「中国4千年の歴史」 というフレーズはよく知られているが、実際に中国史の始まりを定める時は、紀元前1600年頃に成立した殷(いん)王朝からすることが多い。 ここでは春秋、戦国、楚漢戦争(そかんせんそう)、三国と、各時代を代表する英雄を時代ことに英雄たちの勇ましいくロマンティックな生き様をご紹介していきます。
時代 秦~前漢時代 生没年 前247~前95年 国 漢 地位 皇帝、漢中王、沛公
別名 高祖、高皇帝、太祖など
☆ 将の将たる前漢初代帝王
項羽と協力して秦(しん)を滅ぼしたのち対立関係となり、項羽との楚漢戦争(そかんせんそう)を制して前漢王朝の初代皇帝となる。後世には「高祖」 と呼ばれる。
もともとは身分が低く、酒と女が好きな※無頼漢(ぶらいかん)。 しかし気前がよく素直で人望があり、「高祖三傑」 をはじめとする有能な家臣を率いて勝利を掴んだ。将の力量を活かす“将の将” だったのである。 ※無頼漢(ぶらいかん)....... 無頼な男。ならずもの。ごろつき.。
☆ 漢王朝の始祖は敗戦ばかりの無頼漢
前漢王朝初代皇帝.劉邦は、「三国志」 などで漢王朝の創始者たる漢高祖として賛辞を送られることが多い。 しかしもともと高貴な身分ではなく、出自は泗水(しすい)郡沛(はい)県の農民といわれ、30歳頃に就いた役職も泗水亭長という地方役人だった。
その役職すら真面目にこなさず、無頼の徒と交わっては大好きな酒と女にふけっていたという。 しかし度量が大きく気前がいい快男児で、眠っていると上に龍が現れるので縁起が良いともいわれ、地元で人気の有名人だった。
秦の圧政に反発した陳勝.呉広(ちんしょう.ごこう)の乱が勃発すると、劉邦もその機運に乗じて恭兵。 項羽と協力して秦を滅ぼした。しかし劉邦は捕虜の命を救うなど寛容な方針を好んだため、強硬手段を取る項羽と対立して楚漢戦争(そかんせんそう)へと発展する。
統率力と判断力に優れた項羽の前に、劉邦は敗北を重ねた。 しかし垓下(がいか)の戦いで逆転を決め、項羽を自刃に追い詰めて勝利する。
それは張良(ちょうりょう)、蕭何(しょうか)、韓信(かんしん)の「高祖三傑」 をはじめとする、優れた家臣たちの補佐があったからの勝利だった。
(ゼロからわかる英雄伝説 古代中国編参照)
追記、 水の武将劉邦、火の武将項羽 三国志の劉備(りゅうび)と曹操(そうそう)とダブってしまうお二人ですが、器の大きさは誰も引けを取らないですね 次回は司馬遷(しばせん)を取り上げてみたいと思います
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