今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、1059話からなる仏教説話が、「今ハ昔」 という 書き出し で始まることに由来する通称である。 作者不詳、平安時代末期の十二世紀初頭に成立し、インド、中国日本の三国に分けて説話が記載されている。内容は仏教関係の話が中心だが、まったく仏教に関係のない話も少なからず含まれる。今回紹介するのは、「波羅奈国の人が妻の眼を抉る話」 の話です。
昔、天竺(インド)に仏教を信じなかった邪慳な夫を持つ妻のお話しです
今は昔、天竺の波羅奈(はらな)国に夫婦がいた。夫は邪慳(じゃけん)で仏教を信じなかったが、妻は篤い信者であった。妻は或る時一人の僧に会って、密かに法華経を十余行読み習った不幸にしてその事が夫に知られてしまった。
「お前は経典を読み習ったというが、如何にも尊いことだ」 夫はそう皮肉に言い捨てて出て行った。妻は恐れてびくびくして居るところへ、夫が帰って言った。
「今日往来で、若く美麗な女の屍骸(しがい)を見た。その眼が美しかったので、抉(えぐ)り取って来た。お前の眼はひどく醜いから取り替えよう じゃないか」 妻はこれを聞いて、眼を抉り取られるならば命は無いものと深く泣き悲しんだ。
妻は、「どうせ無常の身、仏法の為に命を捨てよう」 と言って、諸共に声をあげて泣いた。夫の荒々しく呼ぶ声が、客殿から聞こえて来た。
妻は、今死ぬのだと覚悟を定めて、夫の前に進んだ。 夫は妻を捕らえ、膝の上に引き伏せて、眼を抉り取り、その体を往来に捨てた。
女は近所の人の情で、道の辻に敷物を敷いて寝て居た。眼は無いものの寿命には限りがあるから、そのまま一月ばかり苦しんで過ごした。
さて一月程後に、一人の僧が来て、この様を見て訳を問うた。 一部始終を知った僧は、大変同情して、山寺に連れて行って、三月程養育した。
偶々(たまたま)夏の終わり頃であった。盲女は曾(かつ)て読んだ妙法の二字が、日月となって空からくだり、自分の眼の中に入ったと見て、夢が覚めた。 覚めると、何と不思議にも眼が見えるではないか。
上は六欲天(ろくよくてん)の様々な遊戯快楽(ゆげけらく)の状が、掌(たなごころ)を指すようだ し、下は閻浮提(えんぶだい)を見通して、等活黒縄(とうかつこくじょう)から無間(むげん)に至る八大地獄の底まで、鏡にかけて見るように明らかである。
女の喜びはどんなであったろう。僧も非常に喜んだ。 僅か法華経十余行の威力に依って、天眼(てんげん)を得たのであった。
法華経の威力の素晴らしさが......
況(ま)して誠心から法華経一部を常に読誦する人の功徳は、如何ばかり大きいことであろうかと言い伝えて いる。(第二十二話)
山﨑白露 (2021-08-28). 現代語訳 今昔物語集 より
追記、まさに法華経の神通力ですね この夫の行動はどんなものか、こちらが心配です。前世からの因果の法則から夫婦になったのでしょうが、次の世に生まれ変わる夫はどんなカルマ(業)背負って生まれるのか 皆さまはどのように思われますでしょうか
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!