仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第六章の授記品をご説明します
この「授記品」の教えによって、われわれも未来世において、
この仏性を花開かせて、仏に成ることができることを知ったのです
◎ 仏になる道
この「授記品」 において、仏が迦葉や須菩提たちに授記を与えたとき、必ず仏弟子たちが仏になった時の名前と、その国土のことを述べ、最後にその仏の寿命と正法と像法とが存在する時間ついて述べている。
それは、人間の想像力を超えた測定できない長い時間である。
仏の寿命は、十二小劫という無限の時間である。
たとえ、仏がなくなっても、教えが行われる時期を、正法、像法、末法の3つに分けられる。
正法時というのは教えが正しく行われ、悟りを開くことができる時期であり、像法時はまだ正法時に似た時期であり、教えが行われるが、悟りを開く者が少なくなる時期である。
末法時とは、仏法が衰える時期のことであるが、正法二十小劫、像法二十小劫、という簡単に言えば無限に未来までも仏の教えが伝えられさらにその教えを実行して仏になれるという人が現れることをいうのである
迦葉や須菩提や仏弟子たちが未来において仏になった場合、その仏の生命もまた無限であり、仏の教えを実行したものが仏になり、その仏の教えを聞きさらに実行したものも仏になるとは、この仏の教えが永遠に滅びないことを意味している
☆繰り返し説くとは…
この「授記品」 だけでなく「法華経」 のどこを拝読してもそうであるが、長行(散文の部分)と偈文(げもん)の部分はほとんど同じことが繰り返し説かれている
経文と言うのはなぜ繰り返し説くのかじっくり考えてみなくてはならない
「授記品」 でいえば、それぞれが仏になったときに住する理想の国土の姿が繰り返し説かれている
仏は何としてもこの理想国の姿を我々に伝えたいという大いなる慈悲心をもっておられ、繰り返して説くのはそれをわからしめるためである
我々は繰り返し経文を拝読することによってその教えが自分の身についてくる。頭で理解するだけではけっして身につかない
「授記品」 では、すぐれた弟子たちも長い間修行すれば必ず仏になれることが明らかになったがこのことは、四人の仏弟子だけとは限らない
我々もまた宿世の因縁によって、「法華経」 と出会うことができ、
仏の教えを学ぶことができることを明らかにしている
我々の心の中には仏性、すなわち仏になりうる可能性が秘められている
ただ宿世の因縁がなかったために、その仏性が花開くことがなかった
しかし、「授記品」 の教えによって、われわれもまた未来世においてこの仏性を開かせて、仏に成ることができることを知ったのである
第六章終わりです。
追記、授記品の教えを信じ、私たちも未来世において、仏性をしっかりと開いて仏に成ることができるのだと確信を持ち、共に精進しましょう
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!