「城野遺跡公園」は未来につなげる町興し-邪馬台国時代の貴重な遺跡-
市民の集い「城野遺跡公園」の実現へ日 時 11月5日(日)14時~16時45分場 所 男女共同参画センター・ムーブ2階ホール参加費 500円 ※高校生以下無料この“市民の集い”を目前に、「すすめる会」のメンバーで考古学ファンの方から、城野遺跡公園への熱い思いを寄せていただきました。考古学のおもしろさ、城野遺跡に刻まれた歴史を語り継ぐ大切さを感じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10月21日、行橋の歴史資料館の特別展「邪馬台国時代の豊」と記念講演会に行って参りました。特別展の序文に『今から1800年前,邪馬台国はどこにあったのでしょうか。九州?近畿?どちらかわからない二大勢力の対決のなかにあって、その時代の「豊」の国はいったいどのような状態だったのでしょうか。』とありました。「豊」とは「豊前」と「豊後」からなり、前者は周防灘沿岸の企救郡から宇佐郡の地域です。記念講演会の講師は西谷正先生(海の道むなかた館館長)です。古代の九州における豊の地理的・歴史的位置の話から始まり、3世紀前半の北東アジア、『魏志』倭人伝を通した中国大陸と日本列島の国、最後に本題の倭の国々の「聞国」・「胸肩国」・「豊国」の可能性を示す講演です。「聞国」の問題では紫川流域の重留遺跡や城野遺跡の意義とこの遺跡群が国邑(王都)である可能性を指摘し、 邪馬台国の時代に「企救(聞)国」を想定との持論を展開されました。勝山公園の中に“万葉の庭”があり、万葉の歌碑が6基あることをご存知でしょうか。時代は下りますが「聞国」の国名が歌いこまれています。千年余の昔、聞(企救)の国はきっと万葉の歌人たちの歌心をくすぶる風情だったのでしょう。古代の歴史は近代史とは違った意味で、夢や興味が広がり、謎が深まるテーマです。中でも邪馬台国論争は日本の各地で熱い議論になっています。本市ゆかりの松本清張も論争に加わり、1970年代の清張の活動は古代史ブームの先導の一つとなり、邪馬台国関係の本も執筆しており、北九州は邪馬台国と不思議な縁があるように思えてなりません。邪馬台国時代の遺跡が北九州で発見された意義は計り知れず、保存し公園化することにより地域の宝として大切に守るべき歴史遺産です。城野遺跡は北九州発祥の地とも言うべき原点の地ではないでしょうか。方形周溝墓とともに発見された玉作り工房は長い時間を経ながら近代の北九州工業地帯に導く遺跡ではないでしょうか。この様な遺跡を粗末に扱って良いのでしょうか。この結果に対し未来の市民はどんな評価を下すのでしょうか。福岡県内でも各市町村の博物館や自治体が一丸となってその町の歴史や遺跡にスポットライトを当てながら、未来につなげる町興しを図っています。そんな思いを込めて10月31日に北九州市役所秘書室で、市長あてに遺跡公園化の要望書を提出しました。歴史に造詣が深い北橋市長が市民の声に耳を傾けて、「聞国の救国者」になることを願っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・“市民の集い「城野遺跡公園」の実現へ”は、日本考古学協会前会長の高倉洋彰西南学院大学名誉教授、日本考古学協会副会長の近藤英夫東海大学名誉教授による講演会「城野遺跡は市民の宝」、古墳シンガーまりこふんさんのライブ&トークなど、城野遺跡の魅力を楽しくお伝えします。ぜひ、ご参加ください。●1996年2月9日付朝日新聞 ※重留遺跡は城野遺跡のすぐ近くにある遺跡です。●昨年8月に、重留遺跡の祭祀用の広形銅矛が国重要文化財に指定され、城野遺跡とその周辺の遺跡の重要性を取材した記事です。「すすめる会」保存運動についても書かれてあります。2016年9月8日付西日本新聞です●小倉北区の勝山公園にある”万葉の庭” 6つの歌碑のうち5つの歌碑に「聞(企救)」の名が…。「城野遺跡公園」が実現できたら、この”万葉の庭”とのつながりも説明できますね。.