち個人の意志によります。


迷子になった我が子が自分のもとに

戻ってくる事をどれだけ強く願っていても、

神は無理強いをしません。


私たちが自分の意志で戻ってくるのを

辛抱強く待ってくれています。


もし、私たちが、イエスの血と引き換えにもらった

神の子となれる鍵を受け取り、その扉を開けるなら

天使達は声高々に賛美し、

私たちの「ガッチャデイ」を祝ってくれます。



あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。

ルカ書15:10

今年のクリスマス、

クリスマス一色に染まる世界の心温まるムードに浸るのもいいし、

プレゼント交換にクリスマスパーティーと

楽しさ溢れるクリスマスを過ごすのもよいですが、

それらをエンジョイする中、少し立ち止まって、

クリスマスの本来の意義を考えてみてはいかがでしょうか。



そして、あなたにも差し出されたプレゼントの「鍵」を受け取り、

あなたの「ガッチャデイ」を祝うことができるクリスマスとなることを

心よりお祈りします。



国から女の子を養女に引き取った友人が

先週「ガッチャデイ」2周年を迎えました。


「ガッチャデイ」、 英語では「gotcha day」ですが、

Got you day」= The day I got you.

という意味で、友人の家族がその子を引き取った日、

すなわち、女の子が友人の家族になった日のことを指しています。



私たち家族にも、もうすぐ「ガッチャデイ」がやってきます。

25日、今年のクリスマスから我が家でもガッチャデイを祝う事になります。

男の「子」と女の「子」、我が家族が一気に7人になります。

男子ばかりの我が家に、念願の女の子が!!!

でも、息子たちには内緒です。

今年のクリスマスのサプライズプレゼント。

息子達念願の...子犬。しかも二匹!

クリスマスの朝、驚きと喜びに満ちた息子達の顔がもう想像できます。
顔

それを思っただけで、こっちまでウキウキしちゃいます。
顔


今日の午後、夫とその準備のためにペットショップに出かけました。

娘のための買い物をしているかのように

ウキウキしている私を、笑いながら横から見ている夫に

「もちろん。初めて娘のために買い物をするんだもの。」

と冗談を言っている自分がいました。


でも実は、冗談ではなく、

本当にそんな気持ちになっている自分に

びっくりしていたのですが。


クレート、ベッド、ドッグフード、

ドッグフードと水を入れるボール、

トイレトレーニング用パッド、おもちゃ、

首輪とリーシュ、などを買いそろえ、

帰ったら、どこに隠すか、

息子達にはなんて言うかなど

二人で口実を合わせ、ミッション終了。


25日、我が家最初の「ガッチャデイ」が楽しみです。


考えてみれば、クリスマスは世界中のクリスチャンが

イエスの「ガッチャデイ」を祝う日とも言えるでしょう。

イエスがこの世に人間としてやって来た日。


「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」

ルカ書 2:11-12


イエスの「ガッチャデイ」以来、この世界は変わりました。

闇にあったこの世に、光が射したのです。

そう、イエスがその光です。


「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」


ヨハネによる福音書 8:12




今年のクリスマス、うちでは、トリプル「ガッチャデイ」を祝います。

きっと、忘れられない想い出となる「ガッチャデイ」となるでしょう。







国語には「肩がある」という表現があります。

「男の人は、肩がなければ」とよく聞きます。

人生の中における色んな責任をしっかり担っていける肩を持つことが

男の人たちに期待されています。

そんな「肩」を持って、初めて男の子から男の人と変わるのでしょう。

この日曜日、息子の肩が「変わり」始めたことに気づきました。


日曜礼拝の最後に、黙祷の時間が設けられ、祈っているうちに、

気持ちは穏やかなまま、特別な感情もなく、しかし涙だけはボロボロ、

開いたじゃ口から流れる水のように止まりませんでした。


と、私の肩に手が置かれた感覚があり、すぐに

隣に座っていた長男が慰めてくれているのだなと思いました。

悲しくて泣いているわけでも、何かの理由があって泣いているわけでもないので、

これが、「聖霊に満たされた時のリアクション」の一つ

というものかもしれませんが、

息子には、悲しくて泣いているように見えたのでしょう。

横からぎゅっと抱きしめてくれて、私が祈り終わるのを静かに

そうっと待ってくれました。


この時、息子に対して今まで感じた事のない安心感を覚え、

これからこの子に頼っていけるんだと思いました。

なんて素敵な気持ちにさせてくれるでしょう、自分の子供に頼れるということは!

息子が慰めてくれるのも、自分がすごく安全感を持てたのも

全然予想外のことだったので、びっくりしましたが、心が慰められました。


高機能自閉症を持つ長男のことは、

小さいころから心配事や悩みが絶えませんでした。

特に、成人した後、社会にきちんと入っていけるか、

なすべき責任をきちんと果たせるか、などなど

小さい頃の状況からは全然想像も期待もできませんでした。


大きくなるに連れ、症状は改善されてきてはいますが、

同年代の子達と比べると、やはり色んな面において

チャレンジがあるのが分ります。

特に青年期に入り、少年として多めに見る事ができた事も

これから成人するに連れ、厳しく評価されるようになるでしょう。

そういう意味で新しいチャレンジに面している今日このごろです。


そんな状況ですので、長男のとったちょっとした行動で

心の中に平安が沁み渡り、「神がついているから心配ない」

と神が常に私たちのために働いてくれているということを確信しました。


これからは、息子の肩をどんどん頼っていきたいです。

彼のためにも、それはプラスとなるでしょう。



「母を尋ねて12,077キロメートル」の旅から帰って来て

2週間経とうとしています。

ようやく時差もなくなり、普通に日常生活ができるようになってきました。


今回の旅は、たくさんのブログ記事が書けるほどの経験をしましたが、

なぜか書けずにいます。

気持ちの整理がつかないからでしょうか...


カナダに帰国後、知人たちが「お帰り~!」

と温かく迎えてくれて、「台湾はやっぱり祖国だ」と感じたのにも関わらず、

カナダも今ではやはりホームタウンとなっていることに気づく自分でした。


「お帰り~!」の後に必ず聞かれるのが、「どうだった?」という質問です。

おかげで、ここ二週間、壊れたレコードのように

同じ答えを繰り返している自分です。

よっぽど録音してそれを流そうかと思いましたが...(笑)


でも、答えているうちにハッと思ったのですが、

今回の旅は本当に「祈りの力」に守られた旅だったことを再確認しました。

世界中の会ったこともないクリスチャンたちも含めて、

たくさんの色んな人の祈りのパワーがちゃんと届きました。

それを出発から帰国までずっと絶え間なく経験できたのです。


どうだった?と聞かれたら、忘れずにシェアしているのが

母と3週間、ほぼ毎日一緒に祈ることができたことです。

クリスチャンではない母とは今まで一度も一緒に祈ったことはありませんでした。

なぜ一緒に祈ろうと思わなかったのか、今考えてみれば不思議ですが、

20年前にクリスチャンになった私は、

家族にも伝道したいという思いを抱えながらも、

一緒に祈ることは一度もなかったのでした。


今回も特別計画して行った訳ではなかったのですが、

「私にできることは何か」と祈った時、

「(母と)一緒に祈ろう」という思いが出てきました。

出発前から、今回は神が与えてくれた貴重な機会を逃さない

という決心をしたので、心臓バクバクで緊張しましたが、

実行に移ることができました。


母は一緒に祈らせてくれました。

それからは、家で、病院で、抗がん剤投与の前後特に、

神に母のことを委ねました。

母も頭をさげ、目を閉じ、まだ自分からは祈らないものの、

妹と私が順番に祈るのをじっと聞いていました。

妹からの報告によると、私が帰って来てからは、

妹が祈る終わるとき、「アーメン」と言うようになったそうで、

神の愛を母も感じ始めているのではと思います。


そして、抗がん剤の副作用。

私が行く前に第一回の投与が行われたのですが、

とてもひどい副作用が出てしまい、結局一ヶ月以上の入院になってしまったのです。

嘔吐、吐き気が4-5日続いたため、食べられなかっただけではなく、

脊髄抑制からの赤血球と血小板の大幅な低下があり、

赤血球4袋と血小板1袋の輸血が必要でした。


更に、抗がん剤投与のためのデバイスに

凝結された血がつまったという可能性もあり、

最初から問題だらけの治療が始まったのでした。


最初からこの反応でどう治療を続けるのか、誰もが心配になりました。

ところが、2回目以降の治療では、副作用もなく、デバイスもきちんと機能していて

以後数回にわたって順調に治療が行われています。


二回目以降は母の体が慣れて来たからだ

という意見がもっとも科学的な説明かもしれませんが、

私は間違いなく、祈りの力だと信じています。


「祈り」に守られた旅だったのですが、「祈り」とはなんでしょう?

マーヴィンウィリアムズが、デーリーブレッドの中でこう言ったのが印象的です。

In prayer, God hears more than your words— He listens to your heart.
(3月15日、2015記載 全文はこちらから



「祈る」というのは、「言葉を発すること」ではなく、

神と一緒に時間を過ごし、関係を築くことです。

言い換えれば、友達とカフェでコーヒー片手に話をする感覚です。

だから、神は私たちの祈りを一連鎖の言葉としてではなく、

その言葉に隠された私たちの心の内を聴いてくれているのです。


ただ、その心の内を理解してくれるだけに留まらなく、

自分のことのように思ってくれるのが神なのです。

自分の子供が苦しんでいるのを放っておく親はいませんよね。

愛から生まれる絆を土台とする祈りの力はそれだけパワフルなのです。


ロボットのように、一覧表に書かれた「祈り」の数々を

仕事として「処理」しているのではなく、

一人一人の「祈り」に自分のことのように耳を傾けてくれ、

心から向き合ってくれるのが神です。

捧げた「祈り」を受け止めてくれるのがそんな神だと心から信じるなら、

祈りの力は予想以上に発揮されるでしょう。


今日も神と一緒に過ごすことを忘れずに。








10月20日。

15年前、初めて授かった赤ちゃんにさよならした日。

15年後のその日に、病気の母を尋ねて

一人飛行機に乗って太平洋を渡るのは、

心が重く、本当に複雑な気持ちでした。



ただただ飛行機の中で眠ることができれば、と願う私。

病気の母のことも、15年前さよならしたあの子のことも

考えないように 15時間ひたすら眠ろうと思いました。


結局、半分くらい眠ることができて、

長距離フライトでは、十分にありがたいことです。


子供たちと夫をおいて、一人での帰国は結婚以来初めて。

実は、チケットを取ったときから

すごくナーヴァスになっていました。

普段子供達の世話をしているのは私なので、

びっしり隙間のない、忙しいスケジュールを持つ夫に、

時には分刻みで動く子供達のスケジュールを

世話することができるのだろうか...


そして、結婚後一人で行動する事がほとんどなくなった自分が

一人で帰国することにナーヴァスになっていることにも気づきました。


そんな心配に追い打ちをかけるかように、

なんと出発の数日前に風邪をひいてしまい、

のどがちょっとヒリヒリし始め、だるさも出てきそうな体調に...


ショウガ汁を朝から晩まで休みなく飲み続け、

オレガノオイルのカプセルとビタミンCをしっかり取り、

夜更かしはもちろんせず、無理をしないように、

出発までの数日間をゆったりとリラックスするように心がけました。

そして、顔を合わせた人にも、合わせない人にも祈ってくれるようお願いしました。


神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて、私の申し上げることを聞いてください。
詩篇17:6

主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら
詩篇18:2

私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。
詩篇18:6

これらの御言葉と

You are my strength when I am weak.

という言葉をしっかりと心の中におさめて、

悲しい顔の長男、泣き顔の次男、状況がよく分っていない末っ子と

優しい表情の中にもちょっと寂しさの混じった顔の夫を背に

私は深夜の空港の中、一人寂しく搭乗口へと向かいました。


ここまで来てしまったら、もう何も考えない。

神様に全てを託すのみ。


搭乗時間になったころ、日付はすでに変わっていて、

飛行機はトロントから出る最終便として、

静寂した真っ暗なトロントの空へと飛び立ちました。


7~8時間後、もう眠れなさそうだと思ったころ、

飛行機の窓から外を見てみると

綺麗なオーロラが暗闇の空全体を覆っていて、

「アラスカ辺りかなぁ」と思いながら、

この美しい世界を創造した神の荘厳さに心を打たれました。

と同時に言葉では表現できない平安が心の中に

しみわたっているのを感じました。


わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14:27

イエスが共にいてくれている、という確信からくる平安。

イエスが約束してくれた平安でした。


15時間後、無事に台湾に到着し、

今までで一番スムーズなフライトだったことに感謝し、

出発前の心配も不安も全て跡形もなく

どこかに吹っ飛んだことに感嘆しました。

そして、心配していた体調もだいぶ改善されていました。


神様は再度証明してくれました。

私たちの期待を遥かに越えるかたちで

祈りに答えてくれるのです。

それに、約束を守る神であることも。


日の出前の暗闇の中、台湾に着陸したのですが、

空港を出るころには外も明るくなり、早朝の清々しい空気を満喫しながら、

感謝溢れる気持ちで高速鉄道駅に向かうバスに乗り、

空港を後にしました。