岩戸が開けて現出した三四五(みよいず)の世界
あの世とこの世が岩戸開けて重なりし世界
それに同調して生き始める人
されど多くの人は未だ夢の中
自分を掴めずウナギ踊りを繰り広げている
三四五が掴めねば五六七(弥勒)の世界はわからぬ
この世とあの世が合致する三四五(御代出)は
あの世と神世が合致する五六七(みろく)の世を告げ
三四五六七と一直線に柱が通る
この世の自分が魂を掴めねば
あの世の自分の魂は神を掴めぬ
ウロウロクネクネウナギ踊り
柱は未だ蛇行する
身に囚われている限り巳に囚われる
うんざりするほど語った言葉も
枷を外す鍵とはならぬ
わかっている事とはいえ・・・
コロナ(五六七)が始まって尚
その身の枷を外せぬ
良く生き良く死ぬことさえ出来ねば
生まれ変わるはもはや無し
世界を覆いつくす悪の渦は
改心するための神心の渦
天鈿女(アメノウズメ)の舞姿
岩戸を開く最後の一手
手放しせねば渡れぬ鳴門
その身を握って離さねば
かちかち山の泥船と鳴る
三四五 五六七と柱通りなば
七八九と更に進みゆく
〇世(神世)と更なる・世(神世)が繋がり
真の三六九(弥勒)の時となる
一二三唱えて
この世の人が三四五開き
あの世の御魂が五六七繋いで
神世で七八九結びて
九十開く
九十開きなば世の元からの
生き神遷りて『いろは(色波)』が遷る
いろは祝詞は寄せては返す
伊弉諾(いざなぎ)神と伊弉冉(いざなみ)神の
瑞(水)が千変万化する姿
ひふみ祝詞は厳の神
理(ことわり)の柱 厳魂
岩戸開きて現れる神
柱が通りて現れる
いろは祝詞は瑞の神
力現れ容(かたち)成す 瑞魂
諸行無常の巡りを生む神
祇園精舎に鳴り響く
厳と瑞を結ばねば
弥勒の世界は生きられぬ
諸行無常の巡りから外れ
永遠に漂う夢の中
幽界の海を漂う魂
それを『蛭子』と言うのである
悔い(杭)の残る生き様が
夢(幽界)の海を航海(後悔)させる
この身は神の化身である
されば身も心も神に捧げよ
おのれの生殺与奪を捧げよ
捧げきらねば神は掴めぬ
その身も心も握ったままでは
自分自身も掴めぬままに
ウナギ掴みとなるばかり
やがて『蛭子』となりて漂う
鳴門を渡るは手放しあるのみ
その身も心も手放して
諸行無常の流れに委ねて
祇園精舎の鐘の音が
素佐鳴神と鳴り響くとき
『蘇民将来』訪れる
その身も心も手放して
三四五 五六七 七八九と繋ぎ
九十(コト)を開いて岩戸開けば
天(点)から光の柱が通る
その身を手放し心を手放し
御魂を手放し神を手放せば
元津大神の光の柱が
真っすぐその身に降り注ぐ
我が身 我が魂 我が神となり
霊身一致 神人和合
諸行無常の巡りに乗りて
龍人和合 神龍和合
捨てねば掴めぬ当たり前
気付けた者から『さようなら(左様成)』
誠の神との結び成り
富士(不二)は晴れたり日本晴れ成る