西洲の菩薩行22 第六章 授記品 その7(仏になる道) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。妙法蓮華経の第六章の授記品をご説明しますひらめき電球

 

この「授記品」の教えによって、われわれも未来世において、

この仏性を花開かせて、仏に成ることができることを知ったのです虹

 


◎ 仏になる道

この「授記品」 において、仏が迦葉や須菩提たちに授記を与えたとき、必ず仏弟子たちが仏になった時の名前と、その国土のことを述べ、最後にその仏の寿命と正法と像法とが存在する時間ついて述べている。

それは、人間の想像力を超えた測定できない長い時間である

仏の寿命は、十二小劫という無限の時間である。

たとえ、仏がなくなっても、教えが行われる時期を、正法像法末法3つに分けられる。

正法時というのは教えが正しく行われ、悟りを開くことができる時期であり、像法時はまだ正法時に似た時期であり、教えが行われるが、悟りを開く者が少なくなる時期である。

末法時とは、仏法が衰える時期のことであるが、正法二十小劫、像法二十小劫、という簡単に言えば無限に未来までも仏の教えが伝えられさらにその教えを実行して仏になれるという人が現れることをいうのである汗

迦葉や須菩提や仏弟子たちが未来において仏になった場合、その仏の生命もまた無限であり、仏の教えを実行したものが仏になり、その仏の教えを聞きさらに実行したものも仏になるとは、この仏の教えが永遠に滅びないことを意味している叫び

 

☆繰り返し説くとは…

この「授記品」 だけでなく「法華経」 のどこを拝読してもそうであるが、長行(散文の部分)と偈文(げもん)の部分はほとんど同じことが繰り返し説かれているビックリマーク

経文と言うのはなぜ繰り返し説くのかじっくり考えてみなくてはならないひらめき電球

「授記品」 でいえば、それぞれが仏になったときに住する理想の国土の姿が繰り返し説かれているキラキラ

仏は何としてもこの理想国の姿を我々に伝えたいという大いなる慈悲心をもっておられ、繰り返して説くのはそれをわからしめるためである上差し

我々は繰り返し経文を拝読することによってその教えが自分の身についてくる頭で理解するだけではけっして身につかないショボーン

「授記品」 では、すぐれた弟子たちも長い間修行すれば必ず仏になれることが明らかになったがこのことは、四人の仏弟子だけとは限らないOK

 

 


我々もまた宿世の因縁によって、「法華経」 と出会うことができ、

仏の教えを学ぶことができることを明らかにしているお祝い


我々の心の中には仏性、すなわち仏になりうる可能性が秘められているお願い

ただ宿世の因縁がなかったために、その仏性が花開くことがなかった汗

しかし、「授記品」 の教えによって、われわれもまた未来世においてこの仏性を開かせて、仏に成ることができることを知ったのである虹

第六章終わりです。

 

追記、授記品の教えを信じ、私たちも未来世において、仏性をしっかりと開いて仏に成ることができるのだと確信を持ち、共に精進しましょう筋肉

 

 

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