今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)は、1059話からなる仏教説話が、「今ハ昔」 という 書き出し で始まることに由来する通称である。 作者不詳、平安時代末期の十二世紀初頭に成立し、インド、中国日本の三国に分けて説話が記載されている。内容は仏教関係の話が中心だが、まったく仏教に関係のない話も少なからず含まれる。今回紹介するのは、「睡魔泥棒」 の話です。
山の麓のある人里に宿をとったときのことです。 真夜中に人の叫ぶ声がします
今は昔。 達摩は国を巡り歩いて多くの修行僧に会って見分を広めていました。 山の麓のある人里に宿をとったときのことです。 真夜中に人の叫ぶ声がします。「強盗が私を殺そうとしている。 宝物がみんな盗られてしまう。 里の人、我を助けよ」。 大きな声で叫んでいるのです。
里の人はこの声を聞いて、手に手に松明を持って出てきました。「この声はどこからだ」 と言えば、「東の林の中にまします聖人の方からだ。 急いで行こう」。
聖人の住まいする東の林に、粗末な小屋がありました。 柴の開き戸を開けてみると、80歳ぐらいの僧がいました。
つぎはぎの袈裟の外には、ひじ掛けがあるばかりです。 盗人がとっていくような物はまったく ありませ ん。 また、盗人の姿も見えません。 里の人を見て、この聖人はただ泣くばかりです。
そこで里の人は聖人に聞きました。「聖人の部屋には盗人がとるような物は何もないようですが。 どういうわけで、盗人が入ったと言われるのですか」。 聖人は答えて言います。
「どうしてそのようなことを聞く のですか。 年来、この部屋には修行の妨げとなる睡魔の泥棒が入ってくることは断じてなかったのです。 それが今、この部屋に入り込んで、睡魔が襲って、私の宝物を奪おうとしているのです。 それで睡魔泥棒に取られまいとして、声を限りに出して戦ったのです」。
そう言いながら聖人は泣くばかりでした。
睡魔の泥棒に襲われた聖人は声を限りに出して戦った
達摩和尚は思いました。「世の中の人が皆、ゆったりと寝ているときに、 一人、眠ることもせず、ひたすら、修睡魔と戦いながらに修行に励んでいたということだ」。
達摩和尚は聖人をあたたかく理解し、里の人も気持ちよく家に帰ったということです。
睡魔を警戒して修行に励んだ聖人の話でした。
人ごとながらここまで警戒しなくてよいのではと思ってしまいます。 もっと言うと、睡魔によってそこまで修行が邪魔されたり、修行で得たものが奪われてしまうとすると、修行のやり方が間違っているのではと感じてしまいますますが、 どうなのでしょうか。
(二十一世紀の翻案 抄訳今昔物語 仏教説話二十八話 )から
追記、睡魔との戦い眠らない修行法 これはこれで修行の一環なのでしょうか ちなみにお釈迦様が悟られる前6年間の、もの凄い修行をご紹介します
※ この過酷な修行でも悟ることは出来なかったと言われています
法華経は釈尊の肉声の教え、経典です。 是非とも、
釈尊のご慈悲を体験してみてください(西洲)
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真実は一つ!!