城野遺跡/帰ってきた弥生人-城野遺跡発見の一部始終をたどる-

第6章 立ち上がる市民と城野遺跡②

“城野遺跡の守護神”

 

2015年の秋口だったでしょうか、小倉南区の市会議員さんから私に連絡があり、小倉南区の市民有志が、城野遺跡の土地が民間への売却手続きに入ろうとしていることに驚き、現地保存の取り組みをするために、まずは遺跡の発掘調査の概要についてレクチャーしてほしい、と伝えられました。

 

私は、遺跡の発掘調査に携わった一人ではありましたが、担当した地区はそのうちの一部(面積でいえば半分にも満たない)であったことや、発掘調査が終了して3年半が経過しており、業務内容も変わっていたことから、どのような話をしたらいいのか多少不安もありましたが、一方でこの遺跡のことを知ってくれている市民、保存を考え活動してくれている市民がいることに大変びっくりし、またありがたいことだと感じたのです。

 

そして11月も後半の22日に、小倉南区北方市民センターで「学習会」という形で城野遺跡の発掘調査の内容について解説し、この遺跡の重要性と保存の必要性についても訴えかけました。参加者の皆さんは真剣なまなざしで私の解説に耳を傾けてくださり、活発な質問も受けました。そこには、前年8月に「城野遺跡の現地保存をすすめる会」(以下「すすめる会」)として、城野遺跡の現地保存と活用を求める署名活動に取り組んだ地元住民の方も参加しておられ、その場で、参加者全員で「すすめる会」として活動を再開することが決まりました。

 

私はその間、発掘調査時の様々な出来事が頭に浮かび、毎日のように新たな発見に遭遇し、感動した場面を思い出し、集まって下さった方々とともに今後、保存活動にできる限り協力していこうと決心したのです。

 

しかしながらこの数日後、私自身大きな壁にぶつかることになりました。この資料が私の所属組織の上層部の目に触れたため、本部に呼び出されて事情聴取を受けることになったのです。

 

北九州市は城野遺跡の保存問題について、決して私たち発掘調査担当の学芸員には話題にして来ませんでした。それでも開発者である福岡財務支局とは何度も協議を重ねてきたといいますし、後ほどその内容についてはお話しできると思いますが、紆余曲折を経て、市は城野遺跡の保存を断念し、石棺は移築して別の場所で展示・公開するという判断を公表していたのです。つまり北九州市が判断したことに対し、市の下部組織にいる職員が市の方針と違う意見を資料の中で述べていることが問題視されたのです。

 

ここで私の作成した学習会資料のタイトル【資料1】と問題の文章【資料2】を紹介しましょう。

 

【資料1】学習会資料のタイトル

私の当時の気持ちを素直に表現したもので、「すすめる会」の方々と同じ思いが伝わる資料にしたかった。

 

【資料2】学習会資料のエンディング

北九州市や福岡県、国がこの遺跡の価値を理解していない、ともとれる表現になっており、当局としては黙っておれないと思ったのであろう。

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私はこの時期、埋蔵文化財調査室長の職にありました。その人間がこのような市の方針、政策と異なることを市民に対して発言する行為は問題である、とされたのです。実は私自身、この資料が発覚すればこうなるだろうとは予測できていました。

 

組織の上司である女性の総務文化部長から厳重注意を受けたあと、謝罪をしましたが、以後は十分に気をつけながら「すすめる会」の活動に傾注していくようになったのです。ただ、所属を公表せずに、個人的な活動であれば問題ないだろう、とする理事長の発言もあったため救われた気がしたことを覚えています。

 

その後の「すすめる会」の保存運動はめざましいものがありました。北九州市が城野遺跡の保存を断念したにもかかわらず、とにかく遺跡の重要性を北九州市民に知ってもらうことが先決だとの認識で、それこそ献身的に動いてくれたのです。

 

講演会の開催、市への保存要望書の提出、市議会への陳情、市長への公開質問状の提出、情報開示請求、保存署名活動、街頭宣伝、ビラ配りなど、仕事の合間をぬって、休日の時間を割いて城野遺跡のために労力を惜しまない会員の方々の姿に頭の下がる思いでした。

 

私自身、40年以上も埋蔵文化財の部署で仕事をしてきた関係で、様々な自治体の文化財担当者や大学の先生方、また日本考古学協会や九州考古学会はじめ、たくさんの学術団体の方々とも交流があったので、あらゆる手段を駆使して城野遺跡の重要性を訴えるとともに保存活動へのご支援やご協力を仰ぐことにしました。とくに韓国の考古学関係の先生方や研究者から60筆もの賛同署名【資料3-1、3-2】をいただいたことにどれだけ勇気づけられたかわかりません。

 

【資料3-1】 韓国の研究者への保存要望署名

「城野遺跡の現地保存をすすめる会」の活動趣旨に賛同して、署名に協力を」のタイトルをつけ、遺跡の重要性を解説した。

 

【資料3-1】訴えの最後の署名欄

主に慶尚南道に所在する博物館や文化財研究院の名前が並んでいるが、ソウル大学や報道機関からの署名も混じる。合計60筆の署名が日本人研究者の協力で集められた。

 

これも運動の核になる「すすめる会」の存在があったからできることでした。まさに「城野遺跡の守護神」と、私はひそかに思っていたのです。(次回に続く)

 

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】 

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、北九州市立大学非常勤講師、日本考古学協会会員

 

 

■動画「城野遺跡 朱塗り石棺の謎」(2017年1月公開 約14分)

城野遺跡の発掘調査を担当した佐藤浩司氏が九州最大級の方形周溝墓で発見された箱式石棺2基の発掘調査にあたり、「世紀の発見かもしれない」と2ヵ月半、約3時間撮り続けた唯一のビデオ記録を城野遺跡の全体像がわかるように約14分に編集したものです。をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/QxvY4FBnXq0

 

 

■動画「城野遺跡 実録80分『弥生墓制の真の姿』」(2022年6月公開 約80分)

上記ビデオ記録を約80分にカットしたものです。撮影当時の佐藤氏のコメントとともに発掘現場の声や音もはいっており、発掘調査の歴史的瞬間の感動がよみがえります。をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/qafp00zCTzQ?t=10

 

 

■日本考古学協会の要望書

日本最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会は国、県、市に対し「現状を保存し、史跡として整備、活用」を求める要望書を3回も提出しました。ぜひお読みください。

 

<2011.2.25要望書> ※城野遺跡の全貌が判明したころ

 http://archaeology.jp/maibun/yobo1012.htm

 

<2016.1.8再要望書> ※北九州市が現地保存断念を知ったころ

 http://archaeology.jp/maibun/yobo1508.htm

 

<2016.7.20再々要望書> ※すぐ近くにある重留遺跡から出土した祭祀用の広形銅矛が国の重要文化財(広形銅矛では全国唯一)に指定後

http://archaeology.jp/wp-content/uploads/2016/08/160802.pdf

 

 

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城野遺跡/帰ってきた弥生人 目次

-城野遺跡発見の一部始終をたどる- ※日付は掲載日

 

第1章 城野遺跡発見の経緯と経過(3回)

     城野遺跡はどのように発見され、どのように取り扱われてきたのか?

      ☛ ①2020/8/2 ②2020/8/10 ③2020/8/17

第2章 発掘調査の内容(20回)

     発掘調査により、どのようなことが明らかになったのか?

      ☛ ①2020/8/24 ②8/31 ③9/9 ④9/18 ⑤9/27 ⑥10/8

       ⑦11/7 ⑧11/20 ⑨12/5 ⑩12/18 ⑪12/30

       ⑫2021/1/25 ⑬2/15 ⑭3/26 ⑮4/10 ⑯5/1 ⑰6/3

       ⑱6/26 ⑲7/16 ⑳8/6

第3章 注目すべき事実(7回)

     城野遺跡は弥生時代の北九州の歴史にとって、何が重要なのか?

      ☛ ①2021/8/30 ②9/30 ③11/6 ④11/28 ⑤2022/1/8

       ⑥2/7 ⑦6/25

第4章 立ち退かされた弥生人(4回)

     ここで暮らした弥生人たちは、どこへ?

      ☛①2022/7/31 ②9/6 ③10/28 ④12/13

第5章 遺跡保存への道のり(4回)

     発掘担当者の悩みと苦しみ

      ☛①2023/1/31 ②5/6 (特報1 6/9) ③7/5 (特報2 8/15)

       ④10/19

第6章 立ち上がる市民と城野遺跡(6回)

     守ることと伝えること

      ☛①2023/12/30 2024/7/30(今回)

第7章 立ちはだかる壁(4回)

最終章 帰ってきた弥生人(3回)

     新たな歴史の誕生

 

※内容や回数は変更することもあります。掲載が遅くなり申し訳ありませんが、まだまだ続きます。ご愛読のほどよろしくお願いします。