「母を尋ねて12,077キロメートル」の旅から帰って来て
2週間経とうとしています。
ようやく時差もなくなり、普通に日常生活ができるようになってきました。
今回の旅は、たくさんのブログ記事が書けるほどの経験をしましたが、
なぜか書けずにいます。
気持ちの整理がつかないからでしょうか...
カナダに帰国後、知人たちが「お帰り~!」
と温かく迎えてくれて、「台湾はやっぱり祖国だ」と感じたのにも関わらず、
カナダも今ではやはりホームタウンとなっていることに気づく自分でした。
「お帰り~!」の後に必ず聞かれるのが、「どうだった?」という質問です。
おかげで、ここ二週間、壊れたレコードのように
同じ答えを繰り返している自分です。
よっぽど録音してそれを流そうかと思いましたが...(笑)
でも、答えているうちにハッと思ったのですが、
今回の旅は本当に「祈りの力」に守られた旅だったことを再確認しました。
世界中の会ったこともないクリスチャンたちも含めて、
たくさんの色んな人の祈りのパワーがちゃんと届きました。
それを出発から帰国までずっと絶え間なく経験できたのです。
どうだった?と聞かれたら、忘れずにシェアしているのが
母と3週間、ほぼ毎日一緒に祈ることができたことです。
クリスチャンではない母とは今まで一度も一緒に祈ったことはありませんでした。
なぜ一緒に祈ろうと思わなかったのか、今考えてみれば不思議ですが、
20年前にクリスチャンになった私は、
家族にも伝道したいという思いを抱えながらも、
一緒に祈ることは一度もなかったのでした。
今回も特別計画して行った訳ではなかったのですが、
「私にできることは何か」と祈った時、
「(母と)一緒に祈ろう」という思いが出てきました。
出発前から、今回は神が与えてくれた貴重な機会を逃さない
という決心をしたので、心臓バクバクで緊張しましたが、
実行に移ることができました。
母は一緒に祈らせてくれました。
それからは、家で、病院で、抗がん剤投与の前後特に、
神に母のことを委ねました。
母も頭をさげ、目を閉じ、まだ自分からは祈らないものの、
妹と私が順番に祈るのをじっと聞いていました。
妹からの報告によると、私が帰って来てからは、
妹が祈る終わるとき、「アーメン」と言うようになったそうで、
神の愛を母も感じ始めているのではと思います。
そして、抗がん剤の副作用。
私が行く前に第一回の投与が行われたのですが、
とてもひどい副作用が出てしまい、結局一ヶ月以上の入院になってしまったのです。
嘔吐、吐き気が4-5日続いたため、食べられなかっただけではなく、
脊髄抑制からの赤血球と血小板の大幅な低下があり、
赤血球4袋と血小板1袋の輸血が必要でした。
更に、抗がん剤投与のためのデバイスに
凝結された血がつまったという可能性もあり、
最初から問題だらけの治療が始まったのでした。
最初からこの反応でどう治療を続けるのか、誰もが心配になりました。
ところが、2回目以降の治療では、副作用もなく、デバイスもきちんと機能していて
以後数回にわたって順調に治療が行われています。
二回目以降は母の体が慣れて来たからだ
という意見がもっとも科学的な説明かもしれませんが、
私は間違いなく、祈りの力だと信じています。
「祈り」に守られた旅だったのですが、「祈り」とはなんでしょう?
マーヴィンウィリアムズが、デーリーブレッドの中でこう言ったのが印象的です。
In prayer, God hears more than your words— He listens to your heart.
「祈る」というのは、「言葉を発すること」ではなく、
神と一緒に時間を過ごし、関係を築くことです。
言い換えれば、友達とカフェでコーヒー片手に話をする感覚です。
だから、神は私たちの祈りを一連鎖の言葉としてではなく、
その言葉に隠された私たちの心の内を聴いてくれているのです。
ただ、その心の内を理解してくれるだけに留まらなく、
自分のことのように思ってくれるのが神なのです。
自分の子供が苦しんでいるのを放っておく親はいませんよね。
愛から生まれる絆を土台とする祈りの力はそれだけパワフルなのです。
ロボットのように、一覧表に書かれた「祈り」の数々を
仕事として「処理」しているのではなく、
一人一人の「祈り」に自分のことのように耳を傾けてくれ、
心から向き合ってくれるのが神です。
捧げた「祈り」を受け止めてくれるのがそんな神だと心から信じるなら、
祈りの力は予想以上に発揮されるでしょう。
今日も神と一緒に過ごすことを忘れずに。
2週間経とうとしています。
ようやく時差もなくなり、普通に日常生活ができるようになってきました。
今回の旅は、たくさんのブログ記事が書けるほどの経験をしましたが、
なぜか書けずにいます。
気持ちの整理がつかないからでしょうか...
カナダに帰国後、知人たちが「お帰り~!」
と温かく迎えてくれて、「台湾はやっぱり祖国だ」と感じたのにも関わらず、
カナダも今ではやはりホームタウンとなっていることに気づく自分でした。
「お帰り~!」の後に必ず聞かれるのが、「どうだった?」という質問です。
おかげで、ここ二週間、壊れたレコードのように
同じ答えを繰り返している自分です。
よっぽど録音してそれを流そうかと思いましたが...(笑)
でも、答えているうちにハッと思ったのですが、
今回の旅は本当に「祈りの力」に守られた旅だったことを再確認しました。
世界中の会ったこともないクリスチャンたちも含めて、
たくさんの色んな人の祈りのパワーがちゃんと届きました。
それを出発から帰国までずっと絶え間なく経験できたのです。
どうだった?と聞かれたら、忘れずにシェアしているのが
母と3週間、ほぼ毎日一緒に祈ることができたことです。
クリスチャンではない母とは今まで一度も一緒に祈ったことはありませんでした。
なぜ一緒に祈ろうと思わなかったのか、今考えてみれば不思議ですが、
20年前にクリスチャンになった私は、
家族にも伝道したいという思いを抱えながらも、
一緒に祈ることは一度もなかったのでした。
今回も特別計画して行った訳ではなかったのですが、
「私にできることは何か」と祈った時、
「(母と)一緒に祈ろう」という思いが出てきました。
出発前から、今回は神が与えてくれた貴重な機会を逃さない
という決心をしたので、心臓バクバクで緊張しましたが、
実行に移ることができました。
母は一緒に祈らせてくれました。
それからは、家で、病院で、抗がん剤投与の前後特に、
神に母のことを委ねました。
母も頭をさげ、目を閉じ、まだ自分からは祈らないものの、
妹と私が順番に祈るのをじっと聞いていました。
妹からの報告によると、私が帰って来てからは、
妹が祈る終わるとき、「アーメン」と言うようになったそうで、
神の愛を母も感じ始めているのではと思います。
そして、抗がん剤の副作用。
私が行く前に第一回の投与が行われたのですが、
とてもひどい副作用が出てしまい、結局一ヶ月以上の入院になってしまったのです。
嘔吐、吐き気が4-5日続いたため、食べられなかっただけではなく、
脊髄抑制からの赤血球と血小板の大幅な低下があり、
赤血球4袋と血小板1袋の輸血が必要でした。
更に、抗がん剤投与のためのデバイスに
凝結された血がつまったという可能性もあり、
最初から問題だらけの治療が始まったのでした。
最初からこの反応でどう治療を続けるのか、誰もが心配になりました。
ところが、2回目以降の治療では、副作用もなく、デバイスもきちんと機能していて
以後数回にわたって順調に治療が行われています。
二回目以降は母の体が慣れて来たからだ
という意見がもっとも科学的な説明かもしれませんが、
私は間違いなく、祈りの力だと信じています。
「祈り」に守られた旅だったのですが、「祈り」とはなんでしょう?
マーヴィンウィリアムズが、デーリーブレッドの中でこう言ったのが印象的です。
In prayer, God hears more than your words— He listens to your heart.
(3月15日、2015記載 全文はこちらから)
「祈る」というのは、「言葉を発すること」ではなく、
神と一緒に時間を過ごし、関係を築くことです。
言い換えれば、友達とカフェでコーヒー片手に話をする感覚です。
だから、神は私たちの祈りを一連鎖の言葉としてではなく、
その言葉に隠された私たちの心の内を聴いてくれているのです。
ただ、その心の内を理解してくれるだけに留まらなく、
自分のことのように思ってくれるのが神なのです。
自分の子供が苦しんでいるのを放っておく親はいませんよね。
愛から生まれる絆を土台とする祈りの力はそれだけパワフルなのです。
ロボットのように、一覧表に書かれた「祈り」の数々を
仕事として「処理」しているのではなく、
一人一人の「祈り」に自分のことのように耳を傾けてくれ、
心から向き合ってくれるのが神です。
捧げた「祈り」を受け止めてくれるのがそんな神だと心から信じるなら、
祈りの力は予想以上に発揮されるでしょう。
今日も神と一緒に過ごすことを忘れずに。