釈尊に生きる!釈迦伝 その1(修行の6年) | 釈尊と共に生きる、西洲のブログです!

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法華経は釈尊の肉声の教えの経典です。あらゆる経典の中で、法華経は、別の名を
「最上王経」とも呼ばれ諸経の王でもあります。女人成仏をはじめどんな衆生も
生きるもの全てを救おうとする仏陀の方便の力は、法華経のすばらしさです。

釈迦は王子たる豪奢(ごうしゃ)な生活を一切捨て、厳しい苦行に身を投じる。そこで苦行を極めた後、自らの方法でついに新たな道を切り開く。かくして釈迦は魔王の誘惑を退(しりぞ)け、大いなる悟りを開いた。仏陀(ぶっだ)の誕生である ............ 。 釈迦はいかにして悟りに至り、そこで何を獲得したのか。釈迦の悟りの核心に迫る。

 

正覚の道に励むシッダールタ(後の釈尊)

 

 

「若者よ、それはこういうことだ。自分を取り巻く外の世界についてだけでなく、自分自身の心の内の働きさえも超越して無念無想の境地に至ることだ。これを無所有処(むしょうしょ)という」 300人の弟子に囲まれたアーラーラ.カーラーマ仙人は胸を張って告げた。

 

出家したシッダールタ(後の釈尊)は、まず師を求めて歩いた。カピラヴァストゥから数百キロも離れたマガダ国に至り、ヴァイシャリーに居(きょ)を構えるこの仙人の門をたたいた。

 

...から解放される方法を具体的に尋ねたのだ。仙人が説いた修行法を実践すると、まもなく ‘無所有処’ の境地に達してしまった。「だが、これではまだ私が求めている救いとはいえない。ほかの方法を探そう ......... 」 

 

次に訪れたのは、700人の弟子を従えたウッダカ.ラーマプッタ仙人の庵(いおり)だった。「若者よ、それはこういうことだ。すべての認識段階を超越し、知覚も非知覚もない境地に至ることだ。

 

あるものでなく、ないのでもない状態で、これを非想非非想定(ひそうひひそうじょう)という」 仙人に教えられたまま修行すると、これもほどなく‘非想非非想定’ の境地に至った。

 

「まだまだ私の求めている最終的な救いとは隔(へだ)たりがある。精神統一の方法を重ねるだけではいけない。この身、この体を徹底的に鍛えあげて真理をつかみとらなければならない」

 

南西に歩いたシッダールタは、ネーランジャラー河のほとりのセーナ村に入った。緑の木々に囲まれて人影も少なく、ひっそりと静けさが漂った美しい地だった。修行者たちが集まり、さまざまな苦行を行っていた森に、しっかりと腰をすえたのである。まず、心の乱れを抑える苦行を始めた。

 

座して歯をしっかりと噛み締め、舌を上顎(うわあご)につけて微動だにしない。時間がたつにつれて、頭を大石で押さえつけられたような苦痛が忍び寄ってくる。苦痛から逃れようとする心の乱れは凄まじいまでに激しくなってくるのだ。

 

次に、断食の苦行を加えた。わずかな豆粒、米粒、ゴマ粒の食事を次第に減らし、最後には一日に1粒一週間に1粒とした。まさに断食に近い状態といってよい。

 

続けて、呼吸を止める苦行に入った。まず口と鼻の空気の出入りを止める。行き場のなくなった息は耳に進む。鍛冶屋のふいごのような音をたてる激しい耳鳴りが苦しい。耳に力を入れて息を抑えると今度は頭を突きあげて進む。鋭い剣で打ち砕かれるような痛みが走り、頭蓋骨が割れそうになる。

 

下腹部に迷った息は腹を切り裂くかのような激痛を起こす。さらに続けていると炭火で焼き焦がされるような苦しみが襲って、やがて気絶してしまうのだ。

 

夏は、日のあるうちは焼けつくすような太陽の直射の下で、日が沈むと閉めきられた蒸しあがるような庵(いおり)の中で苦行を続けた。

 

冬は、凍(い)てつく川で沐浴し、寒さを防ぐ着物は一切身につけなかった。肌を包んでいたのは、塵芥(じんかい)の山や火葬場の死体から拾い集めた布だが、ほとんど布とはいえない屑(くず)だった。

 

深夜には、肉に飢えた野獣が徘徊(はいかい)する墓場にも坐(すわ)り、何が近づこうが何が現れようが何が牙(きば)を光らせようが微動だにしなかった

 

次回につづく。

 

 

追記、ほぼ断食の修行です! 強い意志がなければできないことですが、3日ぐらいの断食には、挑戦して釈尊の気持ちを味わってみたいものです(*_*; ポリポリ.....。

 

 

 

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