城野遺跡公園を実現する会                     (旧 城野遺跡の現地保存をすすめる会)
-城野遺跡公園を実現する会からのお願い-
城野遺跡は、日本考古学協会も認める北部九州を代表する国民的文化遺産であり、市民の大切な歴史的財産です。私たちは、1800年前の弥生人と出会える遺跡公園として後世に残すために、北九州市(北橋市長)に対し、国、県と協力し、一刻も早く土地取得のために大手建設会社と協議をするよう求めています。ご支援、ご協力をよろしくお願いします。
  • 02Aug
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      連載1 城野遺跡/帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の経緯と経過①-

      城野遺跡/帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の一部始終をたどる-第1章 城野遺跡発見の経緯と経過①この遺跡の発見は、1957年(昭和32年)2月にさかのぼります。当時あった城野医療刑務所内で増築工事が行われた際、福岡県立小倉高校によって緊急発掘調査が行われ、弥生時代の貯蔵用竪穴が1基みつかり、ここに弥生時代中期(2000年以上前)のムラの跡が存在することがわかったのです。しかし、その8年前、現在のJR城野駅南側の台地上で、巨大な板石で四角く箱形に囲った石棺が発見されました(写真1)。「猫塚古墳」と名づけられたこの墓も、やはり小倉高校教諭の田頭喬氏が当時の学生や医療刑務所に収監されていた受刑者、人夫さん達と共同で発掘したもので、その特徴からは古墳時代初め頃(今から約1700年前)のものと考えられました(写真2)。古地図をみると、丸い塚のような形も2〜3ヶ所表現されていることから(図1)、このうちの一つ(2号古墳)が盛り土を伴った猫塚古墳であったと思われます。ちなみに、猫塚古墳の石棺は今も小倉高校のグランド南西隅に移設され、見学可能です。二つの遺跡は直線距離でわずか130mほどしか離れておらず、弥生時代から古墳時代にかけての遺跡がこの城野台地に広がっていることを予測させたのです。しかしここには、1897年(明治30年)頃から旧城野医療刑務所が設置されていたことから、1997年(平成9年)に小倉南区葉山に移転するまでは、一般人が立ち入れない場所でした。当然私も塀の中に入ったことも、塀越しに覗き見したこともありませんでした。そして、医療刑務所が立ち退くことになったあと、ここに城野駅へ向かう都市計画道路城野駅南口線の建設工事が予定されたため、刑務所敷地の全域を対象に、北九州市教育委員会による試掘調査(遺跡の有無をしらべるため試し掘りすること)がおこなわれ、南側低地部をのぞくほぼ全域に遺跡(埋蔵文化財)が存在することがわかったのです(図2)。私もその発掘調査に従事することとなり、はじめて現地を訪れて驚きました。この台地に立ったとき、東の方向には足立山の美しい姿が視野に入ってきました。丘陵の裾部分は手のひらを広げたような緩やかな起伏が迫ってくる感じで見えました。ビルや住宅に一部遮られていますが、目を閉じるとここで暮らす古代人が遠くを見つめるその先に足立山が存在感を示していたことが理解できたのです(写真3、4)。旧城野医療刑務所建物があったときの航空写真(写真5)が読売新聞のHPで掲載されていたので、それを参考に今後見つかるであろう遺跡の展開を予測するのは非常に楽しい時間でした。(次回に続く)佐藤浩司(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事/北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室前室長)■写真1 『猫塚の巨大な箱式石棺』幼い兄弟がみつめる先に朱塗りの石棺が口を開けている。■写真2 『当時の石棺調査の様子』石棺の蓋石に立っているのは刑務官か?遠くに足立山の山裾がみえる。■写真3 『航空写真でみる城野医療刑務所敷地』すでに発掘調査が始まっているが、方形周溝墓の発見はこの数ヶ月さきのことである。■写真4 『発掘調査区の向こうにみえる足立山』足立山を仰ぎ見た弥生人のムラのあとを現代人が発掘している。■写真5 『医療刑務所の全貌写真(読売新聞HPより)』周囲にはコの字型に2階建て建物が巡るが、遺跡は運良く大半が残されていた。■図1 『古字図に見る古墳らしき土地区画』計3ヶ所に四角い区画が残っており、古墳の盛り土(墳丘)の名残と思われる。■図2 『城野遺跡発掘調査区割図』遺跡は広大な範囲にわたるため、調査区を区分けして調査に取りかかる。※城野遺跡発掘調査記録“朱塗り石棺の謎”(動画14分)もぜひご覧ください。↓ここをクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0【佐藤浩司氏のプロフィール】 1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2020年3月退職(前室長)。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、北九州市立大学非常勤講師。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城野遺跡/帰ってきた弥生人 -城野遺跡発見の一部始終をたどる-(連載予定)第1章 城野遺跡発見の経緯と経過(3回)     城野遺跡はどのように発見され、どのように取り扱われてきたのか?第2章 発掘調査の内容(12回)     発掘調査により、どのようなことが明らかになったのか?第3章 注目すべき事実(6回)     城野遺跡は弥生時代の北九州の歴史にとって、何が重要なのか?第4章 立ち退かされた弥生人(4回)     ここで暮らした弥生人たちは、どこへ?第5章 遺跡保存への道のり(3回)     発掘担当者の悩みと苦しみ第6章 立ち上がる市民と城野遺跡(6回)     守ることと伝えること…第7章 立ちはだかる壁(4回)     行政判断の脆弱さを問う最終章 帰ってきた弥生人(3回)     新たな歴史の誕生  ※内容や回数は変更することもあります。週1回程度のペースで連載予定です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  • 28Jul
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      連載 “城野遺跡/帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の一部始終をたどる-” が始まります!

      足立山をのぞむ広大な丘陵地に広がる1800年前の城野遺跡(城野医療刑務所跡地)は2009年から2011年に大規模な発掘調査が行われ、数々の大発見がありました!残念ながら、城野遺跡は開発によりほぼ全域が破壊されましたが、唯一現地が保存される九州最大級の方形周溝墓が、今年3月、「邪馬台国時代の『クニ』の実態を知るうえで重要な遺跡」として県史跡に指定され、現在、「史跡広場」の整備計画が進んでいます。狭いながらも、この一帯に刻まれた貴重な歴史を学び、語り継がれる、市民の宝となる「史跡広場」になるよう願っています。この度、40年以上にわたり市内の多くの遺跡の発掘調査に携わり、城野遺跡の発掘調査の責任者でもあった佐藤浩司さん(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事/北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室前室長)に寄稿をお願いしたところご快諾いただき、“城野遺跡/帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の一部始終をたどる-”を連載することになりました!城野遺跡方形周溝墓発見の経緯と調査の一部始終を語るなかで、北九州市の埋蔵文化財行政の問題点にも迫ります。連載予定は下記をご覧ください。埋蔵文化財調査室の室長であった佐藤さんは、北九州市で発見された貴重な遺跡がことごとく破壊される中、「城野遺跡だけは残したい」と、微妙な立場でありながらも私たちの活動に様々な形でご協力いただきました。2015年11月に佐藤さんを講師に迎えた学習会で城野遺跡の重要性に確信をもち、考古学の著名な研究者を講師に迎えた講演会等を何度も開催することができ、大和ハウス工業(株)への働きかけ、市長や市議会への要望、陳情等、粘り強く続けることができました。私たちは、北九州市が専門家や私たち市民の声に耳を傾けない中、佐藤さんの力なくして城野遺跡の方形周溝墓は保存できなかったと感謝しています。城野遺跡のほぼ全域が破壊され、1800年前の弥生人が見上げた足立山の全貌は整備計画中の「史跡広場」からは見えそうにありません。ぽつんと保存された九州最大級の方形周溝墓は何を語るか?! 乞うご期待!【佐藤浩司氏のプロフィール】 1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2020年3月退職(前室長)。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、北九州市立大学非常勤講師。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城野遺跡/帰ってきた弥生人 -城野遺跡発見の一部始終をたどる-第1章 城野遺跡発見の経緯と経過(3回)     城野遺跡はどのように発見され、どのように取り扱われてきたのか?第2章 発掘調査の内容(12回)     発掘調査により、どのようなことが明らかになったのか?第3章 注目すべき事実(6回)     城野遺跡は弥生時代の北九州の歴史にとって、何が重要なのか?第4章 立ち退かされた弥生人(4回)     ここで暮らした弥生人たちは、どこへ?第5章 遺跡保存への道のり(3回)     発掘担当者の悩みと苦しみ第6章 立ち上がる市民と城野遺跡(6回)     守ることと伝えること…第7章 立ちはだかる壁(4回)     行政判断の脆弱さを問う最終章 帰ってきた弥生人(3回)     新たな歴史の誕生   ※内容や回数は変更することもあります。週1回程度のペースで連載予定です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【城野遺跡をめぐる主な経緯】城野遺跡(城野医療刑務所跡地)は2009年から2011年に大規模な発掘調査により発見されました(莫大な費用は国負担)。弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の学術上極めて重要な遺跡であり、日本最大の考古学研究者団体日本考古学協会や九州考古学会は、すぐに国、県、市に「現地の保存と史跡として整備活用」を求める『要望書』を出し、国、県、市も「貴重な歴史が刻まれた重要な遺跡」と高く評価しました。発掘調査終了後、北九州市は現地保存の方針で、国と2年以上も保存交渉をしましたが、国が「国有地は無償譲渡できない。市が取得するのであれば優遇措置(1/3無償)や等価交換(市有地との交換)できる」と提案しても、市は「土地の確保は国の責任」と最後まで土地取得を要望せず、2016年に一般競争入札が公示され、土地は民間の開発業者(大和ハウス工業(株))に売却されました。城野遺跡が開発による消滅の危機に瀕する中、日本考古学協会は『再要望書』『再々要望書』を提出し、私たちも城野遺跡の重要性を広く知っていただくために講演会等を開催しながら、大和ハウス工業(株)との懇談や活動報告、市長や市議会に繰り返し要望、陳情しました。しかし、専門家や私たち市民の願いは叶わず、2018年に東エリアの全域が消滅、2019年に西エリアのほぼ全域が消滅しました。今、城野遺跡は大和ハウス工業(株)が市に無償譲渡した九州最大級の方形周溝墓周辺を「史跡広場」にする整備計画が進んでいます。今年3月、「邪馬台国時代の『クニ』の実態を知るうえで重要な遺跡」として県史跡に指定されたことは、喜びとともに保存範囲のあまりの狭さに心底残念に思っています。しかし、城野遺跡の全滅を阻み、現地が守られた「史跡広場」は、狭いながらもこの地の貴重な歴史を学び、後世に語り継ぐ北九州市の歴史遺産です。今後は、市の整備計画を注視しながら、よりよい「史跡広場」になるよう質問や要望を出していきたいと思っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・城野石棺の発掘調査記録の動画“朱塗り石棺の謎”(14分)もぜひご覧ください。発掘調査時の感動がよみがえります。↓ここをクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0■唯一現地が保存される方形周溝墓での葬儀の様子の想像図。幼い二人の子どもを相次いで失い、悲しみに暮れる母親。■佐藤さんの紹介記事(毎日新聞)です。佐藤さんが講師をつとめられている現在も開催中の「連続講座」のことも書かれてます。■「連続講座4」(2020.7.5)で講演する佐藤浩司さん。パワーポイントに映し出される発掘時の遺跡の写真や図表、わかりやすい言葉、会場にも問いかけながら謎に迫る話しに、参加者は興味津々です。■小倉城内堀の調査(2018.3.2)でテレビのインタビューに答える佐藤さん。堀跡からは、天守閣焼失を物語る大量の遺物が出土した。■「曽根平野古墳群プチツアー」(2018.6.24) 上ん山古墳の見学数少ない北九州市の前方後円墳は6世紀に築かれた。■「曽根平野古墳群プチツアー」(2018.6.24) 荒神森古墳の見学神社の階段を上るとうっそうとした古墳の墳丘にたどりつく。■「埋蔵文化財センタープチツアー」(2018.8.26) 移築された幼児の石棺内部は水銀朱で真っ赤。左端に見えるのは佐藤さんの手。■「小倉城プチツアー」(2019.4.14)天守台石垣の構造は極めて独創的。雨の中、佐藤さんの解説を熱心に聞き入る参加者。■「連続講座2」(2019.12.8)リバーウォークの真下で見つかった弥生時代権力者の墓を紹介。■開発前の城野遺跡。1800年前の弥生人も見上げた足立山をのぞむ丘陵地に広がっていました。■2018年1月から始まった東エリアの造成工事。全滅。■2019年2月から始まった西エリアの造成工事。向こうに見えるのは東エリアにオープンしたゆめマートです。邪馬台国時代の貴重な歴史が刻まれた市民のかけがえのない歴史遺産は、普通財産として民間に売却され、ほぼ全域が破壊されました。■城野遺跡で唯一現地が保存された方形周溝墓。もっと広い「史跡広場」にできなかったのだろうか…。

  • 20Jul
    • 6/17、「継続審査」の城野遺跡関連の陳情7件が急きょ採決、全て不採択に!の画像

      6/17、「継続審査」の城野遺跡関連の陳情7件が急きょ採決、全て不採択に!

      城野遺跡の保存運動は、北九州市(北橋健治市長)が2014年6月の市議会本会議で城野遺跡の現地保存断念を正式に答弁し、それに驚いた地元住民有志が「城野遺跡の現地保存をすすめる会」として取り組み、同年9月に提出した陳情署名が始まりです。2015年11月、城野遺跡が発見された医療刑務所跡地(国有地)が、北九州市が取得要望しなかったため、国が一般競争入札を公示し、民間に売却されようとしていることを知り、驚いた地元住民も加わり、考古学の専門家の協力のもと講演会等に取り組みながら、北橋市長や市議会に繰り返し要望、陳情しました。さらに、2018年に急浮上した埋蔵文化財センターの移転・解体・跡地売却計画も看過できず、この6年間で市議会に提出した陳情は14件です。ところが、2018年6月~2020年3月に提出し、教育文化委員会で審議され「継続審査」になっていた7件の陳情が、その後全く審議されることなく、6/17の委員会で急きょ採決され、全ての陳情が賛成少数につき「不採択」となりました。採決にあたり、「継続審査」を求める動議が出たようですが、賛成少数で否決され、採決されました。今年3月、1800年前の城野遺跡の唯一現地保存される九州最大級の方形周溝墓が「邪馬台国時代の『クニ』の実態を知るうえで重要な遺跡」として県史跡に指定され、文化財として大切に保存活用する責任が課されたばかりだっただけに、市議会(教育文化委員会)の埋蔵文化財行政に対するチェック機能が果たされているのか疑わざるを得ません。すぐに、7件の陳情について、審査状況を陳情項目ごとにチェックしたところ、下記に添付した「城野遺跡及び埋蔵文化財センター移転・解体、跡地売却関連陳情の審査状況」のとおり、ほとんどが未だ明らかになっていなかったり、計画進行中などで採択・不採択の判断ができないものでした。◆そもそも、第1回審査で、「慎重審議につき継続審査」にしたのはなぜ?◆その後一切審議することなく、一部委員から「継続審査」を求める動議が出たにもかかわらず、採決したのはなぜ?◆各陳情の陳情項目のほとんどが未だ明らかになっておらず、計画進行中などで採択・不採択の判断ができないのに、「不採択」の結論を急いだのはなぜ?◆「継続審査」となった陳情の審議日程を事前に陳情者に知らせないのはなぜ?◆陳情者が何ら知らないうちに、委員会が開催され、陳情が「不採択」になるシステムは市民に開かれた市政とはいえず、問題でははないか?など、行政のチェック機能である市議会への不信感が募っています。貴重な歴史が刻まれた埋蔵文化財は破壊されたら取り戻すことができません。市民の多くが知らないうちに国史跡指定の可能性があった広大な城野遺跡のほぼ全域の破壊を招いた経緯は未だ明らかにされていません!7件の陳情書について、市議会事務局から届いた「不採択」の通知と市議会事務局が陳情を要約した文書表を添付します。城野遺跡をめぐる状況や私たちの活動の一端を示しています。ぜひ、ご覧ください。●北九州市陳情一覧(更新日 : 2020年6月17日)です。178件の陳情のうち、「採択」は2件、「不採択」は39件。「不採択」39件のうち、7件が「城野遺跡公園を実現する会」が提出した陳情です。約8割の陳情が「継続審査」で、来年1月の議員の任期満了で「審査未了」として処理されるのでしょう。こうなると、どんな場合に採決するのかが気になりますね。↓をクリックしてください。https://www.city.kitakyushu.lg.jp/sigikai/file_0064.html●コロナ禍で傍聴参加も困難な中、4/17教育文化委員会で口頭陳情する様子。開発前と造成工事で破壊された城野遺跡の写真パネル(左側)、県史跡に指定された「史跡広場」の隣接地に10階建てマンション(高さ32m)の建築工事中の写真パネル(右側)を、正面の教育文化委員会委員にも、後ろの市民文化スポーツ局の職員にも見えるように掲示しながら5分間の口頭陳情をしました。(写真は小倉タイムスより)●7件の陳情についてチェックした、6/17不採択時の「城野遺跡及び埋蔵文化財センター移転・解体・跡地売却関連の陳情の審査状況」●以下、陳情7件について、「不採択」の通知と市議会事務局が陳情書を要約した「文書表」です。<陳情書のタイトル>は提出した陳情書の文言です。1 陳情第88号<陳情書のタイトル> 「城野遺跡公園の実現で歴史と文化を大切にする文化財行政へ-1800年前の貴重な歴史を語る城野遺跡を、方形周溝墓付近だけの“遺跡広場”にしていいのか-」2 陳情第109号 <陳情書のタイトル>「邪馬台国時代の東アジアと北部九州の歴史が刻まれた城野遺跡を日本屈指の弥生遺跡にふさわしい遺跡公園へ」3 陳情第121号<陳情書のタイトル>「城野遺跡の破壊につづく、埋蔵文化財の杜撰な扱いにつながる埋蔵文化財センターの八幡市民会館への移転に反対します」4 陳情第139号<陳情書のタイトル>「北部九州と東アジアの歴史をひもとく貴重な城野遺跡の破壊を教訓に城野遺跡は後世に語り継がれる『史跡広場』に 埋蔵文化財センターは現地で維持・活用へ」5 陳情第150号<陳情書のタイトル>「北九州市の埋蔵文化財行政の発展と市計画の「城野史跡広場」(遺跡公園)の価値を活かすために埋蔵文化財センターの移転・解体・跡地売却計画の白紙撤回を求めます」6 陳情第158号<陳情書のタイトル>「埋蔵文化財センターの今後の在り方を検討する委員会の設置を求めます」7 陳情第170号<陳情書のタイトル>「県史跡に指定された城野遺跡にふさわしい市民に親しまれる「史跡広場」の実現を求めます」

  • 25Jun
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      7/5 連続講座 第4回「大地に根づく日々-助け合う重留・重住ムラ-」を開催します!

      1800年前の広大な城野遺跡はほぼ全域が消滅しましたが、今年3月、唯一現地保存される九州最大級の方形周溝墓が「邪馬台国時代の『クニ』の実態を知るうえで重要な遺跡」として県史跡に指定されました。文化財(※)として大切に保存活用されることとなり、本当によかったです!さて、昨年10月から隔月で、城野遺跡はもちろん北九州市の豊かな弥生遺跡について知っていただくために、佐藤浩司さんを講師に連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」を開催していますが、コロナ禍の影響で、4月に予定していた第4回は延期していました。この度、長期にわたり休館していた小倉南生涯学習センターの開館がきまり、会の活動も「with corona」で活動を続けていくことにし、連続講座第4回を下記のとおり開催することにしました!連続講座“紫川を治めた人々のムラとくらし”第4回 大地に根づく日々-助け合う重留・重住ムラ- 日 時 7月5日(日)14:00~16:00 (13:30受付開始) 場 所 小倉南生涯学習センター 視聴覚室 講 師 佐藤浩司先生(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事) 参加費 無料  ※先着40名(コロナ対策で定員の半数に制限)~下記のコロナ対策にご協力ください~① 発熱、風邪気味の方はご遠慮ください。② マスクを必ず着用してください。③ 来館されたら必ず手の消毒をしてください。(玄関や各フロアに設置)この連続講座は、北九州市では貴重な遺跡が発見されてもほとんどが破壊され、本格的な遺跡公園が一つもない中、「北九州市の小倉南区、八幡西区で発掘された弥生遺跡は、日本の考古学会でも注目すべき数々の歴史的事実を提供してきており、関門海峡をはさんで本州や四国と向き合う文化の十字路的役割も古代より果たしてきた地域であることがわかりました。ここに住む人々の祖先がどんな暮らしをしながらムラを発展させてきたのか、どんな思いを抱いて生きてきたのか、見つかった様々な遺構や遺物を通して、ご一緒に考えてみませんか。ふるさとがもっと好きになること間違いありません」(第1回レジュメより)との思いで開催しています。講師の佐藤浩司さんは北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室の学芸員(前室長)として、北九州市内の数多くの遺跡の発掘調査を担当されており、パワーポイントで遺構や遺物、図面などの画像もふんだんに使い、発掘当時の体験や感動も交えながらのお話はわかりやすく、「こんなにたくさんの遺跡があることに驚いた」「生まれ育った小倉の町の弥生時代の人々の暮らしぶりを知り、人間の豊かな営みを実感」「次の講座も楽しみです」等の感想や意見が寄せられています。今回、コロナ禍の影響で、定員80名の会場ですが40名の使用制限があります。先着40名までですが、ぜひご参加ください。よろしくお願いします。※「文化財」とは人間の文化的,生活的活動によって生み出され,残されているもののうち,特に歴史的,文化的価値の高いもの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・~これまでの連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」の主な内容~■第1回「こんなすごい遺跡があった」紫川流域に発見された数多くの弥生遺跡全般のお話で、北九州市でもこんなに多くの貴重な遺跡が発見されていることに驚きました。■第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」小倉城二ノ丸家老屋敷跡(リバーウォーク付近)、備後守屋鋪南側土塁跡、蒲生石棺群など、紫川河口に出現した砂浜の墓地、溝で囲われた弥生ムラ、その周辺のムラムラの遺跡について、見つかった遺構や遺物の特徴、緊張関係や協力関係などのお話を聞きながら、この地の原始・古代の人々のくらしや時代の変遷に思いを馳せました。■第3回「時代の真ん中、ものづくりの先端」弥生時代中期(2100年前)、紫川流域で行われた木製品づくり、そしてその技術力を生かして富を蓄え、貴重な文物を手に入れた人々のムラにスポットがあてられ、「ものづくりのまち 北九州」を特徴づける技術力と独創的なアイデアが、ここ紫川流域を中心に広がっていったことがわかりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・~今後の連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」のテーマ~■第4回「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」(2020年7月5日)■第5回「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」(2020年9月予定)■第6回「新しい秩序、企救国の誕生」(2020年11月予定)●案内チラシ●案内チラシの裏面です。●第3回連続講座 講師の佐藤浩司さん●第3回連続講座 熱心に聞き入る会場の様子●第3回連続講座 たくさんの写真や図に、参加者も興味津々でした。

  • 03Apr
    • 4/12 連続講座第4回「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」は延期します!の画像

      4/12 連続講座第4回「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」は延期します!

      昨年10月から、北九州市内の数多くの遺跡発掘調査を担当されている佐藤浩司先生(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)を講師に迎え、隔月で連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」を開催しています。現在、10月、12月、2月の第3回まで開催しましたが、4月12日に開催予定していた第4回「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」は、現在、世界を日本を揺るがしている新型コロナウイルスの感染拡大が危惧されるため延期します。なお、会場も4月20日まで閉館が延長されました。変更日は、5月、6月に別の企画を予定しているため、7月を予定していますが、現在急増している新型コロナウイルス感染の状況次第です。北九州市の小倉南区、八幡西区で発掘された弥生遺跡は、日本の考古学会でも注目すべき数々の歴史的事実を提供してきており、関門海峡をはさんで本州や四国と向き合う文化の十字路的役割も古代より果たしてきた地域であることがわかりました。連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」では、ここに住む人々の祖先がどんな暮らしをしながら村を発展させてきたのか、どんな思いを抱いて生きてきたのかなど、みつかった様々な遺構や遺物を通して、考えていきたいと思います。第4回の延期は大変残念ですが、開催が決まりましたらお知らせしますので、今後ともよろしくお願いします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」のテーマ>■第1回 2019年10月20日(日)会場:小倉南図書館■第2回 2019年12月8日(日)会場:小倉南図書館「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」■第3回 2020年2月23日(日)会場:小倉南生涯学習センター「時代の真ん中、ものづくりの先端」■第4回 2020年4月予定(日)(会場未定)「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」■第5回 2020年6月予定(会場未定)「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」■第6回 2020年8月予定(会場未定)「新しい秩序、企救国の誕生」●案内チラシです。新型コロナウイルス感染拡大が心配され、この案内チラシは広く告知はしていませんでしたが、開催日程は広く知らせていました。第4回の延期に伴い、その後の日程も変更します。●連続講座の様子です。

  • 14Mar
    • 3/13、城野遺跡が県史跡に指定!-北九州市の原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ「史跡広場」へ-の画像

      3/13、城野遺跡が県史跡に指定!-北九州市の原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ「史跡広場」へ-

      なんと、福岡県が城野遺跡(北九州市小倉南区)を「弥生時代の『クニ』の実態を知るうえで極めて重要な史跡」として、県史跡に指定しました!2009年~2011年の発掘調査で見つかった城野遺跡は、広大な城野医療刑務所の地下で開発による破壊から守られ続けた弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の国民的文化財であり、市民のかけがえのない歴史遺産です。東と西に分断する道路ができなければ、近くにある重留遺跡や重住遺跡と一体のものとして、国指定の可能性もあったようです。残念ながら、北九州市は専門家や市民の願いに耳を傾けることなく、城野遺跡の保存活用に最善を尽くさず、土地(国有地)は大和ハウス工業に売却され、その後、ほぼ全域が開発により破壊されました。しかし、土地を取得した大和ハウス工業が、城野遺跡の重要性や私たち市民の保存運動に配慮し、本工事を2年間止めた上、方形周溝墓部分を市に寄付したことで、狭いながらも現地を守り、「史跡広場」として整備活用できることになりました。大和ハウス工業は、私たちとの懇談の場で「北九州市は(全域を)開発していいと言っている。当社は慈善団体ではない」と何度も話しており、私たちは開発による消滅に危機感を感じながら、専門家の協力も得て保存運動を続けてきました。城野遺跡の全滅を阻み、一部ですが現地を残すことができ、今回、県史跡に指定され、本当によかったです!あとは、北九州市が県指定史跡にふさわしい「史跡広場」としてどのように整備活用するか?! です。ところが、「史跡広場」にするために市が購入した土地が、方形周溝墓の幅ギリギリだったため、昨年2月には隣接地の造成工事により方形周溝墓が損傷し、さらに、今、懸念していた最悪の事態が発生しています!なんと、隣接地に10階建(高さ32m)のマンションが建築予定なのです。昨年9月に計画を知り、すぐに私たちは「『史跡広場』の存在感や景観に支障をきたさないよう対応」を求めて、市長や市議会に要望、陳情しました。しかし、市は全く動くことなく、今月中旬から工事が始まろうとしています…。昨日、県史跡に指定され、改めて、市が国との保存交渉(2年間)で、城野遺跡を開発による破壊から守るために、市有地との交換等で土地を取得しなかったのはなぜか?!遺跡公園にすれば、国や県からの補助金も期待できたのに、と悔やまれます。これからも、城野遺跡から目が離せません。※先月、ブログのデザインを変更しましたがしっくりきません。今回の県史跡指定を受け、ブログを始めたころの気持ちを忘れないために、元のデザインに戻しました(^^;  1か月間でしたが、新デザインさん、ありがとう。さようなら(^^)/~~~●城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画「朱塗り石棺の謎」(14分)をぜひご覧ください。何度見ても当時の感動がよみがえります。そして、ほぼ全域が消滅したことに悲しく、悔しくなります。下記↓をクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●3/13のNHKニュースです。しばらくすると見れなくなるかもしれないのでお早めにご覧ください。下記↓をクリックしてください。https://www3.nhk.or.jp/lnews/kitakyushu/20200313/5020005321.html?fbclid=IwAR3IYKaUefIUObgifSXmTNmW0IT_PwIOwZsgZ8D0Ctsx42lLlaoWEC3Hrck●NHKニュースの画像の一部と全部です。●北九州市の史跡指定の一覧です。5市が合併した人口95万の大都市ですが、ちょっと少なくないですか? しかも、国指定の史跡は一つもありません。北九州市では多くの弥生遺跡が発見されていますが、ほとんど全てが破壊され、史跡に指定されているのは県指定の「重留遺跡」だけです…。近々、ここに弥生遺跡として「【県指定】城野遺跡」が加筆されることでしょう。市には、専門家や市民の意見をききながら、子どもたちや市民が学び、語りつがれる「史跡広場」をつくって欲しいです。●県史跡に指定されましたが、市計画の「史跡広場」は大変な事態です。隣接地に10階建マンション(高さ32m)が建築計画が進んでいます。私たちは、市長や市議会に要望、陳情しましたが動きませんでした。先日は設計者兼連絡先の(株)渡辺設計事務所と懇談し、計画の詳細を聞くとともに、城野遺跡の重要性と私たちの思い、建築にあたってのお願いを伝えました(建築主の(株)希成にも同席をお願いしましたが断られました)。以下、マンションの図面と現地の写真です。↓ 設計事務所からいただいた図面に、「史跡広場」「方形周溝墓」「マンション」の場所を書き込みました。せっかくの県史跡に指定された「史跡広場」指定されたなのに、隣接地に32mのマンションが建つとは…。西エリア全域の遺跡公園化が叶わなくなり、一番懸念していた事態です。↓「史跡広場」から見た高さ32mマンションです。手前は駐車場2階につながるスロープ(幅5m)と駐車場です。方形周溝墓は2階建駐車場の真横になると思われます。城野遺跡にとって足立山の存在は欠かせませんが、方形周溝墓から足立山は全く見えなくなります。↓ 右側のこんもりとした空き地が「史跡広場」の予定地。向こう側の建物が「サンキュードラッグ城野店」。高さ32mのマンションは「サンキュードラッグ城野店」の「史跡広場」に挟まれた三角地帯に建築予定です。県史跡指定は喜ばしいですが、複雑な心境です・・・。

  • 16Feb
    • Change!ブログのデザイン -城野遺跡の保存運動6年目にあたって-の画像

      Change!ブログのデザイン -城野遺跡の保存運動6年目にあたって-

      「城野遺跡」って、いつ発見されたかご存知ですか?2009年から始まった医療刑務所跡地(国有地/北九州市小倉南区)の発掘調査で発見された城野遺跡。なんと、弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の九州最大級の方形周溝墓、高価な中国産の水銀朱がたっぷりと塗られた幼児の箱式石棺2基、石棺の小口石に描かれた全国初例の絵画文様、九州2例目の玉作工房を含む大規模な竪穴住居群などが見つかりました。発掘調査にかかった費用は数億円(国の負担)と言われ、全国最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会や九州考古学会はすぐに国、県、市に遺跡の保存活用を求める要望書を出し、北九州市と国は2年もかけて保存交渉をしました。それほど重要な文化財であり、市民のかけがえのない歴史遺産なんです。広大な医療刑務所跡地だったからこそ、これほど重要な遺跡群が丸ごと発見され、現地見学会には500名以上もの参加があったそうです。石棺の小口石に描かれた全国初例の絵画文様は全国紙の1面に掲載され全国的に注目された発見でした。ところが、北九州市(北橋市長)は国との保存交渉で最後まで土地取得を要望せず、2014年6月、保存方針を当初の「現地保存」から、次善の策である「重要な箱式石棺2基を移築保存」に変更し、「現地保存を断念」したことを正式に発表しました。国が提案した優遇措置(1/3無償)や等価交換(市有地との交換)を活用して土地を取得し、公園として活用すれば国や県からの補助金も期待できました。どうして、北九州市は城野遺跡を大切な文化財として保存活用に最善を尽くさなかったのでしょうか? 私たちは、国との保存交渉のすべての行政文書の開示請求をしましたが、肝心の協議内容は黒塗りで、未だ説明責任は果たされず隠されたままです。市の「現地保存の断念」の発表に驚いた地元有志が、2014年9月に保存運動の署名に取り組んだのが私たちの活動の始まりです。2015年11月からは新しいメンバーも加わり活動を再開し、城野遺跡を北九州市の豊かな原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ本格的な遺跡公園として整備活用を求め、昨年からは埋蔵文化財センターの安易な移転解体問題が発生したため、埋蔵文化財センターのあり方の検討を求める活動にも取り組んでいます。小さな市民団体ですが、専門家の協力も得ながら、現在、活動6年目です。この間、城野遺跡のことを知ってもらうための学習会や講演会、市民のつどい、市内の歴史をめぐるプチツアーの開催、国との保存交渉の情報開示請求、市長や市議会への要望・陳情(13回)、文化企画課との懇談、土地を取得した大和ハウス工業(株)との懇談と活動報告などに取り組んできました。しかし、長年にわたる専門家や私たち市民の願いは叶わず、残念ながら、広大な城野遺跡はほぼ全域が開発により破壊されてしまいました。一方、私たちとの懇談の場で「北九州市は開発していいと言っている」「私たちは慈善団体ではない」と何度も話していた大和ハウス工業(株)は、城野遺跡の重要性や私たち市民の保存運動に配慮し、土地取得後2年近く本工事を止めた上、方形周溝墓部分の無償譲渡を北九州市に申し入れ、九州最大級の方形周溝墓の現地は残すことができました。現在、北九州市は、唯一現地が保存される方形周溝墓を活かした「史跡広場」を計画中ですが、真横に10階建て(高さ32m)のマンションの建築計画など看過できない問題が発生しています。北九州市で初めての原始・古代の歴史を学び、語り継がれる「史跡広場」の実現に向けて今後ともとりくんでいきたいと思っています。また、埋蔵文化財センターの八幡市民会館への移転、解体、跡地売却計画は、八幡市民会館の利活用の視点から検討されたものであり、現在の埋蔵文化財センターの機能性や利便性、耐用年数には早すぎる解体、歴史と文化に出会える小倉都心部の近くで果たしている役割など多角的に具体的に検討された形跡がほとんどありません。質問しても誠意ある回答はなく「総合的に判断した」の一言ですまされています。埋蔵文化財センターは埋蔵文化財行政の中核となる施設であり、市民の大切な文化施設です。移転の合理性も必要性もないのに、八幡市民会館の改修に莫大な費用をかけるのは税金のムダ遣いです。立ち止まり、再度検討し直すよう求めていきたいと思っています。城野遺跡はほぼ全域が消滅し、何かと厳しい状況にありますが、北九州市の豊かな原始・古代の歴史を学び、語り継ぐまちづくりへ一歩でも進めたいという願いも込めて、気分一新、ブログのデザイン変えてみました(^^; 長くなりましたが、これからもよろしくお願いします<(_ _)>●城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画“朱塗り石棺の謎”(14分)をご覧ください。私たちが多くの方々に城野遺跡の存在と重要性を広めるために作りました。発見時の感動が蘇ります。↓ここをクリックしてください。よかったら拡散してください<(_ _)>https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●本日2020年2月16日に変更したブログのデザイン。よくなったのかどうか、よくわかりませんが、気分一新です(^^)/~~~●このブログを開設した2016年9月12日から今日まで続いたブログのデザイン。すごく愛着ありますが、リフレッシュして気分一新しようと思います(^^; また復活したりして…。その時はまたよろしく<(_ _)>●ブログを開設した2016年9月12日にアップした「すごいぞ!城野遺跡」の写真パネルです。久々のアップです。よかったら、ご覧ください<(_ _)>

  • 14Feb
    • 2/23 連続講座 第3回「時代の真ん中・ものづくりの先端」を開催します!の画像

      2/23 連続講座 第3回「時代の真ん中・ものづくりの先端」を開催します!

      昨年10月から隔月で開催している連続講座「紫川を治めた人々のムラとくらし」も3回目を迎えました!第1回「こんなすごい遺跡があった」(10/20)、第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」(12/8)は、城野遺跡に近く、窓からは弥生人も眺め祈った足立山が見える小倉南図書館で開催。当日、どれだけの参加があるかドキドキでしたが、定員60名のセミナー室は2回とも満席となり、椅子を追加するほどでした。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。※なお、第3回の会場は小倉南生涯学習センターです。それに続く、連続講座 第3回を下記のとおり開催します!連続講座“紫川を治めた人々のムラとくらし”第3回 テーマ 「時代の真ん中・ものづくりの先端」 日 時 2月23日(日)14:00~16:00 場 所 小倉南生涯学習センター 特別会議室 参加費 無料今回の連続講座の講師は、北九州市内の多くの遺跡の発掘調査を担当されている佐藤浩司先生(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)。発掘調査当時の体験や感動も交えながら、パワーポイントで遺構や遺物、図面などの画像もふんだんに使った講演はわかりやすく参加者の評判も上々です。第1回「こんなすごい遺跡があった」では、紫川流域に発見された数多くの弥生遺跡全般のお話で、北九州市でもこんなに多くの貴重な遺跡が発見されていることに驚きました。第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」では、小倉城二ノ丸家老屋敷跡(リバーウォーク付近)、備後守屋鋪南側土塁跡、蒲生石棺群など、紫川河口に出現した砂浜の墓地、溝で囲われた弥生ムラ、その周辺のムラムラの遺跡について、見つかった遺構や遺物の特徴、緊張関係や協力関係などのお話を聞きながら、この地の原始・古代の人々のくらしや時代の変遷に思いを馳せました。佐藤先生から出された質問では、参加者からの説得力ある推理に感心させられる場面もありました。※第2回(12/8)のアンケートには6割以上の47名の方にご協力いただき、「こんなにたくさんの遺跡があることに驚いた」「生まれ育った小倉の町の弥生時代の人々の暮らしぶりを知り、人間の豊かな営みを実感」「行政も本気で遺跡を保存して欲しい」「次の講座も楽しみです」など、感想や意見が寄せられました。北九州市の原始・古代の歴史があまり知られていないこと、多くの市民が知りたがっていることが浮き彫りになりました。※第1回はアンケートを準備し忘れました。そして、来たる2/23開催の第3回「時代の真ん中・ものづくりの先端」では、紫川流域で行われた木製品づくり、そしてその技術力を生かして富を蓄え、貴重な文物を手に入れた人々のムラにスポットをあてます。詳しくは、添付の案内チラシの表面、裏面をご覧ください。ここに住む人々の祖先がどんな暮らしをしながらムラを発展させてきたのか、どんな思いを抱いて生きてきたのか、見つかった様々な遺構や遺物を通して、ご一緒に考えてみませんか。ふるさとがもっと好きになること間違いありません。1回だけの参加でも構いません。お気軽にご参加ください<(_ _)>連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」のテーマ■第1回「こん何すごい遺跡があった」 2019年10月20日(日)会場:小倉南図書館■第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」 2019年12月8日(日)会場:小倉南図書館■第3回「時代の真ん中、ものづくりの先端」 2020年2月23日(日)会場:小倉南生涯学習センター■第4回「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」 2020年4月12日(日)会場:小倉南生涯学習センター■第5回「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」 2020年6月予定 会場:未定■第6回「新しい秩序、企救国の誕生」 2020年8月予定 会場:未定●案内チラシの表面。写真右上の親子がのぞき込んでいる様子にご注目。お父さんは子どもにどんなお話をしているのかな?●案内チラシの裏面。第1回、第2回の講座のレジュメの「はじめに」です。講師の佐藤先生の北九州市の弥生遺跡への思いが伝わってきます。ぜひ、お読みください。●連続講座第一回の取材後の佐藤浩司先生の紹介記事です。●昨年10/20に開催した第1回「こんなすごい遺跡があった」の会場の様子とレジュメ。●昨年12/8に開催した第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」の会場の様子とレジュメ。

  • 30Dec
    • 埋蔵文化財センター検討委員会の設置を!-36年間培われた役割や意義を検討しない移転計画は中止へーの画像

      埋蔵文化財センター検討委員会の設置を!-36年間培われた役割や意義を検討しない移転計画は中止へー

      皆さん、北九州市立埋蔵文化財センター(小倉北区金田)に行ったことありますか?あまり知らない方も多いと思いますが、市内の遺跡の発掘調査、整理と収蔵、研究、普及啓発の拠点として、原始・古代からの歴史を語る市民の大切の文化施設です。ところが、昨年8月、北橋市長は埋蔵文化財センターを八幡市民会館に移転し、解体後跡地売却する計画を発表しました。八幡市民会館は閉館して3年以上経っていますが、その間、取り壊す計画だったものが、建築文化財としての重要性と保存を求める専門家や市民団体の強い要望で保存することが決まり、その利活用が検討されていました。ところが、なかなか決まらず、今回、その八幡市民会館の利活用として 埋蔵文化財センターを移転させる計画が急浮上したのです。しかし、この計画は、埋蔵文化財センターの関係職員には事前に説明も意見聴取もせず、市長、副市長、関係局長の三役会議で決めた安易な計画であり、今年9月に決定した基本計画においても、埋蔵文化財センターの一般的な重要性は述べながらも、現在の埋蔵文化財センターの36年間培われた機能性や利便性、豊かな歴史と文化に出会える小倉都心部の原始・古代からの歴史の語り部としてこの地の価値と魅力を発信し続けている役割、耐用年数60年の市有建築物であることなど、一切検討されていません。このように安易な(無責任な)計画であるにもかかわらず、昨年8月に北橋市長が計画を発表後、今年7月に基本計画案が発表され、9月に基本計画が決定し、現在、基本設計の作成段階に入っており、事態は急ピッチで進んでいます。埋蔵文化財センターの移転計画は、歴史と文化を大切にするまちづくりに関わる、八幡市民会館の改修費用だけでも150億円もかかる大事業です。もっと慎重に議論し検討されるべきです。私たちは、現在、移転決定の経緯も含め、改めて、関係者、第三者等を交えた検討委員会を設け、現在地で36年間果たしてきた役割や意義について検証し、今後のあり方を広く議論するよう「埋蔵文化財センターの検討委員会の設置を求める」陳情署名に取り組んでいます。署名用紙も添付しますので、ぜひお読みください。よかったらご協力ください(1/14必着でお願いします)。■2006年の北九州空港の開港を機に作成された北九州埋蔵文化財センターの説明です。作成者が明記されていませんが、埋蔵文化財センター関係の方ではないでしょうか。2006年までのものですが、展示物の説明も豊富で興味深い内容です。↓ここをクリックしてご覧ください。http://inoues.net/museum2/kita9_m.html●現在取り組んでいる署名用紙の両面です。1/14必着で集めています。よかったら、ご協力ください。●最近撮ってきた、埋蔵文化財センターの写真です。北九州市の歴史の証しの宝庫です。はじめの4枚は、城野遺跡に関する写真です。城野遺跡は埋蔵文化財センターの最重要展示物です。ぜひ、訪ねて行ってみてください。※現在、戦時資料展示コーナーが併設されていますが、平和資料館ができれば、このスペースも活用できるようになります。

  • 29Dec
    • 市民の大切な財産は市民のために-埋蔵文化財センターの移転計画を考える”市民のつどい”に参加して-の画像

      市民の大切な財産は市民のために-埋蔵文化財センターの移転計画を考える”市民のつどい”に参加して-

      ご存知でしょうか?昨年8月、北橋市長は、埋蔵文化財センターを八幡市民会館に移転し、解体後跡地売却する計画を発表しました。埋蔵文化財センターの関係職員には事前に何ら説明も、意見聴取もせず、市長、副市長、関係局長の三役会議で決定した極めて安易な計画です。今年9月に決定した基本計画でも、現在の埋蔵文化財センターが36年間培ってきた機能性や利便性、豊かな歴史と文化に出会える小倉都心部で果たしている役割などほとんど検討されていません。そこで、「城野遺跡公園を実現する会」と「八幡市民会館の活用を求める連絡会」が交流し、埋蔵文化財センターも八幡市民会館も文化を発信する市民の大切な財産の一致点で、この計画の問題点を明らかにし、みんなで考えようと11/4に市民のつどい“これでいいの?北九州市の文化行政”を開催しました。市民のつどいにご参加いただいた小倉北区在住の51才男性から寄せられた感想です。こんな重大な計画が、納得のいく説明もないまま強行される北九州市の埋蔵文化財行政への疑問と憤りが伝わってきます。会の事情により掲載が遅くなりましたが、ぜひお読みください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11月4日、さわやかな秋晴れのなか、小倉北区ムーブで開かれた、市民のつどい“これでいいの?北九州市の文化行政”に参加した。知人に誘われての参加だったが、こんな大事な問題が北九州市で巻き起こっているとは今まで知らなかった。小倉北区に住んでいる私には、八幡市民会館へ行く用事もなかったし、小学校6年生だった娘の書道作品が張り出された十数年前に一度だけ足を運んだことがあっただけで、この施設が廃止されるということは新聞やテレビでは知っていたが、特段残念だとも思っていなかった。しかし、八幡市民会館が閉館して3年以上が経過していること、その間、取り壊す計画だったものが、保存を求める市民団体の強い要望で保存することに決まったこと、そしてその八幡市民会館に、現在小倉北区にある北九州市立埋蔵文化財センターを移転させる計画だということを知りびっくりした。埋蔵文化財センターといえば、私が歴史好きで考古学にも興味があることから、何度も足を運んで、北九州市内から出土した土器や石器、陶磁器などの展示を見学してきた。数年前には、センターが催す市民考古学講座にも参加したことがある。だから、このセンターを八幡市民会館に移転すると聞いて、ただならぬ事態だと思ったわけである。市の担当職員による出前講演もあり、基本計画の内容や経緯について説明されたが、北九州市のやり方に憤りを覚えた。説明を聞いても、配られた移転計画の資料を読んだりしても、いっこうに埋蔵文化財センターを移転する理由がわからない。まず第一に「施設の老朽化」をあげているが、センターはまだ築後36年しか経っていない。この建物構造ならメンテナンスは必要だが60年はもつということなので、廃止して取り壊す理由はなにひとつないはずだ。第二に「埋蔵文化財センターの認知度の向上」をあげているが、認知というものは一朝一夕には定着しないものだ。今のセンターもそれこそ長い時間をかけて、北九州市の歴史や文化を市民に発信・情報提供してきて、やっといくらか認知が進んできた施設ではないのか。小倉にあるこの施設を八幡に移転したら、それこそ一から市民への周知を始めなければならないのを市の担当者はわかっているのだろうか。まさか、八幡に移って、今現在の認知度から上乗せできると思っているのなら、まさに浅はかでお粗末な短絡志向としかいいようがない。 第三に「収蔵スペースの確保」をあげている。これもおかしな話だ。市内の色んな施設に分散して収蔵している遺物を入れたコンテナ箱のうち、八幡市民会館に収蔵するのはほんの一部で、ほとんどのコンテナ箱は門司区の古城収蔵庫にあり、しかもそれは八幡市民会館には持って行かないと聞いている。そんな計画でどうして「収蔵スペースの確保」と謳うことができるのか。古城収蔵庫にある遺物は持って行く価値がなく、他の収蔵庫に保管している遺物は価値が高いのか?今回のつどいで講演された先生お二人は、それぞれの立場は異なっているが、埋蔵文化財センターの果たす役割、そして戦後の復興期に市民会館が支えてきた市民の文化活動について説かれ、私もその意義について深く考える機会をいただいた。後半のパネルディスカッションでは、市民の二人も参加して、この二つの施設が本来の機能を取り戻し、北九州市民と行政が一緒になって文化のかおる街にしていきたい、という至極当たり前で、純粋な願いを述べられた。市民団体が自らこんなに真剣に北九州市の文化を考える場を作ったことに対し、北九州市そして北橋市長はどうボールを返すのか。だれもが納得する説明を果たす責任があると思うのだが…。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「城野遺跡公園を実現する会」は、今年の6月議会、9月議会にも埋蔵文化財センターの移転問題に関する陳情書を提出し、教育文化委員会で審査の結果、継続審議となりました。現在、12月議会に提出した「埋蔵文化財センターの検討委員会の設置を求める」陳情署名に取り組んでいます。署名用紙も添付しますので、ぜひお読みください。よかったらご協力ください(1/14必着でお願いします)。●八幡市民会館の価値とそれを生かしたまちづくりへの展望を語る竹下秀俊先生と熱心に聞き入る参加者 (写真は小倉タイムスより)●全国の事例を紹介しながら埋蔵文化財センターが果たしてきた役割と今回の計画決定の問題点を語る近藤英夫先生 (写真は小倉タイムスより)●市の出前講演で、今回の基本計画について説明する原田智也文化企画課埋蔵文化財担当係長 (写真は小倉タイムスより)●11/4"市民のつどい"の案内チラシ。市の出前講演、2人の専門家の講演、2人の講師に市民2名も加わったパネルディスカッション、会場からの質問や意見など、とても充実した内容でした。●12月議会に提出し、現在も取り組んでいる陳情署名です。お読みいただき、ぜひご協力ください(1/14必着でお願いします)。●陳情署名の協力のお願い(裏面)です。

  • 22Nov
    • 12/8、第2回連続講座のテーマは「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」-紫川河口の権力者の墓とは-の画像

      12/8、第2回連続講座のテーマは「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」-紫川河口の権力者の墓とは-

      「北九州市の豊かな弥生遺跡を通して原始・古代の歴史と文化を探る」と題して企画した連続講座は計6回の長丁場。講師は日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事の佐藤浩司さん。第1回目は10月20日の日曜日、昨年新築された小倉南図書館で会場いっぱいの70名の参加で開催されました。紫川流域で数多く見つかった弥生時代遺跡の立地形態に注目して、そこで発見された特徴的な遺構や遺物について紹介され、参加者はここ北九州市にもすごい遺跡が発見されていたことに熱心に聞き入りました。今回、連続講座の第2回目が下記のとおり開催されます。詳しくは、添付の案内チラシをご参照ください。連続講座 紫川流域を治めた人々のムラとくらし第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」日 時 12月8日(日) 14:00~15:30会 場 小倉南図書館 3階セミナー室今回の講座は「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」をテーマに、弥生時代始まって間もないころの紫川周辺の遺跡がどんなムラだったのか、人々がどんな暮らしをしていたのかを、発掘調査で出土した資料をもとに明らかにされるとのこと。それにしても「砂浜」がなにを「記憶」していたというのでしょうか?とても興味深いですね。2000年以上前の弥生時代、私達の住んでいるムラが、どのようにして形づくられてきたのかを知ることは、故郷の歴史や文化を後の時代の人々、子供たちに語り継ぎ、より良い町づくりにつなげていくためのヒントを得ることにもなります。この講座、時代を追いかけながら進んでいくと聞いており、地域の宝、重留遺跡や城野遺跡もいずれ登場します。どうぞお楽しみに。なお、連続講座の各回のテーマは下記のとおりです。なんだかワクワクするテーマですね。隔月開催でいずれも日曜日を予定しています。第3回目以降は、日時や場所が決まりましたら、実現する会のブログやチラシ、ポスター等でお知らせします。連続参加、時々参加、1回参加でも構いません。ぜひご参加ください。よろしくお願いします。<連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」のテーマ>■第1回 2019年10月20日(日)会場:小倉南図書館「こんなすごい遺跡があった」■第2回 2019年12月8日(日)会場:小倉南図書館「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」■第3回 2020年2月予定(会場未定)「時代の真ん中、ものづくりの先端」■第4回 2020年4月予定(会場未定)「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」■第5回 2020年6月予定(会場未定)「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」■第6回 2020年8月予定(会場未定)「新しい秩序、企救国の誕生」●第2回連続講座の案内チラシです。ぜひご参加ください。●10/20開催した第1回連続講座を取材された毎日新聞の記事です。講師の佐藤浩司さんについても詳しく紹介されています。ぜひお読みください。●第1回連続講座の様子。パワーポイントも使ってわかりやすい講演に、あっという間の2時間でした。

  • 21Nov
    • 連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」の記事が毎日新聞に掲載!-次回講座は12/8です-の画像

      連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」の記事が毎日新聞に掲載!-次回講座は12/8です-

      弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の城野遺跡は、2018年2月にほぼ全域が消滅しました。城野遺跡西エリア全域の遺跡公園化が叶わず残念ですが、九州最大級の方形周溝墓は現地が保存され、現在、「史跡広場」の整備計画が進んでいます。狭くなりましたが、それでも市内最大の弥生時代の遺跡公園です。そこで、多くの方々に城野遺跡はもちろん北九州市の豊かな弥生遺跡について知っていただくために、先月から連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」を開催しています。10/20開催した第1回講座「こんなすごい遺跡があった」には会場いっぱいの70名もの方々にご参加いただき、紫川流域で次々に発見された遺跡のすごさに熱心に聞き入っていました。この講座を取材していただいた毎日新聞の記事が11/17付朝刊に掲載されました!ありがとうございました。ぜひ、お読みください。講師の佐藤浩司氏(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)は40年間で65カ所もの遺跡の発掘調査を担当され、今回の連続講座への熱い思いも伝わってきます。次回の連続講座(第2回)は下記のとおりです。詳しくは添付のチラシをご参照ください。ぜひ、ご参加ください。第2回「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」日 時 2019年12月8日(日)14:00~15:30会 場 小倉南図書館 3階セミナー室 参加費 無料※連続講座の各回のテーマは下記のとおりです。連続参加、時々参加、1回参加でも構いません。お気軽にご参加ください。<連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」のテーマ>■第1回 2019年10月20日(日)会場:小倉南図書館「こんなすごい遺跡があった」■第2回 2019年12月8日(日)会場:小倉南図書館「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」■第3回 2020年2月予定(会場未定)「時代の真ん中、ものづくりの先端」■第4回 2020年4月予定(会場未定)「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」■第5回 2020年6月予定(会場未定)「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」■第6回 2020年8月予定(会場未定)「新しい秩序、企救国の誕生」●毎日新聞(2019年11月17日付朝刊)の記事です。●10/20開催した第1回連続講座の案内チラシです。●会場いっぱいの70名が参加した第1回連続講座の様子。佐藤氏の講演に熱心に聞き入りました。●12/8開催の第2回の案内チラシです。ぜひ、ご参加ください<(_ _)>

  • 07Nov
    • 10/20、連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」の第1回を開催!の画像

      10/20、連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」の第1回を開催!

      1800年前の広大な城野遺跡はほぼ全域が消滅しましたが、九州最大級の方形周溝墓は現地が保存され、現在、北九州市は「史跡広場」として整備する計画を進めています。狭くなりましたが、北九州市で最大の弥生時代の「遺跡公園」です!そこで、多くの方々に城野遺跡はもちろん北九州市の豊かな弥生遺跡について知っていただくために、市内の多数の遺跡の発掘調査を担当されている佐藤浩司氏(日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)による連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」を開催することにしました。10月20日、小倉南図書館で開催した第1回「こんなすごい遺跡があった」には、会場いっぱいの70名もの方々にご参加いただきました!会場の席が足りず、急きょ椅子を追加するほどでした。ご参加ありがとうございました。なお、今回の企画は小倉南図書館の主催、「城野遺跡公園を実現するん会」の協力で開催することができました。城野遺跡のすぐ近くにあり、歴史と文化を学ぶ場にふさわしい市立図書館という最適の会場で開催できとてもよかったです。「考古学とは?」「弥生時代とは?」「弥生時代の区分は?」等の話しから、紫川流域で発見された一連の弥生遺跡について、発掘調査の時の感動も交えながら講演されました。参加者は遺構や遺物の写真を見ながら、北九州市の弥生遺跡のすごさに熱心に聞き入りました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・~佐藤氏のレジュメより~ここ北九州市が政令市政都市として、福岡市と肩を並べて発展してきた昭和40年代前後、遺跡の発掘を含む埋蔵文化財の調査体制は福岡市に大きく後れをとっていました。しかし、北九州市で行われた高速道路や都市モノレールなどの大型開発に伴って遺跡の発掘調査件数は急増し、重要な遺跡も多数見つかりました。そのなかでも弥生時代の遺跡は最も多く調査され、福岡市とは異なる文化の独自性も明らかになってきたのです。特に、小倉南区、八幡西区での発掘調査は、日本の考古学会でも注目すべき数々の歴史的事実を提供してきており、関門海峡をはさんで本州や四国と向き合う文化の十字路的役割も古代より果たしてきた地域であることがわかりました。今回、企画した連続講座では、ここに住む人々の祖先がどんな暮らしをしながら村を発展させてきたのか、どんな思いを抱いて生きてきたのかなど、みつかった様々な遺構や遺物を通して、考えていきたいと思います。何回続くか全く予測不能ですが、しばらくお付き合い下されば、あなたはふるさとがもっと好きになれること間違いありません。幼い頃、水遊びをした紫川、泳いだ思い出もある川のそばで、生き続けた祖先の歴史をたどりながら、明日を生きるヒントを授かりましょう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今後も下記のテーマで開催予定です。北九州市の豊かな原始・古代の歴史と文化を探る古代ロマンあふれる連続講座です。連続参加、時々参加、1回参加でも構いません。お気軽にご参加ください。<連続講座「紫川流域を治めた人々のムラとくらし」予定>■第1回 2019年10月20日(日)14時~ 会場:小倉南図書館「こんなすごい遺跡があった」■第2回 2019年12月8日(日)14時~ 会場:小倉南図書館「囲われた弥生ムラと砂浜の記憶」■第3回 2020年2月予定(会場未定)「時代の真ん中、ものづくりの先端」■第4回 2020年4月予定(会場未定)「大地に根づく日々、助け合う重留・重住ムラ」■第5回 2020年6月予定(会場未定)「卑弥呼は知っていたか? 城野ブランド」■第6回 2020年8月予定(会場未定)「新しい秩序、企救国の誕生」●佐藤浩司氏の講演に熱心に聞き入る、会場いっぱいの参加者。席が足りず、急きょ椅子を追加しました。●北九州市の貴重な弥生遺跡について、時にはクイズを出しながらわかりやすく語る佐藤浩司氏●北九州市の弥生遺跡の遺構や遺物の写真に興味津々の参加者たち。初めて見る方が多かったのでは?!●講演会のレジュメ●案内チラシ

  • 17Oct
    • 11/4 市民のつどい“これでいいの?北九州市の文化行政”開催!-埋蔵文化財センターが解体?-の画像

      11/4 市民のつどい“これでいいの?北九州市の文化行政”開催!-埋蔵文化財センターが解体?-

      みなさん、ご存知ですか?昨年8月急浮上した「埋蔵文化財センターを八幡市民会館に移転し、解体・跡地売却」計画は、なんと、現場の関係職員さんには事前に何ら説明も意見聴取もせずに、市長、副市長、関係局長の三役で決定しました!しかも、今年7月に基本計画が発表され、9月議会で承認され、現在、基本設計の準備段階という速さ(強行突破?)です。昨年7月、埋蔵文化財センターが解体、跡地売却されるなんて市民の誰が予想できたでしょうか。36年間培われた埋蔵文化財センターの機能性や利便性、豊かな歴史と文化に出会える小倉都心部にあり、原始・古代からの歴史の語り部としてこのエリアで果たしている役割など一切検討せず、まるで「八幡市民会館の利活用」の犠牲になったかのよう…。跡地売却が目的か?とも思えてきます。現場の関係職員さんによると「収蔵庫の不足以外、不満はない」「移転ではなく、早急に屋根や外壁の修復、空調・給排水設備等の更新をして欲しい」とのこと。市長、副市長、関係局長ら三役は、移転に反対されるのがわかっていたから、現場の関係職員さんらに説明も意見聴取もしなかったのでは?!しかも、築36年の埋蔵文化財センターは「市有建築物長寿命化計画」において目標耐用年数60年の施設であり、まだまだ大切に使い続けるべき公共施設です。5年以上にわたる城野遺跡の保存運動の中で、北九州市の埋蔵文化財行政に対する疑問と不信感が深まっていただけに、専門家の声にも、市民の声にも、そして現場の声にも耳を貸さない、この計画は北九州市の埋蔵文化財行政の杜撰の極みと言わざるを得ません。一方、各方面からの働きかけで、解体を免れた貴重な建築文化財でもある八幡市民会館については、「八幡市民会館の活用を求める連絡会」が、外観だけではなく内部も大事、市民に親しまれるもとの姿での再生を求めています。そこで、8月下旬に「城野遺跡公園を実現する会」と「八幡市民会館の活用を求める連絡会」が意見交換し、この計画をとおして北九州市の文化行政について市民の皆さんとともに考えようと、急きょ、下記のとおり「市民のつどい」を共催することにしました。市民のつどい“これでいいの?北九州市の文化行政”-「埋蔵文化財センターを八幡市民会館に移転、解体・跡地売却」計画を考える-日 時 11月4日(月・休)14:00~16:30場 所 男女共同参画センター・ムーブ   5階大セミナールーム参加費 500円埋蔵文化財センター基本計画についての北九州市「出前講演」、全国各地の埋蔵文化財の保存活用に取り組まれている近藤英夫先生、八幡市民会館の価値とまちづくりに詳しい竹下秀俊先生による2つの講演、パネルディスカッション等、充実した企画となっています。※詳しくは添付の案内チラシをご覧ください。歴史と文化を大切にするまちづくりのために、北九州市の文化行政について多角的に考えるまたとない機会です。ぜひ、ご参加ください<(_ _)>●案内チラシの両面です。ぜひ、お読みください。●案内チラシの裏面です。●埋蔵文化財センター(北九州市小倉北区)1983年に九州初の考古学専門館として、1階(発掘調査を行う埋文調査室)、2階(考古博物館)、3階(収蔵庫)からなる複合施設として開館。2002年考古博物館は「いのちのたび博物館」(八幡東区)に移転し、発掘調査部門と展示室(戦時資料展示コーナー併設)になりました。●小倉北区役所作成の「小倉都心部まち歩きマップ」です。左下の 〇 印が埋蔵文化財センターです。このエリアには、長崎街道、勝山公園の万葉の庭、小倉城、太平洋戦争の遺跡、建設予定の平和資料館、松本清張記念館、文学館など、北九州市の豊かな歴史や文化に出会える場所がいっぱい。埋蔵文化財センターは、原始・古代からの歴史の語り部として、このエリアの価値と魅力を発信する大切な公共施設です。●閉鎖前の八幡市民会館(北九州市八幡東区)地元出身の建築家・村野藤吾氏の設計により1958年に完成。【貴重な近現代建築物】の保存を、日本建築学会など多くの団体が要望。戦災から復興した八幡駅前大通りの象徴です。

  • 01Oct
    • 「城野遺跡公園を実現する会」の会報①~⑤、一挙公開!-城野遺跡をめぐるあれこれ-の画像

      「城野遺跡公園を実現する会」の会報①~⑤、一挙公開!-城野遺跡をめぐるあれこれ-

      2014年9月頃、地元有志が「城野遺跡の現地保存をすすめる会」として陳情署名に取り組んだのが最初の活動です。この「すすめる会」を発展的に解散し、2018年2月12日に城野遺跡西エリア全域の遺跡公園化を求めて「城野遺跡公園を実現する会」を結成しました。大それたことに、会の規約で「会報」を発行することを決めました!人手と予算の関係で年3~4回程度を目標にしましたが、果たして続けることができるか心配でした…。ところが、責任感のある編集委員のおかげで、今のところ、ほぼ計画通りに発行しています!今回、城野遺跡をめぐる出来事や私たちの活動のご報告方々、第1号から第5号までを一挙公開します。第4号では、城野遺跡のほぼ全域が破壊された中、唯一現地が保存される方形周溝墓までもが掘削され損傷するという大事件を、号外にして発行しました。若干誤記もありますが、お許しください(^^;毎回、書きたい記事が多く、小さな紙面に文字のギッシリ感が拭えませんが、素人で一生懸命作った会報です。よかったらお読みください<(_ _)>※ 城野遺跡の九州最大級の方形周溝墓の発掘調査記録の動画“朱塗り石棺の謎”(14分)もご覧ください。何度見ても発見時の感動が蘇ります。↓ここをクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0↑2017年12月までの城野遺跡。足立山をのぞむ小高い丘陵地にありました。●会報第1号 2018/4/12発行●会報第2号 2018/8/5発行●会報第3号 2018/11/4発行●会報第4号 2019/3/15発行 ●会報第4号 号外 2019/3/15発行 ●会報第5号 2019/8/23発行第4号までは、城野遺跡西エリア全域の遺跡公園(案)のイメージ図でしたが、ほぼ全域が造成工事により破壊され、第5号からは大和ハウス工業(株)が寄付した方形周溝墓付近の土地と市が購入した土地(市計画の「史跡広場」)の遺跡公園(案)のイメージ図に変わりました。残念ですが、狭くなっても城野遺跡を学び語り継ぐ現地が残ったのです。弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の北部九州と東アジアの歴史を語る遺跡公園として整備活用して欲しいですね。●最近の城野遺跡。ほぼ全域が開発により消滅し、写真左下の緑地部分(方形周溝墓付近のみ)が遺跡公園として整備活用される予定です。市は「史跡広場」と言っています。●城野遺跡の主な遺構の配置と市計画の「史跡広場」の範囲です。

  • 27Sep
    • 10/20、小倉南図書館で「第1回連続講座」を開催!-豊かな弥生遺跡から地域の歴史と文化を探る-の画像

      10/20、小倉南図書館で「第1回連続講座」を開催!-豊かな弥生遺跡から地域の歴史と文化を探る-

      今年2月、広大な医療刑務所跡地で発見された城野遺跡は商業施設等の開発によりほぼ全域が消滅しました。現在、北九州市は唯一現地が保存される九州最大級の方形周溝墓付近を遺跡公園(市は「史跡広場」と言っています)にする計画を進めています。狭いながらも、弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の学術上重要な遺跡公園です。城野遺跡はもちろん周辺の遺跡に刻まれた歴史や文化を学び、語り継ぐ遺跡公園の実現へ、私たちも提案しながら市の計画に関心をもって取り組んでいます。※なお、私たちは「城野遺跡公園」と言っています。せっかく実現する「城野遺跡公園」です!多くの方々に城野遺跡や周辺の遺跡について知って欲しいと思い、昨年3月に城野遺跡のすぐ近くにオープンした小倉南図書館に連続講座の申し込みをしたところ、なんと、小倉南図書館の主催で「城野遺跡公園を実現する会」が協力して開催できることになりました!小倉南図書館のご協力に感謝です!「第1回連続講座」は下記のとおりです。詳しくは、下記の案内チラシを参照ください。※なお、第2回連続講座は12月8日(日)の予定です。日 時 10月20日(日)14時~16時テーマ 紫川流域を治めた人々のムラとくらし-こんなすごい遺跡があった-講 師 佐藤浩司 氏   (日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会幹事)参加費 無料講師の佐藤浩司氏は市内にある数多くの遺跡の発掘調査を担当されており、古代ロマンあふれるワクワクするお話が楽しみです。お気軽にご参加ください。★小倉南図書館のホームページです。2018年3月にオープンしたばかりの充実した図書館で、現在、市内の図書館で来館者数はトップとのことです。↓をクリックしてください。http://www.kokuraminami-library.jp/about.html●第1回連続講座の案内チラシです。このヒスイ勾玉は発見当時全国最大の大きさだったとか。現在でも、全国3位の大きさだそうです。●小倉南図書館の写真(ホームページより)です。ステキな図書館です。早めにお越しいただき、図書館で静かなひと時をお過ごしになることもお勧めします。●小倉南図書館(★印)の地図です。徒歩約20分のところに重留遺跡、城野遺跡があります。城野遺跡は、現在、道路を挟んで東エリアは「ゆめマート城野店」、西エリアは「(仮称)城野複合施設」が建築中で、北側の空き地が城野遺跡公園の予定地です。ここに来るたびに、西エリア全域を遺跡公園にできなかったことをとても残念に思います。

  • 01Sep
    • 1800年前の城野遺跡は今… -破壊・損壊されても歴史的価値・評価は減じてない!-の画像

      1800年前の城野遺跡は今… -破壊・損壊されても歴史的価値・評価は減じてない!-

      久々の記事となりました(^^; 昨年1月に東エリアが、今年2月に西エリアの造成工事が始まり、城野遺跡のほぼ全域が破壊され、一方、土地所有者の大和ハウス工業(株)が方形周溝墓付近を市に寄付したことにより、遺跡公園の土地が確保されました。狭いながらも遺跡公園の実現が叶いましたが、足立山をのぞむ西エリア全域を北九州市で初めての本格的な遺跡公園にする夢破れ、少々意気消沈気味でした…。が、情報発信再開します!2009年から2011年にわたる医療刑務所跡地(国有地)の発掘調査で発見された城野遺跡は、北九州市が国(財務省)との保存交渉で最後まで取得要望しなかったため、国の一般競争入札により2016年1月に大和ハウス工業(株)に売却され、開発による消滅の危機にさらされました。そんな中、日本考古学協会など考古学の専門家の再三の要望や私たち市民の粘り強い保存運動が、2年にわたり本工事着手を止め、九州最大級の方形周溝墓の現地を守ることにつながったと確信しています。このことは考古学の専門家からも、大和ハウス工業(株)の担当者等からも聞きました。なぜなら、大和ハウス工業(株)は私たちとの懇談の場で「北九州市は開発を許可している」「西エリア全域の買戻しは検討できるが、方形周溝墓部分等の一部買戻しには応じられない」と何度も話しており、そもそも北九州市が幼児の朱塗り石棺2基を移築保存したのは方形周溝墓が開発により破壊されることが前提だったからです。今年5月26日に開催した第10回特別講演会と第2回定期総会に、「実現する会」の顧問でもある近藤英夫先生(日本考古学協会副会長/東海大学名誉教授)から下記メッセージが寄せられました。私たちの活動の確信と励みになっています。※第10回特別講演会については前回記事をご覧ください。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第10回特別講演会と第2回定期総会によせて 城野遺跡、この間さまざまありました。市に寄贈された「方形周溝墓の一角」も損傷しました。民間の開発もすすんでいます。だからといって、城野遺跡の歴史的価値・評価は減じてないと思います。 遺跡の一角は確かに残っているので、そこを起点に「遺跡公園を実現」すること可能かと思います。「足立山をのぞむ地」が弥生人と私たちを繋ぐキーワードになると考えます。「業者による損傷を受けた部分」も含み込んで、「土地の歴史」と考えるしたたかさを持つよう、切に臨みます。 遺跡を活用すること、未来へ繋ぐこと、絶えずの勉強が必要です。その意味で、常松幹雄さんの講演、楽しみです。いい「弥生散歩」となりますよう、成功をねがっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北九州市には数多くの弥生遺跡が発見されていますが、ほとんど全てが開発により破壊され、本格的な遺跡公園は一つもありません。広大な医療刑務所跡地で発見された1800年前(弥生時代後期/邪馬台国時代)の城野遺跡は、北九州市に初めての原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ本格的な遺跡公園を実現できる最後のチャンスだったかもしれません。残念無念ですが、ここで止まるわけにはいきません。私たちは小さな市民団体ですが、狭いながらも原始・古代の歴史を学び、語り継がれる城野遺跡公園の実現と、この間の活動を通して明らかとなった北九州市の杜撰な埋蔵文化財行政を問い、文化と歴史を大切にするまちづくりへ活動を続けていこうと思っています。これからもよろしくお願いします<(_ _)>●城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画“朱塗り石棺の謎”(14分)をご覧ください。私たちが多くの方々に城野遺跡の存在と重要性を広めるために作りました。発見時の感動が蘇ります。↓ここをクリックしてください。よかったら拡散してください<(_ _)>https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●日本最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会が、国、県、市に提出した3回の要望書もぜひお読みください。城野遺跡の学術上の価値、考古学者の切実な要望が伝わってきます。・2011.2.25要望書http://archaeology.jp/maibun/yobo1012.htm・2016.1.8再要望書http://archaeology.jp/maibun/yobo1508.htm・2016.7.20再々要望書http://archaeology.jp/wp-content/uploads/2016/08/160802.pdf■8月10日撮影した足立山をのぞむ城野遺跡の全貌。ほぼ全域が開発により破壊され、かろうじて左下の緑地帯が遺跡公園(市は「史跡広場」と言っています)として整備される予定です。■ここが城野遺跡の唯一現地が保存される土地です。奥のこんもり高くなったところが方形周溝墓。狭いながらも、この地が原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ遺跡公園として整備活用されるよう市の計画に関心をもっていきます。市の文化企画課の担当者は説明会の日程が決まれば、「実現する会」に案内すると約束してくれました!■広大な城野遺跡はほぼ全域がショッピングセンターに…。市が「史跡広場」として整備するのは茶色の斜線部分だけです。西エリア全域だったら、どれほど充実した北九州市で初めての本格的な遺跡公園が実現できでしょう。最近、10階建(高さ32.3m)のマンション建築計画のお知らせが掲示され驚いているところです。■2017年12月までの城野遺跡。足立山をのぞむ広大な丘陵地に広がっていました。■2018年1月から東エリアの造成工事が始まり、城野遺跡の東エリアの遺構は全滅しました。貴重な遺構を大切に保存するための土嚢やブルーシートが無残な姿で見えました…。■2019年2月、ついに西エリアでも造成工事が始まり、小高い丘陵地は削られ平らになりました。東エリアの「ゆめマート城野店」は営業中。■城野遺跡を多くの方々に知らせるために作った写真パネル。何度かアップさせてもらいましたが、よかったらご覧ください。1800年前の北部九州と東アジアの歴史を語る城野遺跡を市民の貴重な歴史遺産として守り切れなかった北九州市。その損失は計り知れません。

  • 31May
    • 5/26講演会「戈を持つ人-城野遺跡の絵画をめぐる旅-」開催!-弥生人に思いを馳せたひととき-の画像

      5/26講演会「戈を持つ人-城野遺跡の絵画をめぐる旅-」開催!-弥生人に思いを馳せたひととき-

      弥生時代後期(1800年前 邪馬台国時代)の城野遺跡で発見された九州最大級の方形周溝墓。このお墓で見つかった幼児の石棺は高価な水銀朱(中国産)がたっぷりと塗られ、その小口石には謎の絵画文様が描かれてありました。5月26日開催の第10回目の講演会では、弥生時代の絵画研究を専門とする考古学者であり、城野遺跡発掘調査中の2009年12月と2010年1月に現地を視察された常松幹雄先生(福岡市埋蔵文化財課主任文化財主事)を講師に、城野石棺の謎の絵画文様について、ご講演いただきました。2009年12月の視察で、石棺の内側に塗られた鮮やかな赤色の上をヘラのようなものでなぞった多数の筋をなぞりながら「武器を持った人物」ではないかと話したが周囲の反応はいま一つだったが、その後、原始絵画研究の第一人者である設楽博己先生が人物表現であり、「方相氏」との関連も述べられたことに安堵されたこと、1か月後に再度見に行ったら赤の鮮明さが相当薄れており保存の大切さを考えさせられたことなど、発見直後に視察された当時のお話から始まりました。全国各地で発見された弥生時代の絵画の変遷や埴輪にある「戈」や「戟」の絵画から、弥生人の考え方や表現の仕方の特徴について多角的に語られ、城野石棺の絵画を紐解いていかれました。原始絵画については評価が分かれ一つにまとまることはなかなかなく、その後の発見や研究で明らかになること、城野遺跡の絵画文様も「方相氏」であるためには4つ目であることが確認できるかどうかが大事であること、会場からは「赤い水銀朱の上をヘラでなぞって描かれており、描き手からよく見えなかったのではないか」などの発言もあり、考古学という学問の深さとおもしろさを感じました。また、各地の遺跡の保存活用についても触れられ、城野遺跡は方形周溝墓付近だけの小さな遺跡公園が計画されていますが、城野遺跡を今後どのように生かしていくか参考となるヒントもいただきました。城野遺跡の朱塗り石棺に描かれた絵画の重要性はもちろん、そこから弥生時代、弥生人に思いを馳せ、古代ロマンあふれる講演会でした。常松先生のレジュメを添付しますので、ご覧ください。城野遺跡はほぼ全域が破壊されとても残念ですが、唯一現地保存が叶った方形周溝墓のある遺跡公園は実現します。この遺跡公園を遺跡に刻まれた破壊の事実も含めた貴重な原始・古代の歴史を学び、語り継ぐ場にしていきたいと思っています。最後になりましたが、ご講演いただいた常松先生、ご参加いただいたみなさま、本当にありがとうございました。●「方相氏」が出てくる京都の吉田神社の儀式の動画(5分)がありました。なるほど、城野遺跡の「方相氏」に似ていますね。↓ここをクリックしてご覧ください。https://youtu.be/FG04XFPMXA4?t=27●城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画“朱塗り石棺の謎”(14分)をご覧ください。発見時の感動が蘇ります。↓ここをクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●当日配布した資料の表紙●常松幹雄先生 ※この写真は小倉タイムスより提供●講演会の様子。70名近くの方にご参加いただきました。●講演会のレジュメです●常松先生のレジュメに追加した頁です。城野遺跡は弥生時代後期(1800年前 邪馬台国時代)の中心集落が丸ごと発見された学術上重要な遺跡ですが、ほぼ全域が商業施設となり破壊され、唯一現地保存される方形周溝墓付近だけの遺跡公園が計画されています。

  • 22May
    • 5/26開催の第10回特別講演会、これまでの講演会の案内チラシを一挙公開!の画像

      5/26開催の第10回特別講演会、これまでの講演会の案内チラシを一挙公開!

      北九州市の豊かな古代の歴史を学び語り継ぐために、1800年前の城野遺跡を北九州市で初めての本格的な遺跡公園として後世に残して欲しい!城野遺跡の価値と魅力を多くの人に知って欲しい!市民の多くが城野遺跡の存在すら知らない中、こんな思いで、考古学の先生方の協力を得ながら、城野遺跡はもちろん私たちの保存運動へのご理解とご支援をいただくために学習会や講演会に取り組んできました。第1回目は2015年12月5日開催の「学習会&現地見学会」でした。何人参加してもらえるかドキドキでしたが50名の方々が参加!それから3年半、記念すべき10回目となる下記講演会を迎えました。「戈を持つ人―城野遺跡の絵画をめぐる旅―」講 師 常松幹雄 氏(福岡市埋蔵文化財課主任文化財主事)日 時 5月26日(日)13時~場 所 小倉南生涯学習センター 視聴覚室(3階)参加費 無料なんと、5月18日付西日本新聞に常松先生の取材記事が掲載されました!城野遺跡の稀なる重要性はもちろん、講演会のことも書いていただき、大変ありがたいです。今回、私たちがどんな講演会をしてきたか、これまでの講演会の案内チラシをまとめてご紹介します。城野遺跡をめぐる状況の変化も垣間見えます。似てるものもありますが違います(^^; ちなみに参加者は72名~255名で、毎回、何名参加してもらえるかドキドキでした。よかったら、ご覧ください。考古学の専門家や私たち市民の懸命な願いは叶わず、城野遺跡のほぼ全域が消滅しました。しかし、城野遺跡の評価や価値は変わりらず、九州最大級の方形周溝墓は一部損傷しながらも現地が保存されました。城野遺跡のほぼ全域が消滅した悲しい歴史も含めて、城野遺跡に刻まれた貴重な歴史を学び語り継いでいければと思います。城野遺跡はまだまだ謎を秘めた研究の余地のある貴重な遺跡です。記念すべき第10回特別講演会へ、ぜひご参加ください。●5月18日付西日本新聞の記事です。5月26日の講演会の常松先生の取材記事です。●第1回から第10回までの学習会や講演会の案内チラシをご紹介します。まずは第1回「学習会&現地見学会」(2015年12月5日開催)です。●第2回講演会(2016年1月16日開催)の案内チラシ●第3回講演会(2016年3月26日開催)の案内チラシ●第4回講演会(2016年7月30日開催)の案内チラシ●第5回講演会(2017年3月25日開催)の案内チラシ●第6回講演会(2017年7月17日開催)の案内チラシ、●第7回講演会は「市民集会」(2017年11月5日開催)の案内チラシ 5月14日の仁徳天皇陵を含む「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録の勧告で、最近のニュースにも出ていた古墳にコーフン協会会長のまりこふんさんのトーク&ライブもありました。●第8回講演会(2018年3月24日開催)の案内チラシ●第9回講演会(2018年12月2日開催)の案内チラシ●第10回講演会(2019年5月26日開催予定)の案内チラシ

  • 21May
    • 5/26講演会開催!講師は2年前の北九州市主催シンポ「城野石棺を読み解く」にも登壇!の画像

      5/26講演会開催!講師は2年前の北九州市主催シンポ「城野石棺を読み解く」にも登壇!

      市民の多くが城野遺跡の存在すら知らない中、私たちは城野遺跡の保存運動の重要な活動として、この遺跡の価値や魅力を私たちも含めて多くの方に知っていただくための学習会や講演会に取り組んできました。第1回目は、2015年12月に佐藤浩司先生(日本考古学協会埋蔵文化財対策委員会幹事)を講師に迎えて開催した「学習会&現地見学会」でした。城野遺跡の発掘調査の写真や説明を聞きながら、参加者からは初めて知る城野遺跡のすごさに何度も驚きの喚声が上がりました。それから3年半、考古学の専門家の協力を得ながら、この度、第10回特別講演会を下記のとおり開催することになりました。詳しくは添付の案内チラシをご参照ください。「戈を持つ人―城野遺跡の絵画をめぐる旅―」講 師 常松幹雄 氏(福岡市埋蔵文化財課主任文化財主事)日 時 5月26日(日)13時~場 所 小倉南生涯学習センター 視聴覚室(3階)参加費 無料城野遺跡の九州最大級の方形周溝墓で見つかった幼児の朱塗り石棺。この石棺の小口石に描かれた絵画文様は全国初例で、2010年の発見当時全国紙の1面で報道されました。今回、弥生時代の絵画研究を専門とする常松先生が、この絵画文様の重要性を近畿・出雲・九州と、古代国家成立のカギを握る地域での最新の資料をもとに、東アジア的な視点から読み解きます。常松先生は、2017年2月5日に北九州市が主催した城野石棺移築記念シンポジウム「城野石棺を読み解く」のパネリストとしても登壇された考古学者です。当日配布されたシンポジウムのパンフレットの一部を添付します。このパンフレットを見るたびに、北九州市は、こんなに立派な遺跡なのに、せめて方形周溝墓のある西エリアだけでも全域を本格的な遺跡公園として整備活用し、市民の宝として後世に残そうとしなかったのか?と心底残念に思います。ちなみに、北九州市の城野遺跡に関する事業は、この城野石棺移築記念シンポジウムと城野石棺の埋蔵文化財センターでの移築展示だけです。城野遺跡公園の実現に向けた第10回特別講演会にしたかったのですが、残念ながら城野遺跡はほぼ全域が消滅してしまいました。でも、城野遺跡の評価や価値は変わることなく、九州最大級の方形周溝墓は専門家や私たち市民の保存運動があったからこそ唯一現地保存が叶いました。なぜなら、大和ハウス工業(株)は私たちとの懇談の場で、落札し購入した土地(医療刑務所跡地)について「北九州市は開発していいと言っている」と何度も話していたのですから。常松先生が城野遺跡の朱塗り石棺に描かれた謎の絵画をどう読み解かれるか?!ぜひ、ご参加ください。●「方相氏」が出てくる京都の吉田神社の儀式の動画(5分)がありました。なるほど、城野遺跡の「方相氏」に似ていますね。↓ここをクリックしてご覧ください。https://youtu.be/FG04XFPMXA4?t=27●私たちが製作した城野遺跡の方形周溝墓の発掘調査記録の動画“城野遺跡 朱塗り石棺の謎”(14分)をぜひご覧ください。発見時の感動が蘇ります。↓ここをクリックしてください。https://www.youtube.com/watch?v=QxvY4FBnXq0●2017年(平成29年)2月5日に北九州市が主催した城野石棺移築記念シンポジウム「城野石棺を読み解く」のパンフレット(北九州市市民文化スポーツ局文化企画課発行)の一部です。常松先生は「城野石棺に描かれた絵画と東アジア」をテーマに講演されています(1頁のみ掲載)。この時は30分でしたが、今回の講演会では70分語っていただきます。↓発掘調査時の写真で、現在真ん中を突き抜けている道路もありません。城野遺跡は足立山をのぞむ広々とした丘陵地にあることがよくわかりますね。城野遺跡はほぼ全域が破壊されましたが、1800年前の弥生人たちも眺めていた足立山は今も変わりません。↓5月26日開催の講演会のチラシです。ぜひ、ご参加ください。