
日本人の5人に1人は居るであろうと言われるEmpathic person(共感能力者)
その中でもひときわ高い能力を持っている人たちは、もっと少ない数だと思います。
しかし、それでもたくさんいるはずです。
多くの共感者たちは、自分がそうであると気付かずに生活している。
特に若いころはそんなことに気付けるわけもなく、その能力ゆえに心を傷つけ、自分を押さえこみ、痛みに耐えながら生きている人も多い。
見えている世界が違うから、人とは違う行動や言動になる。
人の「建て前」という垣根を簡単に飛び越えて、真実を知ってしまうがゆえに、人を戸惑わせ、恐れさせる事さえある。
だが、人を傷つけるのを好まないため、痛みの矛先を自分に振り向けて、自ら傷つくことで、誰かを傷つけることを回避したりもする。
彼ら、彼女らの「むき出しの心」は、常に傷つき痛みを抱えている。
そんな事実を知らなければ、人は彼らや彼女らを「心の病」と思い込んでしまう。
彼ら、彼女らの行動が理解できず、傷つき痛んだ心に弱った姿を見て、「心の病」と判断してしまう。
わからないから仕方ないのだが、それはあまりにも悲しいことです。
こんな「間違い」はしてほしくはない。
彼ら、彼女らは「病」ではなく、心を「怪我」している。
「病んでいる」のではなく「痛んでいる」のです。
これだけ見るとエンパスの能力はまるで「呪い」のように感じますが、それは全くのナンセンスです。
これは「ギフト」に他なりません。
ただ、必要なのは「理解」すること。
本人たちが、周りの人がきちんと理解すること。
それだけで「呪い」は「ギフト」となります。
傷つかないために
そして傷つけないために
何を理解して、何をすればいいのか・・・
そんなことを昨日も話していました。
「うちの娘もたぶんそうだと思う」
まだ中学生の娘さんがどうもそのようだと気付いて、真剣に話をしていました。
さらに話を聞くと
「もう一人の自分と会話して、そこから答えを得ている」ということらしい。
それで「多重人格では?」と疑ったそうです。
よくよく話を聞いてみると、明らかに「自我と真我」の対話でした。
『修行者が自分のエゴをそぎ落として、ようやくたどり着けるところが自我と真我の対話ですよ』というと驚いていました。
確かに周りの子たちと違いすぎますね。
でも、そんな「徳」を持った娘を「多重人格かも」という間違いをすることが、やはり恐ろしいことだと気付きます。
それ以外にも、似たようなケースはまわりにあるようだとも・・・
実はけっこう切実な問題です。
まだ小中学生のうちから「精神疾患かも?」という見方をされてしまうわけですから。
「他の子と違う」
そんなことで即「心の病」としてしまうのは、本当に悲しいことだと思います。
エンパス(共感能力者)に関しての情報は、多いようで実は非常に少ないです。
「ブロックすればいい」
「プロテクションすればいい」
そんな漠然とした言葉ばかりが飛び交っているのが現状です。
実際は、もっと繊細な事柄です。
同じ共感能力者として私が出来ること・・・
それを来年のマニフェステーションに加えます。
重要事項として。
いくつか考えていますが、なにが「最善」かをもう少し検討したいと思います。
必ず「ギフト」として変えられるように・・・