朝、身支度をしていると、「妹さん、出産したみたいだよ。」

と夫が告げに来てくれました。


えっ?!!

だって、まだ予定日まであと一ヶ月はあるのに!?

すぐにFBをチェック。


と生まれたてホヤホヤの赤ちゃんの写真が二枚!

妹も赤ちゃんも無事、元気であることを確認して、ホッと一安心。


急に破水し、急きょ、帝王切開し、生まれたばかりだそう。

涙が溢れるのを必死でこらえました。

(今書いてても、涙ぐんでしまいますが...)


あぁ、神はなんて憐れみのあるお方なんだろう!



来月春休みを利用して、三か国に散らばっている家族の

台湾での家族団らんを去年の暮れから計画してきました。

できるだけ予定を合わせたのですが、

ただ一つ心配だったのが、妹の出産でした。


予定日が3月6日ですが、一人目が逆子で帝王切開だったため、

今回も帝王切開ということになり、2月22日に予定されていました。

そうすると、3月末に台湾に集るのはようやく満月を迎える

姪っ子にとっても、出産後一ヶ月しか経っていない妹にとっても、

きついことで、もしかしたら、達成できないミッションとなる可能性も...

と心配していましたが、


何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
ピリピ人への手紙 4:6

という御言葉を思い出し、心配するよりも祈りはじめることにしました。


姉弟みんな所帯を持ってから、

子供達含めて、家族みんなで集るのは今回が初めてで、

母の今の状態を考えると、なんとしても成し遂げたいことでした。


そんな私たちの想いを神はわかってくれたのです。

姪っ子が一ヶ月早く生まれたことで、

家族団らんまで一ヶ月も時間が増え、余裕ができました。


ささやかなことかもしれませんが、

こんなささやかなことにも、神の手による導きがあったことに

心から感嘆し、感謝でいっぱいです。


そして、感謝といえば、

7人立て続けに生まれた男の子の後にようやく

みんなが首をなが~くして、待ちに待った女の子です。


ここ数ヶ月間、繰り返される試練に面して来た我が家族にとって、

心温まるうれしいニュースでした。

感謝以外に何もありません。


ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

詩篇106:1



30
時間の断食も、初の大腸カメラも無事終わり、

ここ数日間に心に強く感じたことを整理する時間がやっとできました。



結論から言うと、これから定期的に「断食と祈り」を

日常生活の一部として取り入れようと決めました。

前回の記事でも触れましたが、

イエスを含めて、いろんな人が断食しながらお祈りをしたことが

聖書全般にわたって記述されています。


「断食と祈り」を語るのに、まずはじめに

明確にしておかなければならないのは、

「断食と祈り」は信仰生活と深い関連があるのにも関わらず、

私たちが救われるかどうかの計りにはならないということです。


言い換えれば、断食をしながらお祈りをしていないからといって、

「イエスを信じたことで救われた」

という事実が取り消されることはありません



つまり、「断食をしながらお祈りをする」ことは、

救いの条件の一つではないのです。


また、それは、クリスチャンの重荷でも、義務でもありません。

信者になったから「しなくてはいけない」ということではないのです。


キリスト教は、「あれをしなければ」「これをしなければ」

という宗教ではありません。

求められていることはただ一つ、イエスを信じること。


「私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。」
へブル10章19節


では、なぜ旧約聖書と新約聖書の中で「断食をして祈りをささげる」ことが

いろんな箇所に重要なこととして記録され、

しいては、「断食をして祈りなさい」という教えがあるのでしょう。



簡単にまとめてみると、断食と祈りの関連は、

3つのタイプに別れるようです。



1.悲嘆や悔い改め、または、深い霊的必要を感じるとき (旧約聖書)
2.とりなしの祈りをするとき (旧約聖書)
3.主を礼拝し、主の恩典を求めるとき (新約聖書)

(*参照サイト GotQuestions.org )


このいずれの理由で断食し、祈りをしたとしても、

共通するのは、私たちの心にある「主からそらすもの」を絶ち、

情熱をもって、
神を信頼し、祈りを捧げると、

断食せずに祈るときよりも遥かに

パワフルな結果をもたらすことができます。



こういうクリスチャンの誠実な気遣いは、

自分を神の意志と並ぶ位置に置くことで、


「霊的な領域に打ち破りがもたらされ、天の窓が大きく開かれ、

主の御国の供給が大胆に解き放たれる」のです。

(*参考サイト 「祈りと断食によって」


クリスチャン歴20年になる今年、

今まで以上に、神の御国をこの地でも体験したい

と強く思うようになりました。


断食と祈りによって、

神の素晴らしさを今まで以上に体験し、

神との関係がさらに親密になれることを期待し、祈りつつ...




今、夜の8時50分。

断食を始めてから12時間経ちました。

今日一日、朝8時ちょっと前に少しのグラノーラを

食べて以来、
何も口にしていません。

幸い、飲み物はokなので、食べ物代わりにがぶがぶ飲んでいます。


断食をしている理由はというと...

明日、初の大腸カメラが予定されているからです...

(今回のトピックがこちらで申し訳ないです。)


こっちでは、50歳で初めて始まる大腸カメラの検査。

うちの場合は家族史もあるし、むかしから胃腸がすぐれない私なので、

消化器科の専門医を紹介してもらいました。


日本と違って、専門医にかかる時は、少なくとも数ヶ月待ちが通常ですが、

キャンセルがあり、4月まで待たなければいけなかったのが、

すぐにできるようになったのです。

(とは言っても、紹介されたのは去年の11月。やはり数ヶ月待ち。)


全身麻酔での検査なので、眠っているうちに終わってしまうのが嬉しい。

でも、今日の『準備』の部分が心配でした。

30時間の断食をどうやって乗り越えるか...

考えただけでしんどそうです。

ところが、幸い、お腹がペコペコな以外は、

体調もよく、ほっとしています。



ただ、夕食時に息子と主人がロールキャベツを食べている横で

ジュースしか飲めなかったので、途中で

「香りだけでも!」と、お皿の上で大きな深呼吸。


少しでしたが、満足できました。


今日一日を振り返ってみると、

なぜか、いつもよりもよく「働いた」と思います。

ずっとしようしようと思っていた棚や引き出しの中の整理も、

いつもなら疲れと眠気でやる気が起きないのですが、

今日は、眠気もなく、一日中動き回っていました。


体から毒素なるものが排出され、

逆に体調がよくなり、エネルギーが湧いて来たのでしょう。


定期的にデトックスをする友達も周りにいますが、

自分もやりたいと思う反面、食事のプランを変えたら、

毎日の生活に支障がでるのでは...という心配もあり、

未だにデトックスをしたことがない私です。


が、今回の経験で、「以外とできるもんだ!」ということが分ったので、

今度こそデトックスしてみたいと思います。


実は、前に通っていた教会で、

定期的に断食してお祈りしていたことがあります。


24~36時間の断食で水しかとらないのですが、

まだまだ未熟だった私は、空腹に気をとられて、

あまり理想的な結果がなかったように自分では思います。


それ以来、断食してお祈りしていませんが、また始めようかと思いました。

聖書の中で、たくさんの人たちが断食をしてお祈りをしています。

イエス自身も断食をしてお祈りをしました。



なぜ断食してお祈りするのか、

断食してお祈りをすると、どんな結果を期待できるか、

聖書の中では、どのように説明しているのか、など

次回から書いていきたいと思います。




「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これに着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。」


イザヤ書 58:6-7












「マ
ンデーブルー」という言葉は知っていましたが、

それを痛感しているのはここ数年です。


週末が終わり、子供が学校に戻ることで

ふぅ~と一息ついてるお母さんも多いと思いますが、

私の場合は逆で、子供たちと一緒に

「はぁ、また学校だ...」という気持ちになります...


そのマンデーブルーをちょっと癒してくれるのが

マンデーピザデーです。

2週間おきに、息子たちの学校では、

月曜日にピザランチとなっているので、お弁当を持参しなくてもよし。

ピザデーを子供たちよりも楽しみにしているのは、実は母の私です。

(だって、朝、だいぶ楽。)


さらに、もっと助かっているのは、

愛のあるお母さんたちがボランティアで

ピザのない週は、スープデーを開始しました!

おかげで、月曜日はお弁当のいらない日となり、

マンデーブルーがほぼなくなってきている今日このごろ。



ですが、やっぱり月曜日は、週末の忙しさでぐったりしているので、

疲れがまだ残ってて、なかなかやる気が出る日ではありません。


そこで、昨日の朝、子供たちを学校に送った後、

そんな気分に負けまいと、

讃美歌を流して、一緒に歌い、祈り、讃美しました。

家には私一人なので、気兼ねなく、歌が下手でも気にせずに

気持ちを入れて歌い、祈りました。

(わんこちゃんたちにはちょっと我慢してもらって。笑)


すると、気持ちさっぱり!

カラオケの好きな人の気持ちが初めて分った気がします。

声を出すと、声と一緒に疲れも、もやもやしたものも

一緒に出て行っちゃうんですね。



讃美歌を歌っている場合は、ネガティブなものを追い出すだけでなく、

追い出した後、きれいになった心に

神の愛や、御言葉を通しての

神からの励まし、慰め、勇気づけなどなど

私たちの霊が必要とするものを注ぎこむので、

心は満タンに充電され、元気もやる気もでてきます。


マンデーブルーを追い出すのに最高なのは、

一日を讃美から始めることだと改めて思いました。


ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。
詩篇106:1














年の9月から、ガンと闘病中の母が

2週間前脳梗塞で倒れました。

左中大脳動脈の完全閉塞で右半身不全麻痺と

顔面神経麻痺で表情がなくなり、

言語の特に発語に関わる部分の詰まりによって、

言葉が話せなくなりました。


まさにダブルパンチです。

抗がん剤治療の副作用で体の不調があったとしても

それを伝えることが難しくなりました。

うなずいて、「はい」、

頭を横に振って、「いいえ」という風にしか

コミュニケーションをとれなくなったからです。


ガン闘病だけでも孤独なものなのに、

言葉を失い、体が不自由になり、

一瞬にして身動きがとれなくなったので、

どれだけのショックをうけたことか

私たちには想像もできないことだと思います。


ここ数ヶ月間、前向きに、勇敢に闘病を続けてきた母が

何度も涙を流したと聞きました。


そのためか、先週の抗がん剤治療をもって、

化学治療はもう終わり、と決めたようです。


母がどんな気持ちでこの決断を出したのか、

思えば胸が痛みます。

母の今置かれている状況での苦しみは、

母にしか分らないものですが、

考えてみただけでも、きっと言葉で表現できない

辛さだと思います。


最初から意見は一致していたのですが、

母の意見を尊重し、母が自分で決めた道を進むのを

みんなで見守ってあげることにしました。


太平洋を越えた海の向こうにいる私は

無力を痛感しています。

と同時に、不思議なくらいの平安があります。

こんなに落ち着いていてもいいのだろうか

とちょっと罪悪感を感じてしまうくらい穏やかな気持ちです。


苦しんでいる母を目のあたりにしていないからかも。

現実拒否? なんて思ってみたりもしますが、

これは神が与えてくれた恩恵、

「人のすべての考えにまさる神の平安」だと信じ、感謝しています。


聖書はこう言っています。

何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

ピリピ人への手紙 4:4-5


この御言葉を信じて、今日も母の健康状態への願いを

神に知っていただきます。


母にとっても「人のすべての考えにまさる神の平安」が

母の心と思いをキリストイエスにあって守ってくれますように。