陰謀論を超えて(3) ワクチンをめぐる左右対立 | まさし特派員の世界一周だより

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前回の記事はれいわ新撰組への批判になりましたが、あのコロナ禍の中でれいわがワクチンについては一番マシな姿勢を取っていたことを付言しないのは公平ではないでしょう。

 

 

(引用)

ワクチン

副反応の可能性について、すぐに因果関係なしとすることには無理があります。
私たちは知見が積み上がり、十分な医学的・科学的判断が行えるまでの間に発生する副反応疑いに関しても、柔軟に積極的かつ十分な救済を行います。
副反応・副反応疑いに関する情報の透明性の確保、公開の徹底により、人々が接種・非接種の判断をしっかり行えるようにします。

 

 

副反応事例の情報を公開し周知に努め、接種の判断を個人が正しい情報に基づいて行えるようにするということですね。

こういうことを言っていたのは当時の国政政党でれいわだけだったと思うんですが、逆に言うとその他の党は与野党問わず、まるで戦時中のようなワクチン推進の翼賛体制を取っていたことになります。

ああいう状況になったことに対する可否や議論はもっとされなければならないと思いますよ。

 

 

この間の補選に立候補した須藤元気についてですが、彼は超党派WCH議員連盟にも参加していた反ワクチン派なんですね。

その彼についていろいろネットを観察していて、ん?と首をかしげたのは、「須藤元気は右だ」なんて言う人が結構いることでした。

そしてその人の前後の発言を見ていくと、おそらくれいわ支持者と思われるんですね。

しかし、須藤元気は憲法改正に反対していますし、左でもないかもしれませんが右でもないはずで、さらに消費税に反対しているのでれいわ新撰組とも政策的に共通点は多い。

山本太郎が都知事選に立候補したときに須藤元気は山本太郎を応援するために立憲民主党から離れることになったのですが、その経緯から考えるとれいわから出馬するのが自然な気もするんですが、でもしないんですよね。

 

 

そこでふと思ったのですが、須藤元気と山本太郎を隔てるもの、お互いの支持者も含めて考えるならば、それは「ワクチン」なのかなと。

 

 

現在のところ反ワクチン派の中心は右派の反グローバリズムグループなんですね。

具体的には参政党やチャンネル桜周辺で、左派から見れば須藤元気もこの中に入るのかもしれません。

参政党が前回の参院選で議席を獲得したのは明確に反ワクチンを掲げたからで、そんな政党はほかにいなかったからだと思います。

ワクチンに関しては右も左も挙国一致体制でしたし、その中で行き場のない人たちが参政党に投票したのでしょう。

 

 

しかしこの参政党、内輪もめや内部分裂の結果すでに衰退傾向。

そして参政党の主張の中には旧来の右派的な主張に加えて反グローバリズム・反ワクチン、さらに有機農業信仰やスピリチュアル、出所の怪しい情報、極端な風説も含まれているのは確かです。

例えば小麦粉批判やメロンパンがどうだとか言うのは僕も良く分からないです。

 

 

参政党はやはり右派なので「愛国心」と言った言葉も使いますし、そもそも語彙が左派とは違うので、左派としてはアレルギー反応があるのかもしれません。

チャンネル桜はガチガチの右派の老舗なので、左派にとっては不倶戴天の敵かもしれません。

僕は右翼ではないので、チャンネル桜の右派的な部分はあまり賛同しかねるのですが、言っていることの中身を良く聞くと、頷ける部分はかなりある。

実はチャンネル桜は、ウクライナ戦争やパレスチナ問題、消費税廃止や日本の自主独立といった多くの主張でれいわ新撰組と結構近かったりするんですよね。

それは、表に見える表情が右派か左派かで違うけれども、本質的な問題認識が近いからで、これは僕が今の政治状況や国際関係は、単純な左右の対立で語り切れないと思っている理由でもあります。

 

 

ワクチンを巡る左右対立には、海の向こうのトランプ共和党とバイデン民主党の対立構造も輸入されている気がします。

そもそも陰謀論と呼ばれている主張はトランプと密接に結びついていますからね。

こうしたことから、左派において反ワクチン=参政党的なもの(陰謀論に進化したネトウヨ、トランプ、おかしな連中)という見方が優勢になっているのかなと推測します。

それに対するアンチとしてワクチン容認、擁護、推進。少なくとも反ワクチンには回らない。

前回の記事で指摘した「薬害事件は左派が飛びつきそうなテーマなのに、なぜワクチンに関しては傍観者なのか」という問題の、すべてではないにしても一つの答えにはなるのかなと思います。

つまり、旧来の左右対立の対抗意識に囚われて、ワクチンがどのようなものでどの程度のリスクがあるものかという正確な事実認識が出来ていないのではないかと思うのです。

 

 

それでも、「ワクチン接種は個人の判断だったのだから自己責任だろう」という意見もあるでしょう。

僕は正確な情報は、大手マスコミや政府からはほとんど与えられてこなかったと思いますが、百歩譲ってそれは置いておくとしても、14歳の子供がワクチン接種後に死亡したことについても同じことは言えるだろうか?と思います。

 

 

コロナに罹患しても死亡リスクがほぼゼロの子供にワクチンを打たせる必要があったでしょうか。

これは本当に不必要な死だったと思います。

そして判断能力が未熟な子供に「自己責任」を問うことは出来ない思います。

そのようなことを言う人は、自己責任論のクズと言われても仕方がないでしょう。

ワクチンは重症化防止の効果(今となってはこれも怪しいですが)はあっても感染防止の効果はないと言うのはすでに当時から言われていましたし、それならば子供に打たせる意味はなかったはずです。

これは政府やマスコミがワクチン推進を一斉合唱し、反ワクチンを陰謀論と決めつけ、YoutubeやSNS等で言論統制し、また多くの国民がそれに乗っかって、異議を呈する人々を弾圧した結果です。

このことについて、僕は国民全体が本気で反省しなければならないと思いますよ。