城野遺跡公園を実現する会                    (旧 城野遺跡の現地保存をすすめる会)
-城野遺跡公園を実現する会からのお願い-
城野遺跡は、日本考古学協会も認める北部九州を代表する国民的文化遺産であり、市民の大切な歴史的財産です。私たちは、1800年前の弥生人と出会える遺跡公園として後世に残すために、北九州市(北橋市長)に対し、国、県と協力し、一刻も早く土地取得のために大手建設会社と協議をするよう求めています。ご支援、ご協力をよろしくお願いします。
  • 08Jul
    • 6/24「ふるさとの古代人と出会うプチ旅」のリーフレット-巡った遺跡や古墳とは?-

      6月24日、「実現する会」初めてのアウトドア企画「ふるさとの古代人と出会うプチ旅(会員限定)」で配られたリーフレットです。今回の「プチ旅」では、小倉南区の曽根平野にたくさんの古墳が発見されていたことにびっくり!しかも、北九州市で前方後円墳が見つかっているのはここだけとか。なぜだろう?そして、その地域が住宅や道路等の開発により古墳の多くが全壊・半壊されていることにもびっくり!でした。現地が壊された今どうしようもないけど、北九州市は本州と九州をつなぐ地にあり、豊かな海に囲まれ、古代から人々が住み続けた地域で、大きなムラ、強大なクニ、多くの豪族たちの栄枯盛衰があった地域だったことは間違いないでしょうね。昨年11月に開催した市民の集い“城野遺跡公園の実現へ”に寄せられた、海の道むなかた館館長の西谷正九州大学名誉教授からのメッセージの一部を紹介します。西谷先生は昨年の沖ノ島世界遺産登録の専門家会議委員長として8つの資産一括登録に奔走された著名な考古学者です。現在、「実現する会」の顧問にもなっていただいています。「城野遺跡や紫川流域周辺の遺跡から私は『聞国』を想定しました。方形周溝墓に埋葬された子供は「聞国の王子」の可能性もあり、それを証明するものは城野遺跡を始めとする遺跡群です。邪馬台国時代の遺跡が北九州で発見された意義は計り知れず、保存し公園化することにより地域の宝として大切に守るべき歴史遺産です。」城野遺跡は、邪馬台国時代(1800年前)のクニの都の中心付近が奇跡的に丸ごと発見された、学術上重要な遺跡であり、市民のかけがえのない歴史文化財です。足立山を臨む小高い丘陵地にあり、JR城野駅南口から徒歩3分と人々が訪れやすい城野遺跡を、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として残し、北九州市の豊かな古代の歴史を学び、語り伝える地として活用して欲しいな!北九州市が計画している方形周溝墓付近だけの「遺跡広場」では、学校教育にも憩いの場としてもほとんど活用できません。北九州市の文化財保護の真価が問われています。↓「プチ旅」当日に配布されたリーフレット↓「プチ旅」当日に配布されたスケジュールとコースなど↓市が計画している城野遺跡西エリアの「遺跡広場」はこの斜線部分だけと思われます。文化企画課に広場の範囲を問い合わせても「土地所有者と契約後にしか話せない」との回答。契約前に市計画の見直しを求めているのに…。↓城野遺跡東エリアに建築中の「ゆめマート城野店」の全体配置図です。市計画の「遺跡広場」だと、存在感のある足立山は店舗に隠れて見えるのは頂上付近だけです。また「遺跡広場」周辺の開発次第では、せっかくの九州最大級の方形周溝墓も目立たなくなるでしょう。↓「実現する会」が提案している「城野遺跡公園(案)」です。この案をたたき台に、北九州市で初めての本格的な遺跡公園の実現で歴史と文化を大切にする街づくりを!↑真ん中を横切る道路の手前が城野遺跡西エリアです。せめて西エリア全域を本格的な遺跡公園にしたいですね。

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    • 6/24「ふるさとの古代人と出会うプチ旅」開催!-北九州市は古代の歴史もすごい!-

      6月24日、「実現する会」初めてのアウトドア企画「ふるさとの古代人と出会うプチ旅」を開催しました(会員限定)。遅くなりましたが、ご報告です。徒歩とJRで巡る「プチ旅」なので、天気がとても心配でしたが、当日は梅雨の合間の晴天に恵まれ、28名の方々にご参加いただきました!ありがとうございました。市内の遺跡や古墳の発掘調査を数多く担当された学芸員さんの説明を聞きながら、「ゆめマート城野店」の建築工事がすすんでいる城野遺跡「東エリア」、九州最大級の方形周溝墓と幼児の朱塗り石棺がみつかった城野遺跡「西エリア」、2016年に国指定重要文化財に指定された広形銅矛(広形銅矛では全国唯一)が見つかった重留遺跡をぐるりと周り、JRで城野駅から下曽根駅へ。北九州市で唯一の前方後円墳が見つかった曽根平野の古墳群(荒神森古墳、丸山古墳、円光寺古墳、上ん山古墳、茶毘志山古墳)と潤崎埴輪窯発掘地をてくてく巡りました。「荒神森古墳」には清掃の行き届いた神社が建っていました。学芸員さんによると、古墳の上に神社が建っていることはよくあり、古代から続く神聖な場所が地域の人々に代々守られてきたとのこと。現代につながる古代の歴史がとても身近に感じました。今は住宅街になっている「丸山古墳」「円光寺古墳古墳」では街並みに古墳の輪郭が残っていたり、曽根古墳群の古墳の埴輪を作った「潤崎埴輪窯跡」(なんと九州2例目)、交通量の多い国道10号線沿いの「上ん山古墳」や「茶毘志山古墳」など、説明を聞きながらワクワクするプチ旅でした。ただ、保存状態に唖然とすることも…。ほとんどの参加者が、北九州市の古墳めぐりは初めてで、知らなかったふるさとの古代の歴史に興味津々でした。そして、ふるさとの歴史を学び、後世に語り伝えるためには、貴重な遺跡を地域の宝として保存し、整備・活用することの大切さも再確認しました!足立山を臨む小高い丘陵地にある城野遺跡は学術上重要な国民的文化遺産であり、奇跡的に発見されたかけがえのない市民の宝です。北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」にして、北九州市の古代の歴史を学び、後世に語り伝える地として整備し活用して欲しいな!【参加者のアンケートより】◆貴重な体験、プチ旅をさせていただきました。ふるさとにこんな歴史があったこと、改めて感激しました。古代があっての現代ですから、大事に保存することが大切だと実感しました。◆とても勉強になりました。ぜひ、第2回をお願いします。「ヒントは現場にある」これからの運動にはとてもよかったですね。◆お天気が良すぎて大変暑い中でしたが、参加させていただいて大満足でした!今まで知らずに通り過ぎていた場所が、なんと遺跡だったとは?!知らないことがたくさんあって、とてもよかったです。※次回のブログで、当日配布された遺跡や古墳の資料を添付します。乞うご期待!↓最後に撮った「茶毘志山古墳」の前で集合写真。交通量の多い国道10号線沿いだったので、「こんなところに前方後円墳?!」と唖然としながらも、刻まれた歴史に興味津々でした。↓「曽根古墳群」を回っているところ。デモ行進ではありません(笑)JRでの移動が心配でしたが、全員そろって「城野駅」から「下曽根駅」に到着しました。よかったぁ。↓「荒神森古墳」の見学の様子。古墳の上に「荒神社」が建っていました。小さな神社でしたが清掃が行き届いており、地域に大切にされていることがわかりました。↓平成3年に発見された「潤崎埴輪窯跡」。説明版しかないけど、九州2例目の発見だったことにびっくり!北九州で唯一の前方後円墳群(曽根古墳群)の古墳で使われた大量の埴輪を作っていたとのこと。ここは市営住宅の敷地なので市有地です。現地を大切に保存するとともに、もっと整備し、学び語り継がれるようにできなかったのかなぁ・・・。↓「上ん山古墳」の見学の様子。「指定史跡となり、発掘調査はできない。もしかしたら埴輪がたくさん並んでいるかもしれない」という説明に、小さな古墳だけど何だかワクワク。↓「茶毘志山古墳」の見学の様子。曽根古墳群で最古の古墳とか。今回巡った古墳は、平成24年に「曽根古墳群」として県指定史跡になっています。貴重な歴史を語る古墳群です。

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  • 23Jun
    • 明日、「ふるさとの古代人と出会うプチ旅」に出ます!-わが町の古代を語る「城野遺跡公園」の実現へ-

      「城野遺跡公園を実現する会」(旧「城野遺跡の現地保存をすすめる会」)は、これまで、多くの方々に城野遺跡の重要性と魅力を知ってもらうために、著名な考古学者を講師に迎えた講演会など、いろんな企画に取り組んできました。今回の「ふるさとの古代人と出会うプチ旅」は初めてのアウトドア企画です!市内の遺跡や古墳巡りは、これまでも企画したかったのですが、貸し切りバスでは参加費が高くなるし、参加人数が少ないと赤字になるし…と決めきれないでいました(^^;そこで、今回、市内の数多くの遺跡の発掘調査を担当された佐藤さんに案内をお願いして、徒歩とJRでの「プチ旅」を企画することができました!まずは注目の城野遺跡から。JR城野駅に集合し、城野遺跡の発掘調査地の現状を見た後、広形銅矛(国の重要文化財)が出土した重留遺跡、JRで下曽根駅まで移動し、曽根平野に築かれた権力者の墓、前方後円墳を巡ります。明日は天気もよさそうだし、わが町の弥生時代から古墳時代の歴史と文化を学び、古代人の想いを感じてきたいと思います!どんな「プチ旅」になるか、どんな歴史がひも解かれるか、とても楽しみです!城野遺跡「西エリア」全域を、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備・活用し、北九州市の古代の歴史をひも解き、後世に語り継がれる場所にしたいですね!●会員あての案内チラシ ※この企画は初めてのアウトドアで人数制限もあるため会員限定です。●今年の1月までは本工事が止まり、広大な空き地でした。中央を横切っている道路の向う側が「東エリア」、手前が「西エリア」です。●6月9日の城野遺跡「東エリア」 。「ゆめマート城野店」の建築が急ピッチで進んでいます。

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  • 16Jun
    • 6/29市の出前講演「北九州市の文化財と文化財行政」を開催! ※「城野遺跡をめぐる主な流れ」掲載

      城野遺跡の重要性と魅力についてここでは繰り返しませんが、城野遺跡は“クニの都”が丸ごと発見された日本屈指の弥生遺跡です。この城野遺跡が、いま、「東エリア」はスーパーマーケットの建築工事で貴重な玉作り工房を含め破壊され、「西エリア」は方形周溝墓付近だけの小さな“遺跡広場”だけが残り、他の部分は開発により壊されようとしています。城野遺跡は、市と国(財務省)との保存交渉において、文化財保護審議会にも市議会にも諮られず、市長(行政)の判断ですすめられ、その結果、民間に売却され開発の危機に瀕することとなりました。北九州市の文化財はしっかりと守られているの?と疑問が募るばかりです。そこで、市の文化財保護行政がどうなっているのか、市に出前講演をお願いし、下記のとおり講演してもらうことになりました。この機会に、北九州市の文化財がどのように守られているのか、ご一緒に考えてみませんか。ぜひご参加ください。日 時 6月29日(金)18時30分から場 所 生涯学習総合センター(小倉北警察署の隣り)講 師 北九州市市民文化スポーツ局文化部 文化企画課参加費 無料  ※詳しくは下記のチラシをご覧ください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【城野遺跡をめぐる主な流れ】私たちの情報開示請求により市が開示した一部開示行政文書等を参考に簡単なご報告です。と言っても長いですが、よかったらお読みください。また、2013年3月の文化庁協議以降の行政文書(一部開示)を添付しますので、ご覧ください。※最初に開示された行政文書は「のり弁」文書だったため、異議申し立て、開示部分は増えましたが、肝心な部分は黒塗りのままです。■広大な城野医療刑務所(国有地)が1997年12月に移転し、道路建設にあたり、「埋蔵文化財包蔵地」であったため、国は市の教育委員会(現 市民文化スポーツ局文化部?)に委託し、2009年度から2010年度にかけて発掘調査を実施。■その結果、九州最大規模の方形周溝墓、高価な水銀朱(中国産)がたっぷり塗られた幼児の石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落など学術上極めて重要な遺跡であることが判明。(2011年2月、日本考古学協会が国、県、市に対し、「1.すでに調査を終えた範囲での出土遺構の保全に、万全を期していただくこと。2.城野遺跡の現状を保存し、史跡として整備・活用を図ること」を求める要望書を提出。その後、再要望書、再々要望書も提出)■2011年9月12日から2013年4月25日まで、北九州市と国(財務省)は10回の城野遺跡保存交渉を開催。市は当初「現地保存の方針」だったが、国(財務省)からの「国有地を無償貸付等できない。市が購入するのであれば優遇措置(1/3無償)や等価交換(市有地との交換)ができる」との提案に対し、市は「土地の確保は国の責任」を最後まで主張し、購入せず。(なお、市は、第10回保存交渉の前に「国指定の可能性の確認、保存に関する助言」を求めて文化庁と協議。協議における文化庁の意見や主任調査官の発言内容は黒塗りで不明。文化庁は市の当初の保存計画(下記に添付あり)をどのように評価したのか?)■結果、国は国有地を空き地のまま放置できず、2013年7月16日に福岡県と北九州市に、「未利用国有地の取得等要望」の通知を送付。通知には「受付期間(同年10月15日まで)や取得等要望が出なければ原則として一般競争により売り払う」こと等が記載。■福岡県は同年9月18日に、北九州市は同年10月9日にいずれも「取得等の希望はありません」と国に回答。■市は、この回答に先立ち、同年10月7日に市民文化スポーツ局文化振興課(当時)が「城野遺跡保存計画の変更について(方針伺)」を起案し、翌年1月7日に北橋市長が決裁。これにより、市は当初の現地保存を断念し、幼児の石棺2基は移築保存、玉作り工房は記録保存とすることを決定。ここに大きな疑問があります!市は、提出期限10月15日直前の10月9日に、国に「取得等の希望はありません」と回答していますが、「城野遺跡保存計画の変更について(方針伺)」はその直前の10月7日に起案し、市長は翌年1月7日に決済しています。すごくバタバタした動きです。・市が当初の現地保存の方針を正式に変更(断念)する前に、国に対し「取得希望なし」の回答を出したことになるのでは?・市は現地保存の方針に基づき、国有地の取得を検討すべきだったのでは?・貴重な文化財の保存問題を市長の判断だけでバタバタと決めていいの? ■国は、福岡県と北九州市から「取得等の希望なし」の回答を受け、城野遺跡が見つかった国有地は「一般競争により売り払う」ことに。※しかし、国が一般競争入札を公示したのは2015年12月21日です。この2年間は何を示しているのでしょうか。国も民間に売却することを相当ためらい、北九州市に猶予期間を与えたのかもしれません。■国の一般競争入札で2016年1月に大手建設会社が落札。しかし、城野遺跡の重要性や、市に対し「土地を買い戻し、本格的な遺跡公園として整備活用」を求める市民運動が続く中、同社は工事を止め、市の買戻し判断を待つ。しかし、2017年2月の懇談の場で、同社は「市は買い戻す気がない。このままいつまでも待てない」と説明し、3月に土壌汚染のボーリング調査を実施。その後2018年1月まで空き地のままだったが、「東エリア」は2018年2月から造成工事に着手し、現在、急ピッチでスーパーマーケットが建築中。※大手建設会社は2016年1月に最高額で落札後、2018年2月の本工事までの2年間、本工事を止めていたのはなぜでしょう。貴重な城野遺跡を開発により簡単に壊すことができず、北九州市に買戻しの猶予期間を与えたのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・国も土地を落札した大手建設会社も、城野遺跡を破壊することに非常にためらっており、北九州市が遺跡公園として整備活用することを見守っていたように思います。しかし、市は、市が勝手に決めたことを「すでに決まったこと」として、専門家や市民の再三再四の切実な要望や願いに全く耳を貸そうとしません。北九州市の文化財保護行政はどうなっているのか?今回の「出前講演」で市の説明を聞きながら、ご一緒に考えたいと思っています。ぜひ、ご参加ください。※長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました(^^)/●市の「出前講演」のチラシです。ぜひご参加ください。●情報開示された行政文書の一部を紹介します。これは文化庁との協議ですが、文化庁の意見や主任文化財調査官の発言は真っ黒です。市に「保存計画」では国の史跡指定にならないこと、国の史跡指定にするための課題が説明されてるのでは?●第10回城野遺跡保存交渉。最後の保存交渉で重要な文書ですが、協議内容はほとんどわかりません。文化庁との協議結果が知りたい。市の「土地の確保は国の責任」という主張が通らないことが判明したのではないか?!●第10回で保存交渉を終え、国有地を購入しないことを前提に協議したのか?!下の「城野遺跡保存計画の変更(方針伺い)」の起案も決裁もされていないので、この時はまだ市は「現地保存の方針」だったのでは?市議会にも、文化財保護審議会にも諮らず、どんどん話を進めている感じです。青い下線部分について、「東エリア」については、市は「発掘調査しない」と決め、造成工事が実施され壊されたと思われます。いいのかなぁ?●2013年10月7日に起案された「城野遺跡保存計画の変更について(方針伺い)」です。2014年1月7日に北橋市長が決裁しています。この文書の最後に、市の「当初保存予定範囲」(当初の保存計画)があります。誰がこんな保存範囲(保存計画)を決めたのでしょうか。ぜひご覧ください。●たったここだけが隠されている。もしかしたら「(実施した)費用は国が負担した。」かな?文化庁との懇談で「国は言うべきこと、すべきことは全てした」と話してました。数億円の費用がかかったとか。●市の「当初保存予定範囲」(当初の保存計画)を見て大変驚きました!私たちは市の「現地保存の方針」は医療刑務所跡地全域であると思っていたからです。この保存計画について文化庁や主任文化財調査官はどんな話をしたのでしょうか?黒塗りでわかりません。質問しても教えてくれません。

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  • 10Jun
    • 城野遺跡の“玉作り工房”(その5)-ものづくりの原点が今、消滅した-

      昨年11月に開催した“市民の集い 城野遺跡公園の実現へ”で、日本考古学協会副会長の近藤英夫東海大学名誉教授は「城野遺跡は、弥生時代のクニが『目の前に現物である』という奇跡のような遺跡であり、現地見学会に600人が参加し、文化庁の担当官がすぐに駆け付けたこと、すすめる会が開催した講演会に著名な講師陣を迎えていること等がその重要性を示している。城野遺跡を残さんでどうする!」と訴えられました。この城野遺跡が、「東エリア」では開発計画がすすみ、今年2月からスーパーマーケット「ゆめマート城野店」の造成工事が始まり、現在、店舗の建築工事中です。城野遺跡は、発掘調査当時、すでに北橋市政だった2009年から2010年にかけて発見されました。私たちの再三再四の要望や陳情に耳を貸してくれなかった北橋市長や教育文化委員会の委員(議員)の多くの方々は、邪馬台国時代のクニの証しである城野遺跡が壊されていく様子をどのように思われているのだろうか…。北九州市の文化財行政への疑問は募るばかりです。とても残念ですが、昨年12月から連載している「城野遺跡の“玉作り工房”」の5回目をお届けします。ぜひ、お読みください。なお、1回目は12月30日、2回目は1月14日、3回目は1月16日、4回目は5月28日にアップしています。よかったら、併せてお読みくださ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城野遺跡の“玉作り工房”(その5)過去4回にわたり城野遺跡の玉作り工房について、その歴史的意義と製作技術、また石材調達に関わる他地域との壮大な交流、そして方形周溝墓に葬られた幼児のネックレスとの関係について述べてきました。しかし、いくらその重要性を訴えても、北九州市文化財担当部署や開発業者の心には響かなかったようです。現在建設中の商業施設「ゆめマート城野店」の建物範囲と、見つかった玉作り工房の位置を重ねてみると、下の「ゆめマート城野店」の全体図の緑色部分に示すように、最も良好に残っていた工房H16はその殆どが建物東端の作業場部分にあたっています。また、もう一つの工房H10は、駐車場南東側でアスファルト下に埋もれてしまいます。つまり2軒の玉作り工房は、完全に破壊されてしまうことになったのです。「城野遺跡公園を実現する会」では、玉作り工房H16が見つかった場所(5m×5m)だけでも、店のテラス部分や中庭部分など、直接遺構を破壊しない位置にあてて設計してもらうよう土地所有者にお願いするとともに、市長や市議会に一刻も早く土地所有者と協議するよう、繰り返し要望、陳情しました。それももう叶わなくなりました。私たちは店舗開店後には、その場所を訪れ作業場や駐車場で壊された工房の上に立って、しばし無念の思いを噛みしめることになりそうです。日本に誇れる貴重な「弥生時代の玉作り工房」、ここ北九州市にしかない特徴的な水晶製算盤玉と極小管玉を製作していた城野ムラの先人たち。彼らの夢や玉作りにかける情熱を、現地の遺跡を通して後世に伝えていく手段をなくした私たちは、1800年の歴史が閉ざされ、やがては忘れ去られていくことが残念でなりません。1800年守られてきたこの台地に新たな住人(闖入者)を迎えた今、それが地元の人々に愛されながら弥生人に負けない文化と歴史を刻んでいけるのでしょうか?学校教育・社会教育の場、住民の憩いと安らぎの場がまたひとつ消えていきます。●昨日(6月9日)の城野遺跡の東エリアのようすです。「ゆめマート城野店」の店舗が建築中です。この店舗の下に九州2例目の玉作り工房がありました。とても残念です。●「ゆめマート城野店」の全体図です。■部分が、九州2例目の玉作り工房が出土した竪穴住居のH10とH16です。私たちは、このH16だけでも現地保存するために土地所有者に一刻も早く協議するように市長や市議会に繰り返し要望、陳情し、土地所有者にもお願いしましたが、叶いませんでした。城野遺跡東エリアの悲しい変貌を写真でご覧ください●昨年までの城野遺跡。中央道路の向こう側が現在工事中の「東エリア」、手前は方形周溝墓がある「西エリア」です。●昨年12月25日、東エリアに「中高層建築物等の建築計画のお知らせ」の掲示板が建ちました。●2月18日の東エリア。「お知らせ」の掲示板が建った後、しばらく空き地のままでしたが、重機や大型トラックの出入り口が整備され、造成工事が始まりました。まだ、玉作り工房の遺構は残っていたと思われます。●3月10日の東エリア。重機が何台も入り急ピッチで造成工事がすすめられ、大型トラックが掘り出した土を何度も運び出していました。このころも玉作り工房の遺構は残っていたかも…。●5月2日の東エリア。造成工事が急ピッチですすめられ、もうすぐ終了か?●5月12日の東エリア。造成工事がほぼ終了し、「ゆめマート城野店」の建築が始まっていました。そして、現在が、最初の写真のとおりです。●昨年11月に開催した“市民の集い 城野遺跡公園の実現へ”で講演された近藤英夫先生。古墳にコーフン協会会長で古墳シンガーのまりこふんさんも一緒に、参加者全員で「ふるさと」を歌いました。

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  • 28May
    • 城野遺跡の“玉作り工房”(その4)-小さな玉に秘められた壮大な歴史-

      弥生時代後期(1800年前)の城野遺跡は道路で東と西のエリアに分かれています。この東エリアには竪穴住居内で発見された九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落があり、とても重要な遺跡です。当時、権力者しか身に着けなかった玉をつくる人々がこの地にいたのです。邪馬台国時代、この地に高度な技術を持つ人々が存在し、強大なクニがあった貴重な証しです。私たちは、西エリア全域の「城野遺跡公園」とともに東エリアの玉作り工房が出土した竪穴住居(H16、5m×5m)の現地保存を願って、市長や市議会に繰り返し要望し、土地所有者(建築主)にもお願いしましたが、願いは叶わず、今年2月から始まったスーパーマーケット建築工事によりつぶされたと思われます。この“玉作り工房”の重要性と謎について、昨年12月から「城野遺跡の“玉作り工房”」を連載しています。1回目は12月30日、2回目は1月14日、3回目は1月16日にアップしています。今回、アップするのが大変遅くなりましたが4回目です。ぜひ、お読みください。※この原稿は今年1月に書かれたものです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城野遺跡の“玉作り工房”(その4)城野遺跡で作った玉は、水晶製の算盤(そろばん)玉と碧玉製の管(くだ)玉の2種類に限られています。しかしその中で、碧玉製の管玉はサイズが長1㎝、幅0.6㎝ほどのものと、長さ7㎜、幅5㎜の極めて小さなものの2種類がありました。そして主に製作されたのは小さいサイズの方だったようです。ネックレスを飾る玉は今あなたがお持ちものもそうかもしれませんが、ふつう首のまわりを一周するので、玉自体の長さが長い方が、使う玉、作る玉の数が少なくてすみます。城野遺跡西エリアの方形周溝墓の石棺に葬られた幼児の首には6個の碧玉製管玉と1個のメノウ製なつめ玉からなる首飾りが付けられていましたが、管玉はサイズが長さ1.7〜2.5㎝ほどもあり、城野遺跡の玉づくり工房で製作された玉のサイズとは全く異なっているのです。しかし、長い管玉でもたった7個では首を一周させることは出来ません。したがって、見栄えのする正面側に玉を並べ、側面から首の後ろ側は通しヒモだけにせざるを得なかったのでしょう。亡くなった子供に持たせるネックレスとはいえ、首の全部を飾れるほどの数は用意できなかったのでしょうか。あるいは幼児の母親は、自分の形見として厳選した7つの玉だけを我が子の首にささげたのかもしれません。つまり、この幼児の首には城野ムラで作った管玉は巻かれていなかったということになります。本来ならムラで作った玉を亡くなった幼児に捧げたいとムラ人は思ったことでしょう。でも、それが出来なかった。なぜ?ここから先は推測ですが、幼児の死があまりに突然だったので、丁度完成していた管玉を準備できなかったのかもしれません。あるいは、幼児には城野遺跡で作った管玉より高価な管玉を捧げたかったのかも知れません。6個の管玉の鉱物組成を分析した結果、これらはなんと朝鮮半島系の特徴がみられるということです。またメノウ製のなつめ玉も、日本産ではない可能性を専門家も指摘しています。小さな玉にも、当時の城野遺跡の人々の壮大な交易の証しが得られました。城野遺跡の玉づくり工房が見つかった東エリアは現在スーパーマーケットの建築工事が進められており、やがては破壊される運命にありますが、開発業者さんのもう一歩のご理解とご協力で、この玉作り工房が出土した竪穴住居(H16)のエリア25㎡だけでも、中庭をイメージしたカフェ的な空間として建物に取り込んで、1800年前の人々の営みを思い描ける場にしていただけないものかと思っています。

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  • 18May
    • すごいぞ!城野遺跡

      みなさん、城野遺跡をご存知ですか?2009年から2010年にかけて、北九州市小倉南区の広大な城野医療刑務所跡地(国有地)の発掘調査で発見された邪馬台国時代(1800年前)の貴重な遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓、そこには手厚く葬られた幼児の朱塗り石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落が見つかりました。すぐ近くには国指定重要文化財の祭祀用の広形銅矛が出土した重留遺跡、ガラス玉200個が見つかった重住遺跡があり、城野遺跡付近は、クニ「聞国(企救国)」の中心集落(首都)であり、朱塗り石棺に埋葬された子どもは「聞国の王子」だった可能性もあります。城野遺跡は北九州市にも、魏志倭人伝に記された国々に匹敵する強大なクニがあった証しです!ところが、北九州市が国との保存交渉で、土地を取得しなかったため、国の一般競争入札で2016年1月に大手建設会社が落札し取得しました。日本考古学協会や市民運動により、2年近く本工事は止まっていましたが、「市は買い戻す気はない」と、今年2月から城野遺跡「東エリア」はスーパーマーケット建築の工事が始まり、城野遺跡は危機的状況です。いま、城野遺跡「西エリア」全域を、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備し、学校教育や憩いの場、イベントなどに活用し、貴重な歴史を後世に伝えるため、北橋市長の英断を求めています。城野遺跡のすごさを知ってもらうために、2016年に写真パネルを作り、講演会や集会、街頭宣伝などで展示しています。ご覧ください。

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  • 17May
    • 北九州の生活情報誌“さくら”に「城野遺跡 北九州に蘇る弥生時代のクニ」が掲載!

      北九州市のアクティブシニア向け生活情報誌“さくら” 3月・4月号の「北九州歴史文化遺産」の特集に城野遺跡と私たちの活動を載せていただきました!とても丁寧な取材で、城野遺跡のすごさや魅力がわかりやすく、私たちの活動につても触れていただき、感謝です!城野遺跡とすぐ近くにある重留遺跡、重住遺跡の遺跡群は、邪馬台国時代(1800年前)のクニ「聞国(企救国)」の中心的集落(首都)と言われており、日本考古学協会も認める日本屈指の弥生遺跡です。私たちも学習会や講演会、署名活動を通して城野遺跡のことを広めていますが、まだまだ市民の多くは城野遺跡の存在もそこに刻まれた貴重な歴史も知らないままです。やはり、貴重な遺跡は、現地を保存し、遺跡公園(史跡)として整備活用され、広報されることなしには市内外にしっかりと広めることはできません。北九州市には、城野遺跡と周辺の遺跡以外にも、数多くの重要な弥生遺跡が発見されていますが、そのほとんどが開発により現地は壊され、市内には本格的に遺跡公園は一つもありません。現在、市は城野遺跡「西エリア」にある方形周溝墓+αの“遺跡広場”を計画していますが、これでは狭すぎて十分に活用できず、周りの開発次第では全く目立ちません!せめて城野遺跡「西エリア」全域を、九州最大規模の方形周溝墓を生かした「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備し、学校教育や憩いの場、イベント開催などにも活用され、その貴重な歴史が後世に語り継がれる場になればと切に願っています。生活情報誌“さくら”のスタッフのみなさま、ありがとうございました。心より感謝いたします。下記に添付しますので、ぜひご覧ください。●私たちが北橋市長や市議会に提案している、城野遺跡「西エリア」全域の遺跡公園案です。これをたたき台に、市民に親しまれる遺跡公園を実現し、市民の宝として守り、後世に語り継ぎたいですね。●北九州市は、専門家や市民の要望に全く耳を傾けず、土地所有会社が無償譲渡する方形周溝墓+αの下記斜線部分の小さな「遺跡広場」にしようとしています(下記参照)。なお、「東エリア」(中央道路の右側)は、市が土地取得に努力せず、今、スーパーマーケット建築工事がすすんでいます。せめて、九州2例目の玉作り工房が出土した竪穴住居(H16 5m×5m)の現地保存を土地所有者と協議するよう繰り返し要望しましたが、「方形周溝墓部分を無償譲渡され、これ以上求めるつもりはない」と最後まで動かず、壊されたようです。高度な技術をもつ”ものづくりの街”の始まりであり、権力者がいた貴重な証しなのに・・・。学術上も重大な損失です。

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  • 04May
    • 邪馬台国時代に北九州市にも強大なクニがあったのに… -「市長への手紙」への残念な回答-

      今、北九州市が計画している小さな“遺跡広場”について、3月22日にメールしていた「市長への手紙」に対し、市長(文化企画課)からの回答が届きました!城野遺跡は広大な医療刑務所跡地だったからこそ、邪馬台国時代の大集落が丸ごと発見された遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓と手厚く葬られた子どもの朱塗り石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模な竪穴住居群が発見され、すぐ近くには祭祀用の広形銅矛(国指定重要文化財)が出土した重留遺跡、200個のガラス玉が見つかった重住遺跡があり、城野遺跡付近は魏志倭人伝に記された国々に匹敵するクニ「聞(企救)国」の国邑(コクユウ・首都)と言われています。日本考古学協会も発掘調査時(2011年)から、国、県、市に対し「現状を保存し、史跡として整備し活用を図る」ことを要望し続け、私たち市民も、市民のかけがえのない文化遺産として守り、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として後世に残して欲しいと繰り返し陳情、要望しています。ところが、北九州市は、これほど重要な遺跡を、土地所有会社から無償譲渡された方形周溝墓+αの小さな“遺跡広場”にしようとしています!邪馬台国時代、北九州市にも強大なクニがあり、その都が発見されたにもかかわらず、城野遺跡やそこに刻まれた貴重な歴史を市民の多くは知らないままです。北九州市には、城野遺跡と周辺の遺跡だけでなく、数多くの学術上重要な弥生遺跡が発見されていますが、そのほとんどが記録後、開発により現地は壊され、市内には本格的に遺跡公園は一つもありません。貴重な歴史を広く知らせ、後世に語り継がれるためには、現地が残り、遺跡公園(史跡)として整備・活用されることが大事です。しかし、市計画の方形周溝墓+αの“遺跡広場”ではあまりにも狭すぎます!そこで、北橋市長に「市長への手紙」を出し、市計画の小さな“遺跡広場”の限界を指摘しながら、せめて城野遺跡「西エリア」全域を取得し、せっかく現地保存される九州最大規模の方形周溝墓を生かした「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」の実現を重ねてお願いしました。しかし、北橋市長は「市長への手紙」の質問に全く答えず、提案やお願いにも耳を傾けることなく、「今後は、土地所有者との協議の中で、購入範囲を確定し、城野遺跡の持つ歴史的価値を市民にわかりやすく伝えられる広場となるよう…すすめていきたい」との、とても冷たい回答でした。城野遺跡の国との保存交渉において、民間に売却され開発により壊される前に、国からの優遇措置(1/3無償)や等価交換が提案されても頑として応じず、土地取得を要望しなかった立場と全く同じです。「国有地の時は国の土地だから、売却後は民間の土地だから」を口実に、市の貴重な文化財の保護を怠っているとしか見えません。北橋市長は、北橋市政の時に発見された邪馬台国時代の貴重な歴史を子どもたちや市民に広く知らせたいと思わないのでしょうか?!多くの考古学者が「邪馬台国時代の遺跡が北九州市で発見された意義は計り知れない」「弥生時代の研究、特に本州と九州の交流史の研究に無視できない遺跡。残してもらわねば困る」と訴えるほど学術上重要な遺跡を大切に保存し、市内外にアピールしようと思わないのでしょうか?!「市長への手紙」と北橋市長の回答を添付します。「市長への手紙」は1500字という字数制限もあり、書き足りない部分もありますが、よかったらお読みください。北九州市で初めての本格的な遺跡公園の実現へ、今後ともご理解とご協力をよろしくお願いします。●動画“朱塗り石棺の謎”は方形周溝墓で発見された幼児の石棺2基の発掘調査記録です。(約14分)城野遺跡発掘当時の感動が伝わってきます。ぜひご覧ください。↓ここクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0↓市計画の小さな“遺跡広場”は「主な遺構の配置図」のオレンジの斜線部分と思われます。※方形周溝墓は土地所有会社から無償譲受、ほかの部分は購入。↓私たちが市に提案している城野遺跡「西エリア」全域の「(仮称)城野遺跡公園」案とイメージ図↓3月22日にメールした「市長への手紙」(受信のお知らせメールより)↓4月22日付「市長への手紙」への北橋市長からの回答

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  • 02Apr
    • 子どもたちへ伝えたい貴重な歴史-講演会“北九州の弥生遺跡は何を語るか”を開催して-

      3月24日、第8回目の講演会「北九州の弥生遺跡は何を語るか-卑弥呼がみた企救国-」を開催し、会場いっぱいの約80名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。講師の日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事の佐藤浩司先生は、北九州市の遺跡の多くの発掘調査に携われ、2009~2010年度の城野遺跡の発掘調査では「玉作り工房」を発見されました。講演会では、九州2例目の「玉作り工房」を発見したときや九州最大規模の「方形周溝墓」で見つかった幼児の「朱塗り石棺」の蓋が1800年ぶりに開けられたときの感動や苦労話など現場での体験を交えながら、「城野遺跡」はもちろん、すぐ近くの「重留遺跡」「重住遺跡」、さらには紫川の上流地域や周防灘側でも見つかっている数多くの重要な弥生遺跡について熱く語られました。その後、それぞれの地域が連携しながらムラを発展させ、「聞(企救)国」というクニが形作られたこと、そのクニを邪馬台国の女王卑弥呼は知っていたのではないかと推察され、仮説とはいえ、ワクワクする興味深い講演でした!限られた時間でしたが、資料やパワーポイントを使ってわかりやすく語っていただき、北九州市内で発見された弥生遺跡のすごさに、みな興味津々でした。添付している講演会のレジュメからも想像できるのではないでしょうか。ぜひご覧ください。北九州市にはこんなに豊かな弥生遺跡があるのに、そのほとんどが記録保存・移築保存となり、開発により現地は壊され、市内には本格的に遺跡公園は一つもありません。市民の多くは遺跡の存在もそこに刻まれた歴史も知らないままです。そして今、北九州市は、多くの考古学者や私たち市民が一生懸命に保存と整備活用を要望し続けている城野遺跡を、土地所有者から無償譲渡される方形周溝墓+αの小さな「遺跡広場」にしようとしています。これでは学校教育の生きた教材にも憩いの場としてもほとんど活用できません。北九州市(北橋市長)は、邪馬台国時代の貴重な歴史を子どもたちや市民に学んでほしい、知って欲しいと思わないのでしょうか?!この貴重な歴史を市内外にアピールしたいと思わないのでしょうか?!今回の講演会で、城野遺跡と周辺の遺跡はもちろん、北九州市の豊かな弥生遺跡を学び後世に語り継ぐためにも、城野遺跡西エリア全域を「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」を実現する私たちの活動への励みとなり確信にもなりました。3月13日から、新しい陳情署名「城野遺跡公園の実現で邪馬台国時代の歴史を子どもたちへ語り継いでください」に取り組んでいます。ぜひご協力ください。よろしくお願いします。●講演会の様子 卑弥呼と企救国についての講演にみな興味津々●講師の佐藤浩司先生(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事) 北九州市の弥生遺跡の発掘調査を数多く担当されただけに、熱い思いが伝わってきました●講演会のレジュメ(6ページ)●新しい陳情署名

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  • 22Mar
    • 2日後、3/24講演会“北九州の弥生遺跡は何を語るか-卑弥呼がみた企救国-”を開催します!

      広大な医療刑務所跡地(国有地)の城野遺跡は、2009年から2010年にかけて国の莫大な費用をかけた発掘調査により発見されました。邪馬台国時代(1800年前)の九州最大規模の方形周溝墓と手厚く葬られた幼児の石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落など学術上重要な遺跡です。足立山をのぞむ小高い丘陵地にあり、そこに立つと弥生人の息遣いを感じます。北九州市には、城野遺跡やすぐ近くの重留遺跡、重住遺跡だけでなく、豊かな自然の中で歴史と文化を育んできた弥生遺跡群(小倉南区長野地区、横代地区、高津尾地区、八幡東区槻田地区、八幡西区辻田地区、馬場山地区など)があります。そこで、市内の数多くの遺跡の発掘調査を担当した佐藤氏を講師に迎えて、北九州市の弥生遺跡の重要性と魅力を語っていただきます。弥生時代の遺跡群を通して北九州市の成り立ちを一緒に考えてみませんか?お誘いあわせの上、ぜひご参加ください。講演会 北九州市の弥生遺跡は何を語るか       -卑弥呼がみた企救国-日 時 3月24日(土)14:00~16:00頃場 所 小倉南生涯学習センター (小倉南区役所隣り)城野遺跡「東エリア」はスーパーマーケット建築のための造成工事がすすんでおり、私たちが現地保存を切に願っていた玉作り工房(H16)は削られ、壊された可能性が高くなりました。悲しく悔しい限りです。「西エリア」は空き地のままですが、市は、土地所有者から無償譲渡される方形周溝墓+αだけの史跡広場にする計画で、莫大な費用をかけて発掘調査され発見された貴重な歴史遺産なのに、それを市民の大切な財産として守り生かそうとしません。モッタイナイ、情けない…。北九州市政55周年。城野遺跡公園の実現で、北九州市の弥生遺跡群の重要性と魅力を市内外に広く知らせ、歴史と文化を大切にする街づくりをすすめる年にしたいですね。今後ともご支援、ご協力いただきますとともに、「実現する会」へのご入会もよろしくお願いします。↓ 北九州市は人口が減り続け、現在96万人とか。でも、四捨五入すれば100万人だし、北九州市の魅力で100万都市への願いを込めました!●昨年12月までの城野遺跡の様子です…。

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    • 「市長への手紙」を出しました!-壮大な歴史を語る城野遺跡なのに小さな「遺跡広場」にしていいの?-

      邪馬台国時代(1800年前)の北部九州と東アジアの壮大な歴史を語る城野遺跡を小さな「遺跡広場」にしていいの?2月議会で、市計画の小さな「遺跡広場」の土地購入費用として3000万円の予算を提案している北橋市長あてに「市長への手紙」で質問のメールをしました。どんな回答が届くかなぁ…。ちょっと長いですが、よかったらお読みください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北九州市長 北橋健治 様城野遺跡を歴史と文化を大切にしない北九州市のシンボルにしていいのか?!-市計画の「遺跡広場」では貴重な歴史が後世に伝わらない-「邪馬台国時代(1800年前)の遺跡が北九州で発見された意義は計り知れない」(海の道むなかた館館長西谷正先生)、「これまで、弥生時代の研究は北九州の遺跡がなくても進んでいた。しかし、城野遺跡、重留遺跡、重住遺跡が見つかり、今からは弥生時代の研究、特に本州と九州の交流史を考える上で「聞(企救)」国の成果を無視して論じることはできない」(日本考古学協会前会長高倉洋彰先生)など城野遺跡の重要性を多くの考古学者が訴えています。私たち市民も、市長に対し、市民のかけがえのない文化遺産である城野遺跡を守り、後世に伝えるために、せめて西エリア全域を北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」(以下「本格的な遺跡公園」)として整備・活用するために、一刻も早く土地所有者と協議するよう繰り返し要望し、市議会にも陳情しています。ところが、市長は、専門家や市民の声に全く耳を貸さず、土地所有者から無償譲渡された方形周溝墓+αの「遺跡広場」(以下「遺跡広場」)にするために、2月議会に土地購入費用3000万円の予算を提案しています。 市は「遺跡広場」について地元住民の意見を聞きながらすすめると説明しました。この土地購入費用や購入範囲を決めるにあたって地元住民の意見は聞かれたのですか?今後「遺跡広場」について地元住民の意見はいつどこで聞くのですか?教えて下さい。 また、市の「遺跡広場」は、方形周溝墓の幅を道路まで平行に伸ばした範囲(「城野遺跡公園を実現する会」のブログの3/19付記事にある「城野遺跡の主な配置図」のオレンジの斜線部分)と思われます。「本格的な遺跡公園」と比較しながら、もしこんな「遺跡広場」だったら、下記の問題点についてどう思いますか?教えて下さい。<問題1>城野遺跡と周辺の遺跡は邪馬台国時代の北部九州と東アジアの歴史が刻まれた市民の貴重な歴史遺産です。小さな「遺跡広場」では、その壮大な歴史の重要性も魅力も生かされず、市民の多くが知らないまま、歴史と文化を大切にしない北九州市のシンボルとなります。<問題2>「遺跡広場」は方形周溝墓の現地が保存されただけで、その活用には限界があります。「本格的な遺跡公園」にすれば、バスも停まれる駐車場や資料館も設置することができ、城野遺跡はもちろん北九州の貴重な遺跡の総合的な学びの場、市民の憩いの場、イベント等の企画の場等いろんな活用ができ、郷土愛を育み、歴史と文化を大切にする街づくりとなります。<問題3>「遺跡広場」では、土地所有者の開発次第で周りがどうなるかわかりません。開発次第では全く存在感のない「遺跡広場」になります。<問題4>城野遺跡にとって足立山の存在はとても重要です。城野遺跡東エリアは北側に1階建スーパーマーケットが建築され、南側は広い駐車場になる予定です。「遺跡広場」ではスーパーマーケットが足立山を完全に遮り、足立山の下の方は全く見えなくなります。「本格的な遺跡公園」の南側は足立山を遮るスーパーマーケはなく、弥生人も見ていた足立山を見ながらその暮らしを思い描くことができます。<問題5>グーグルマップの写真をみると、城野遺跡はこの地域の貴重な緑地帯です。環境都市としてせめて西エリア全域を遺跡公園にして緑地を残すべきです。「本格的な遺跡公園」が生み出す価値は計り知れず、壊されたら取り返しがつきません。教育日本一をめざし、文化と歴史を大切にする北九州市の市長として、城野遺跡西エリア全域の土地取得のために一刻も早く土地所有者と協議することを決断して下さい。●市庁舎から見える足立山(2001年) やっぱりすごいな!●北橋市長の市長室から見える足立山(2015年) ちょっと見えづらくなったなぁ。見たくないかなぁ…。●市計画の「遺跡広場」はオレンジの斜線部部と思われます。邪馬台国時代の歴史の証しを子どもたちや市内外の人々に知って欲しい!って思わないのかなぁ…。●城野遺跡「東エリア」に建築予定のスーパーマーケット(ゆめマート城野店)の全体図●足立山と城野遺跡のグーグルマップ3D画像。足立山の存在感はすごいな!●南側から見た足立山。足立山の左下に城野遺跡があります。●皿倉山から見た足立山。皿倉山が九州唯一のスキー場だったとか。これもにも驚いたな。

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    • 2月議会に陳情書提出!-邪馬台国時代の歴史を子どもたちへ-

      2月議会の請願締め切りの3月13日に、下記添付の陳情書(7回目)を提出しました!日本考古学協会はじめ考古学の専門家が学術上の重要性を訴え、私たち「実現する会(旧「すすめる会」)も講演会や署名活動などで城野遺跡のことを広めていますが、まだまだ市民の多くは城野遺跡のことを知りません。子どもたちも、学校で教えてもらうことなくほとんどが知らないと思います。学校の先生だって知らない人が多いのでは?城野遺跡、重留遺跡、重住遺跡は邪馬台国時代の北部九州、東アジアの壮大な歴史をひも解く貴重な遺跡なのに、北九州市民が知らない?!知ったら、北九州市がもっと好きになるし、興味がわくし、自慢したくもなります。城野遺跡とそこに刻まれた貴重な歴史を、市民に、特に学校教育の生きた教材として子どもたちに教えて欲しい。この願いを込めて、「城野遺跡西エリア全域を本格的な遺跡公園へ」「国との保存交渉で、国に土地の確保を一方的に主張し、国の優遇措置や等価交換の提案を検討せず、結果、民間に売却された説明責任」を求めて新しい陳情署名に取り組むことにしました。ご協力のほどよろしくお願いします。●提案している城野遺跡西エリアの「城野遺跡公園」です。 このイメージ図をたたき台に実現したいな。 ●市計画の「遺跡広場」はオレンジの斜線部分と思われます。こーんなにすごい遺跡なのにここだけ?周りがどうなろうとお構いなし?足立山が見えなくてもお構いなし?●3月13日提出した陳情書です。ご協力ください。

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  • 19Mar
    • 城野遺跡を歴史と文化を大切にしないシンボルにしていいのか!-市計画の“遺跡広場”を問う-

      「邪馬台国時代(1800年前)の遺跡が北九州で発見された意義は計り知れない」(海の道むなかた館館長西谷正先生)、「これまで、弥生時代の研究は北九州の遺跡がなくても進んでいた。しかし、城野遺跡、重留遺跡、重住遺跡が見つかり、今からは弥生時代の研究、特に本州と九州の交流史を考える上で「聞(企救)」国の成果を無視して論じることはできない」(日本考古学協会前会長高倉洋彰先生)など城野遺跡の重要性を多くの考古学者が訴えています。私たち市民も、市民のかけがえのない文化遺産である城野遺跡を守り、後世に伝えて欲しいと、北九州市に対し、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として設備・活用するために、一刻も早く土地所有者と協議するよう北橋市長と市議会に繰り返し要望し陳情しています。ところが、北橋市長と担当局は、専門家や市民の声に全く耳を貸さず、土地所有者から無償譲渡された城野遺跡「西エリア」の方形周溝墓+αの「遺跡広場」にしようと、2月議会に土地購入費用3000万円の予算を提案しています。多分、市が計画しているのは、下記資料1の「城野遺跡の主な配置図」のオレンジ斜線部分と思われます。仮定の「遺跡広場」ですが、市の計画について主な問題を考えてみました。●資料1 市計画の「遺跡広場」の想定(オレンジ斜線部分)<問題1>城野遺跡と周辺の遺跡は邪馬台国時代の北部九州と東アジアの歴史の研究に欠かせない遺跡です。これほど重要で魅力的な城野遺跡を、土地所有者から無償譲渡された方形周溝墓+αの「遺跡広場」ではあまりにお粗末ではないでしょうか。せっかくの九州最大規模の方形周溝墓と朱塗り石棺の魅力が生かされません。これでは歴史と文化を大切にしないシンボルになってしまうことでしょう。<問題2>市計画の「遺跡広場」は方形周溝墓の現地が保存されただけで、その活用には限界があります。資料2の「実現する会」が提案している「西エリア」全域を遺跡公園にすれば、バスも停まれる駐車場や資料館も設置することができ、資料3のとおりいろんなことができます。JR城野駅南口から徒歩3分しかかからず人々が訪れやすい場所にあり、近くのスーパーマーケットとも共存共栄できます。●資料2 「実現する会」が提案している城野遺跡公園※たたき台としてのイメージ図です。公園内の竪穴住居等は公園の活用次第で変わります。●資料3 昨年7月開催した講演会「城野遺跡公園の実現に向けて」の報告で使われたスライドより<問題3>市計画の「遺跡広場」では、周りはどのように開発されるかわかりません。分譲住宅?マンション?商業施設?周りの開発次第では全く存在感のない「遺跡広場」になります。<問題4>城野遺跡にとって足立山の存在はとても重要です。「東エリア」は、資料4の全体図のとおり、北側に1階建スーパーマーケット(仮称「ゆめマート」)が建築され、南側は広い駐車場になる予定です。市計画の「遺跡広場」ではスーパーマーケットが足立山を完全に遮り、足立山の下の方は全く見えなくなります。「西エリア」全域を遺跡公園にすれば、遺跡公園の南側の方からは足立山を遮るスーパーマーケはなく広い駐車場になるため足立山の裾野まで見ることができ、弥生人も見ていた足立山の姿を思い描くことができます。資料5のグーグルマップをご参照ください。●資料4 (株)イズミが市に提出している「大規模小売店舗届出書」より ●資料5 城野遺跡(赤印)と足立山 グーグルマップより足立山の存在感に感動!九州の出入口の目印になりますね。城野遺跡の緑地は市街地の中のオアシスです。<問題5>資料5のグーグルマップを見ると城野遺跡はこの地域のオアシスなっています。市計画の「遺跡広場」では城野遺跡の「東エリア」も「西エリア」も緑地がほとんど無くなります。環境都市のイメージを壊さないためにも、せめて「西エリア」全域を遺跡公園にして緑地を残すべきです。以上、市計画の「遺跡広場」の問題点を綴りました。綴りながら、市の文化財保護の無責任さと城野遺跡「西エリア」全域を遺跡公園として設備し活用することの重要性に確信を持ちました。※現在、「東エリア」は1階建スーパーマーケット(仮称「ゆめマート」)が建築のために、日曜日も休むことなく造成工事が急ピッチで進んでいます。「実現する会」は、市に対し、貴重な歴史の証しである九州2例目の玉作工房(H16)の5m四方だけでも現地保存のために土地所有者と協議するよう求めながら、土地所有者にも憩いの場などにして残してもらえないかとお願いしてきました。しかし、市は動かず、玉作り工房は削られ壊された可能性が高くなっています。悲しく悔しいです。

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  • 06Mar
    • 城野遺跡は文化財保護審議会で報告されただけ!-黒塗りの協議録と当初の保存計画-

      「邪馬台国時代の遺跡が北九州で発見された意義は計り知れず、保存し公園化することにより、地域の宝として大切に守るべき歴史遺産です」これは、昨年11月5日に開催した「市民の集い 城野遺跡公園の実現へ」に寄せられた海の道むなかた館館長西谷正九州大学名誉教授からメッセージです。城野遺跡は日本考古学協会が国、県、市に対し「現状を保存し、史跡として設備・活用」を求める要望書を3回も提出するほど学術上重要な文化遺産であり、邪馬台国時代の貴重な歴史が刻まれた市民のかけがえのない宝です。これほど貴重な城野遺跡ですが、市の文化財保護審議会では審議されておらず、2011年10月27日と2014年7月23日の文化財保護審議会で審議が終わった後に「報告案件」「報告事項」として説明され、若干質疑されただけです。2回目の2014年7月23日の文化財保護審議会で配布された資料「城野遺跡保存計画の変更について」には、「2011年10月27日開催の文化財保護審議会において報告した城野遺跡の保存について、(現地保存の)計画の変更を決定したので以下の通り報告する」として、「決定した」ことが事後報告されているだけです。市は国(福岡財務支局)に対し、2013年10月9日に「土地を取得要望しない」と回答しています。市が取得しなければ民間に売却され、開発により現地は壊される、つまり現地保存しない決断そのものですが、なんと9か月後に文化財保護審議会で報告したことになります。また、市が市議会で現地保存断念を初めて公表したのは2014年6月11日でした。市は市議会にも文化財保護審議会にも諮ることなく、貴重な文化財を保護するために土地を取得しようしなかっただけでなく、そのことを8か月間も隠し、さらに、城野遺跡の現地保存をすすめる会」の情報開示請求に対し、肝心な部分は黒塗りで国との保存交渉で土地を取得しなかった経緯(協議内容)は隠されたままです。今回、情報開示請求で開示された2014年7月23日の文化財保護審議会の城野遺跡やその後の報告と質疑など最後頁までを添付します。ご覧ください。委員の発言が真っ黒で何も読めず、城野遺跡についてはあっさりと終っていることもですが、当初の現地保存の計画が方形周溝墓と玉作り工房の部分に限られていたことにも、とても驚きました。市民のかけがえのない文化遺産なのにそこだけか!国有地だったからこそ優遇措置(1/3無償)や等価交換があり取得しやすかったのに!北九州市に初めての本格的な遺跡公園ができたのに!と、北九州市の文化財保護行政のレベルの低さ、熱意の無さに心底驚きました。また、この計画では、文化庁が国指定の史跡として土地を確保することがないことも、財務省が市が主張する保存範囲を国有地のまま他の土地を売却することに同意しなかったことも、なんとなく理解できました。私たちは、「東エリア」の玉作り工房(H16)の現地を守り、「西エリア」に本格的な遺跡公園として後世に残すことをこのままあきらめるわけにはいきません。どうか、ご支援、ご協力をよろしくお願いします。北九州市の文化財保護審議会のあり方、情報開示のあり方について、よかつたらご意見や情報をお寄せください。●日本最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会は、城野遺跡に関して、国、県、市に対する要望書を3回も出しています。城野遺跡の学術上の価値、考古学者の願いが伝わってきます。2011.2.25要望書 http://archaeology.jp/maibun/yobo1012.htm2016.1.8再要望書 http://archaeology.jp/maibun/yobo1508.htm2016.7.20再々要望書http://archaeology.jp/wp-content/uploads/2016/08/160802.pdf●城野遺跡が発見された城野医療刑務所の写真がありました。●情報開示請求で一部開示された2014年7月23日文化財保護審議会の協議録と「城野遺跡保存計画の変更について」です(1頁と城野遺跡関係の頁から最後頁まで)

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  • 01Mar
    • 北九州市政55周年 GO!GO!城野遺跡公園 -邪馬台国時代の北九州市の歴史を学び広める年に-

      北九州市は今年2月10日に市政55周年を迎えました。ちょっと気になり調べてみたら、北九州市のホームページに「市政50周年記念事業基本構想」というのがありました。その基本理念は「市制施行50周年という大きな節目を市民全体で祝うとともに、日本の近代化を支えてきた5つのまちが一つになり、それぞれの魅力を生かして、たゆまぬ挑戦を続けてきた歩みを見つめ直し、あらためてこのまちを愛し、誇りに思う機会とします。そして、その思いを夢や希望に溢れるこのまちの未来につなげていきます。」とありました。でも、北九州市の注目すべき歴史は「日本の近代化を支えてきた」だけではありません。邪馬台国時代(1800年前)、北九州市には魏志倭人伝に記された国々に匹敵するクニ=「聞(企救)国」があり、城野遺跡付近はその「国邑=首都(中心集落)」だったと言われています。九州最大規模の方形周溝墓と手厚く葬られた子どもの朱塗り石棺2基、石棺に描かれた謎の絵画文様、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落が発見された城野遺跡、住居跡から祭祀用の広形銅矛(国指定重要文化財)が見つかった重留遺跡、200個ものガラス玉が出土した重住遺跡など日本屈指の弥生遺跡です。さらに豊かな自然の中で歴史と文化を育んできた弥生遺跡群(小倉南区長野地区、横代地区、高津尾地区、八幡東区槻田地区、八幡西区辻田地区、馬場山地区など)があり、1800年前のクニの姿が垣間見えます。ところが、これらの遺跡はほとんどが開発により壊され、遺跡に刻まれた貴重な歴史は広く語られることなく、北九州市民の多くが知りません。市政55周年の今年は、市政50周年よりももっと北九州市の歴史を遡って見つめ直し、この街を愛し、誇りに思う機会にすべきではないでしょうか?!ぜひとも、足立山をのぞむ広大な丘陵地にある城野遺跡を、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備・活用し、弥生時代の北九州市の歴史を語り継いでください。歴史と文化を大切にする街づくりをすすめる年にしてください。「城野遺跡公園を実現する会」は、今、北九州市に対し、①城野遺跡「西エリア」全域を買戻し、現地保存される九州最大規模の方形周溝墓を生かし、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備活用、②スーパーマーケット建築に向けた擁壁工事が進んでいる城野遺跡「東エリア」にある玉作り工房の竪穴住居H16(5m×5m)の現地保存を求めて活動しています。「城野遺跡公園」はJR城野駅南口から徒歩3分です。JRスペースワールド駅から徒歩約5分にある「いのちのたび博物館」とも連携すれば、北九州市の貴重な歴史を学べる魅力的な街づくりにもなります。今、2月議会の真っ最中です。行政の長である市長と、行政のチェック機能を果たすべき市議会議員の皆さまの文化財保護行政の真価が問われています。ぜひとも城野遺跡を守り生かした市長、市議会として市政の歴史に名を刻んでくださいm(__)m●土地所有者の協力で現地保存される方形周溝墓で発見された幼児の箱式石棺の発掘調査記録、動画 "朱塗り石棺の謎"は↓ここをクリックしてください。ぜひご覧ください(約14分)https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●北橋市長は邪馬台国研究に造詣が深く、シンポジウムのパネリストにもなられています。城野遺跡の重要性と魅力は十分にわかっておられます。城野遺跡を守り、北九州市で初めての本格的な遺跡公園として、大切に守り通した市長として名を刻んで欲しい。●市役所から見える足立山。平地に急に盛り上がった足立山。その存在感はすごいですね。足立山の右側の麓に城野遺跡があります。北橋市長は足立山を見るたびに城野遺跡のことを思われてることでしょう。ただし、この写真は35年前です。●この写真は3年前。市庁舎から足立山の全貌が見えなくなりましたが、城野遺跡付近はビルの間から見えるところにあります。●昨年12月までの城野遺跡。足立山をのぞむ丘陵地にあります。真ん中を横切る道路の向こう側が「東エリア」、手前が「西エリア」です。この両方の地域が、北九州市の弥生遺跡を学び、歴史体験できる遺跡公園になったら、どんなに素晴らしかったか…。●今年に入り、この「東エリア」はスーパーマーケット建築に向けた擁壁工事が始まりました。「実現する会」は市に対し、九州2例目の玉作り工房のある竪穴住居H16(5m×5m)の現地保存のために土地所有者と一刻も早く協議するよう要望し、土地所有者、施工者にもお願いの手紙を出しています。市長は、貴重な城野遺跡が壊されるのをどう思われているのか…。

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  • 25Feb
    • 3.24講演会“北九州の弥生遺跡は何を語るか-卑弥呼がみた企救国-”を開催します!

      広大な医療刑務所跡地(国有地)の城野遺跡は、2009年から2010年にかけて国の莫大な費用をかけた発掘調査により発見されました。邪馬台国時代(1800年前)の九州最大規模の方形周溝墓と手厚く葬られた幼児の石棺2基、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落など学術上重要な遺跡です。足立山をのぞむ小高い丘陵地にあり、そこに立つと弥生人の息遣いを感じます。北九州市には、城野遺跡やすぐ近くの重留遺跡、重住遺跡だけでなく、豊かな自然の中で歴史と文化を育んできた弥生遺跡群(小倉南区長野地区、横代地区、高津尾地区、八幡東区槻田地区、八幡西区辻田地区、馬場山地区など)があります。北九州市政55周年。弥生時代の遺跡群を通して北九州市の成り立ちを一緒に考えてみませんか?ということで、下記講演会を開催します。2月12日に結成した「城野遺跡公園を実現する会」の最初の企画です!お誘いあわせの上、ぜひご参加ください。講演会 北九州市の弥生遺跡は何を語るか       -卑弥呼がみた企救国-日 時 3月24日(土)14:00~16:00頃場 所 小倉南生涯学習センター (小倉南区役所隣り)城野遺跡は、北九州市が土地(国有地)を取得しなかったために、2016年1月に民間に売却され、2年間は空き地のままでしたが、今年に入り、「東エリア」はスーパーマーケット建築のための擁壁工事が始まり、周りの土は深く掘り下げられています。でも、玉作り工房(H16)はギリギリ削られていないようです。「西エリア」は空き地のままですが、市は、土地所有者から無償譲渡される方形周溝墓+αだけの史跡広場にする計画で、周りに何が建とうとお構いなしです。莫大な費用をかけて発掘調査され、すごい遺跡が発見されているのに、それを市民の大切な財産として守り生かそうとしません。モッタイナイ、情けない…。私たちは、いま、北九州市に対し、①城野遺跡「西エリア」全域を買戻し、現地保存される九州最大規模の方形周溝墓を生かし、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」として整備活用、②城野遺跡「東エリア」にある玉作り工房が出土した竪穴住居H16(5m×5m)の現地保存のための土地所有者との協議を求めて活動しています。北九州市政55周年。城野遺跡公園の実現で、北九州市の弥生遺跡群の重要性と魅力を市内外に広く知らせ、歴史と文化を大切にする街づくりをすすめる年にしたいですね。「実現する会」への入会、ご支援とご協力をよろしくお願いします。↓ 北九州市は人口が減り続け、現在96万人とか。でも、四捨五入すれば100万人だし、北九州市の魅力で100万都市への願いを込めました!

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  • 21Feb
    • 考古学者4名が“城野遺跡公園を実現する会”の顧問に!-心強い応援メッセージも

      2月12日の「城野遺跡公園を実現する会」結成総会には、4名の考古学の先生方から城野遺跡公園の実現への応援メッセージが寄せられました。さらに「実現する会」の顧問にもご快諾いただきました! とても心強く、市民の宝として城野遺跡を守り、遺跡公園として後世に残していく運動への確信と励みをいただきました。今後、先生方のお力も借りながら、城野遺跡公園の実現に向けて頑張ろうと決意を新たにしています。先生方のメッセージをご紹介します。◆ 西谷 正 先生(東アジア考古学)このほどは「城野遺跡公園を実現する会」の結成おめでとうございます。皆様のご熱意とご努力に対し、心から敬服いたしますとともに、私なりにご協力できればと念じております。文字どおり、城野遺跡公園が実現するまでたゆまぬ決意と努力を継続したいと存じます。(九州大学名誉教授 海の道むなかた館館長 沖ノ島世界遺産専門家会議委員長)◆ 近藤 英夫 先生(インダス文明考古学) はじめに、「城野遺跡の現地保存をすすめる会」から「城野遺跡公園を実現する会」への発展的継承に賛同します。そして、「実現する会」のメンバーに加えていただいたことありがたく存じます。これからも皆さんと一緒に、遺跡の活用にむけて努力する所存でありますので、よろしくお願いいたします。みなさんは、城野遺跡の保存・活用にかかわられて、「このまち」すなわち北九州市に、なにが欠けているかを充分に感じ取られてきたはずです。その欠けている一つが、「遺跡公園」であろうと思います。ぜひ、実現させましょう。そしてなお、その先の議論をしていきましょう。その議論とは、城野遺跡の保存・活用を目指す議論です。遺跡の保存・活用を考えることは、このまちで生きることの意味を考え、このまちの未来を考えることだと思います。当然、主人公は「わたくし」であり「われわれ」であります。そしてその議論は、自分が、このまちでどう生きていくかに繋がると思います。その先には、「われわれの子ども」や「われわれの孫たち」がいると思います。次の世代まで巻き込んで、おおいに議論ができたらと、思います。「実現する会」が、未来に夢をつなぐ、そのような議論の場となることを期待しております。(東海大学名誉教授 日本考古学協会副会長)◆ 武末 純一 先生(弥生時代集落構造研究)「城野遺跡公園を実現する会」の発足を心よりお祝い申し上げます。ときに「文化不毛の地」ともいわれる北九州市が決してそうではないことを、今回の会の発足と、これからの皆様方の活動が示していくことになります。地域の方々を含めて、多くの方々がこの会の活動に参画され(参加ではありません)、地域づくりを息長く続けられること、そして、城野遺跡だけでなく、北九州市の多くの遺跡が保存活用されることを願ってやみません。本当におめでとうございます。(福岡大学教授 九州考古学会元会長)◆ 吉田 広 先生(弥生時代青銅器研究)「城野遺跡公園を実現する会」が組織を整え、新たな活動のステージに移っていくこと、たいへんうれしく思います。そして、このようなみなさんの行動力に、改めて敬意を表します。城野遺跡の保存問題には、日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員の一人として、調査段階から関わらせていただきました。弥生時代・文化を主たる研究テーマにしてきた一研究者として、見過ごせない、それほど内容の豊かな遺跡なのに、との思いを強く抱いたからこそです。学生時代以来、北九州では、二の丸家老屋敷跡の弥生時代遺跡や銅矛の出土した重留遺跡など、多くを学ばせていただいてきました。その中でも、北九州の地の弥生時代を考える上で鍵となるのはもちろん、東西の弥生文化の流れの中でも、城野遺跡一帯は重要な地位を占めます。私のいる松山の遺跡を考えるためにも不可欠です。そして、このような歴史的価値をもつ城野遺跡だからこそ、現在の地域づくり・まちづくりにおいても大きな力を発揮するはずです。いえ、多くの方々が 「城野遺跡公園を実現する会」にもう集っているように、既に大きな力になっています。いつも訪れる度に、みなさんのパワーに圧倒されるほどですから。なかなか進展を見ない状況が続きますが、私も、力強いみなさんとともに活動していくことで、遺跡の歴史的価値と現代的価値を広く訴えていきたいと思います。(愛媛大学准教授 日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)結成総会の参加者から「専門家や市民がこれほど頑張っているのに、どうして北九州市(北橋市長)は動かないのか」との質問がありました。文化と歴史を大切にする街づくりをめざし、邪馬台国研究に造詣の深い北橋市長はどう答えるでしょうか?↓ 今年は北九州市政55周年です。城野遺跡公園の実現で文化と歴史を大切にする記念の年になるといいな!「城野遺跡公園を実現する会」へのご支援をよろしくお願いします(^^)/↓ 城野遺跡「西エリア」の方形周溝墓の写真です。ちょっと高くなった茂みの部分です。「実現する会」は、市に対し、九州最大規模の方形周溝墓を生かした「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」にするために、「西エリア」全域の買戻しを求めています。ちなみに、市は大和ハウス工業(株)から無償譲渡される方形周溝墓+αの部分だけの史跡広場を検討しています。邪馬台国時代の貴重な遺跡を生かす夢もロマンもないのか・・・。↓ 城野遺跡「東エリア」です。1階建てのスーパーマーケット「ゆめマート(仮称)」建設のための擁壁工事が進んでいます。遺跡の周りを掘り下げ、掘り上げた土の山が数カ所できています。私たちが現地保存を願っている玉作り工房(竪穴住居H16)は土の山の下にあり、まだ残っていると思われます。城野遺跡で発見された竪穴住居は発掘調査後、現地保存に備えて、遺構を土嚢で固定し砂を入れ、ブルーシートをかぶせて保存してあり、削ったり、相当重たい重機が乗らない限り壊れないとのことです。「土地を取得しない」と決定した市長や担当局は、この状況をどう感じているのかなぁ・・・。↓ 昨年12月まではこんな感じでした。城野遺跡は足立山を臨む丘陵地にあります。真ん中付近を横切っている道路の手前が「西エリア」、向こう側が「東エリア」です。両方を遺跡公園にできたら、もっと活用できたし、文化と歴史を大切にする北九州市をアピールできたのに・・・。北九州市は専門家の要望にも市民の願いにも耳を貸さず、道路向こう側の「東エリア」には、左側に1階建てのスーパーマーケットが建ち、右側は広い駐車場になる予定です。「実現する会」は、手前の「西エリア」全域を遺跡公園にするとともに、「東エリア」の九州2例目の玉作り工房(H16)の5m×5m部分だけでも現地保存していただくようを土地所有者兼建築主にお願いし、市には同社と一刻も早く交渉するよう求めています。↓ ご参考までに以降の配置図をご覧ください。すごい遺跡です。右手に足立山がそびえています。※ブログのタイトルについては変更予定ですが、変更による検索順位の低下などが心配され、現在検討中です。

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  • 14Feb
    • “城野遺跡公園を実現する会”結成!-北九州市の弥生遺跡を語り伝えよう-

      2月12日、前日から降り出した大雪で参加が心配されましたが、会場いっぱいの49名の参加で「城野遺跡公園を実現する会」結成総会を開催しました!「城野遺跡の現地保存をすすめる会」がすすめてきた運動の輪を広げようと、「すすめる会」の呼びかけで、北九州市内の、これまで開催した講演会に熱心にご参加いただいた方、昨年11月5日の“市民の集い「城野遺跡公園」の実現へ”でアンケートに連絡先を書いていただいた方、「すすめる会」の活動にご協力いただいている方などに案内し、ご参加いただきました。「すすめる会」から経過報告、会則と役員を提案し、質疑応答後、無事「城野遺跡公園を実現する会」が結成されました。その後の意見交流では、「専門家も市民もこれほど頑張っているのに、どうして北九州市(北橋市長)は動かないのか」「議員の反応はどうか」「広形銅矛は全国各地で発見されているが、国の重要文化財に指定されているのは重留遺跡の広形銅矛だけ。北九州市の弥生遺跡のすごさをもっと知って欲しい」「自治会など地域への働きかけをもっと強めることが大事」「遺跡周辺の高校、中学校、小学校を訪問したが、遺跡公園ができたら子どもたちをぜひ連れていきたいと話された」「城野遺跡公園の実現が市の発展に寄与することをもっと強調した方がいい」など今後の糧となる意見が多数出されました。「城野遺跡公園を実現する会」の目的(会則第3条)は下記のとおりです。「城野遺跡は弥生時代の国民的文化遺産であり、北九州市民のかけがえのない文化財である。城野遺跡の現状を保存し、その周辺の遺跡群とともに貴重な歴史を後世に語り継ぐために、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」を実現することを目的とし、北九州市の歴史と文化を大切にするまちづくりをすすめる。」この目的にご賛同いただける方は、市内外を問わず、ぜひご入会いただきますようお願いします。活動資金として個人会員は年1000円、団体会員は年2000円の年会費をお願いします。お問い合わせは090-3079-6503(永田)あてお電話ください。2月12日の結成総会では、40名を超えるほとんどの方に入会していただきました。「城野遺跡公園を実現する会」発足の日、ご参加いただいた方やメッセージを寄せていただいた先生方のおかげで、とても元気が出る結成総会となりました。城野遺跡西エリアに、九州最大規模の方形周溝墓を生かし、北九州市で初めての「人々が集い、学び、歴史体験できる本格的な遺跡公園」を実現するために、これからは「城野遺跡公園を実現する会」として、引き続きがんばります。今後ともよろしくお願いします。※ブログのタイトルについては変更予定ですが、変更による検索順位の低下などが心配され、現在検討中です。●結成総会で上映した「日本考古学協会からのビデオメッセージ」をご覧ください。2016年12月14日、北九州市との懇談を終えた日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事吉田広愛媛大学准教授からのビデオメッセージです。優しくわかりやすいお話です。ぜひご覧ください。↓ここをクリックすると見ることができます。(約4分)https://www.youtube.com/watch?v=OrZTc90EPW8●結成総会資料の表紙です。●結成総会には、「海の道むなかた館館長 西谷正 九州大学名誉教授」「日本考古学協会副会長 近藤英夫 東海大学名誉教授」「九州考古学会元会長 武末純一 福岡大学教授」「日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事 吉田広 愛媛大学准教授」の4名の考古学の先生方から心強い励ましのメッセージが寄せられました。メッセージが読まれているところです。メッセージについては、次回ブログでご紹介します。●読売新聞が取材に来られ、最初から最後までご参加いただき、記事を載せていただきました。ありがとうございます。これからも、メディアには、市民の貴重な文化財である城野遺跡と周辺の遺跡のこと、「実現する会」の取り組みなど、市内外に情報を提供して欲しいですね。

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  • 07Feb
    • 「城野遺跡公園を実現する会」結成へ!-日本屈指の弥生遺跡を守り、後世に語り継ぐために-

      私たち「城野遺跡の現地保存をすすめる会」は、城野遺跡が発見された城野医療刑務跡地が一般競争入札により民間への売却手続きに入ること知り、2015年11月に新たなメンバーも加わり活動を再開しました。それから2年余り、城野遺跡の重要性と魅力を広めるために7回もの学習会、講演会、市民の集いを開催しながら、市議会と北橋市長に対し「城野遺跡と周辺の遺跡に刻まれた貴重な歴史を市内外に広め、後世に語り継ぐために、本格的な遺跡公園として整備活用すること」を求め繰り返し陳情、要望し、土地を落札した大手建設会社とは4回懇談し、16回の報告書を届けています。※現在、市議会に対する陳情は6回取り組んでいます。同時に、日本最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会は、発掘調査時の「現状を保存し、史跡として整備活用すること」を求める「要望書」につづき「再要望書」「再々要望書」を国、県、市に提出し、2016年12月には、同協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事3名が北九州市を訪れ直接要望しました。ところが、北九州市は、多くの専門家の要望にも、私たち市民の願いにも全く耳を貸そうとせず、大手建設会社は「北九州市は買い戻す気はない。いつまでも待てない」と、今年に入り、城野遺跡の東エリアにはスーパーマーケット建設に向けた造成工事が始まりました(西エリアは空き地のままです)。11月5日、240名の参加で成功した“市民の集い「城野遺跡公園」の実現へ”は、私たちの活動に確信と励ましをいただきました。私たちは、北九州市に対し「城野遺跡の西エリア全部を買い戻し、九州最大規模の方形周溝墓を生かした遺跡公園」を実現させるための議論を重ね、この度、「すすめる会」を新たに「城野遺跡公園を実現する会」に発展させ、下記のとおり結成総会を開催することにしました。「城野遺跡公園を実現する会」結成総会2月12日(月祝)14:00~16:00小倉南生涯学習センター 特別室城野遺跡の土地は、北九州市が取得しなかったため、所有権は国から大手建設会社に移りましたが、城野遺跡は市民のかけがえのない歴史文化財であり、このままあきらめるわけにはいきません。考古学の専門家の方々の協力も得ながらがんばります。私たちは本気です!関心のある方は、ぜひ結成総会に参加ください。また、「城野遺跡公園を実現する会」結成後は、さらなるご支援ご協力をよろしくお願いします。●結成総会の案内チラシ(表)●結成総会 案内チラシ(裏)私たちの「城野遺跡公園」実現への熱い思いを語っています。少し長いですが、ぜひお読みください。↓この時の陳情署名は「4回目」ではなく「5回目」の間違いです。

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私たちは、北九州市小倉南区にある城野遺跡を現地保存し、遺跡公園として整備活用することを求めて活動して...

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