仏、釈尊は「法華経」 をお説きになるまでの四十余年間に方便の諸経を説かれた。 釈尊は衆生の能力に不同があることを知っておられたので、さまざまな喩や方便をもって説かれたのであった。 今回は第十七章 分別功徳品の解説です。
※仏(ほとけ)、希有(けう)の法(ほう)を説きたもう 昔より未(いま)だ曾(かつ)て聞かざる所なり 世尊は大力(だいりき)ましまて、寿命量(はか)るべからず、無数(むしゅ)の諸(もろもろ)の仏子(ぶっし)、世尊の分別(ふんべつ)して、法利(ほうり)を得(う)る者を説きたもうを聞いて、歓喜身(かんぎみ)に充遍(じゅうへん)す。或(あるい)は不退(ふたい)の地に住し、或は陀羅尼(だらに)を得(え)、或は無礙(むげ)の楽説(ぎょうけつ)、万億(まんのく)の旋総持(せんようじ)あり。..............
◎ 真の功徳とは
仏の永遠の生命を説いた「寿量品」 のあとに来るのが「分別功徳品」 である。 この、「分別功徳品」 の前半は「従地涌出品」 の後半と共に「寿量品」 を中心として「一品二半」(いっぽんにはん)といわれ、日蓮聖人が特に重視し「法華経」 の中で最も重要な内容が説かれたものとした。
それは、仏とは何かがはっきりわかり、その信仰に基づいて具体的な信仰生活の内容がこの「分別功徳品」 の中で説かれているからである。「寿量品」 において仏の生命が不滅であることを知ったわれわれはどのような信仰生活を送ったらよいか、どんな教えを実行したら仏と同じ永遠の生命を得ることができるか、それを解き明かすのが「分別功徳品」 にほかならない。
「分別功徳品」 は仏の永遠の生命を理解し、「法華経」 の教えを信じた人は、どのような功徳が得られるか、を明らかにしたものである。
ところで、注意しなければならないのは、功徳というとすぐに現世利益(げんぜりやく)のことだと思ってはならない。「法華経」 の教えを信じることによって自然にその人の人格は立派となり、顔も信仰からにじみ出た温顔となり、態度も深い信仰に裏打ちされて悠揚迫らざるものになる。
このような信仰を獲得した人はおのずと社会の人々からも信頼され、尊敬を受けられ、その結果として、社会的な名誉や物質的な富も得られるようになる。
現世利益はどこまでも信仰の結果、自然に生じたものであって、信仰の目的であってはならない。
この「分別功徳品」 に書かれている功徳も現世利益を説くのではなく、信仰によって得られる無限の宝蔵を説くのである。
人間は目先の利益だけを追求して幸福であるのではない。真の幸福は永遠の仏の生命に自分が生かされていることを自覚することにある。
真の幸福は永遠の仏の生命に自分が生かされていることを自覚する。
「分別功徳品」 は「法華経」 の信仰に生きる人たちが、どのようにして真の功徳を受けることができるかを、詳細に具体的に説いたものである。
次回に、つづく。
追記、分別功徳品の大切さ、日蓮聖人も重視しています 真の幸福は永遠の仏の生命に自分が生かされていることを自覚することにあるとは........。自覚するには 次回に続きます
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
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