※こちらの記事は、平成29年9月29日に書かれたものです。
皆さんこんばんは。
今回はまた『哲学ニュース』の記事「大航海時代に日本が侵略されなかった理由wwwww」について検証してみようというシリーズの第12弾です。
<これまでの内容>
第1回 ヨーロッパと日本の距離について
第2回 日本から産出された資源について
第3回 日本の産業について
第4回 日本とヨーロッパの戦力差(前編)
第5回 日本とヨーロッパの戦力差(後編)
第6回 1501年時点での日本の統一状態について
第7回 1549年時点での統一状態について
第8回 本能寺の変直前の統一状態について
第9回 豊臣秀吉の天下統一時の様子とこれまでの統一状態の総括
第10回 「貫高制」について
第11回 室町時代までの武士の主従関係について
ということで、第12弾は…
「寄親寄子制(よりおや・よりこ・せい)」自体の内容ということで今回も「がらくた文庫」さんを参考にさせていただいております。
「寄親寄子制」とは血縁関係のあるなしにかかわらず、二者の関係を親子に擬制した主従関係のことで、室町(むろまち)時代までは自主的に結ばれたり、パワーバランスなどで当事者間で結ばれていたもののようです。
しかし、戦国(せんごく)時代になると戦国大名(せんごく・だいみょう)がその制度を利用することになりました。
どういうことかというと、戦国大名を中心にしたヒエラルキー、命令系統を作るのに利用したということです。
例えば、戦国大名AさんにはB、C、D、という家来がいたとします。
戦に勝って、新しくEという家来が増えましたが、大名直属にすると命令系統が雑多になるのでBの下に配属する、という感じです。
この場合、Bが寄親、Eが寄子になります。
実はこの「寄子」は「与力(よりき)」と表現する場合もあります。
実際の例でいうと、蜂須賀小六正勝(はちすか ころく まさかつ)や竹中半兵衛重治(たけなか はんべえ しげはる)はもともとは織田信長(おだ のぶなが)の直臣(じきしん。直属の家来のこと)でしたが、命令系統として木下藤吉郎秀吉(きのした とうきちろう ひでよし)の下に配属する、つまり秀吉の「与力」として配属されました。
それがそのうち秀吉の家来化していきましたが、本来は信長の命令で秀吉の下についていた存在でした。
こんな感じで、戦国大名の命令でだれだれの配下に所属する、という形で「寄親寄子制」が利用され、それが江戸(えど)時代の武士のヒエラルキーにつながっていくんですね。
織田家臣団について知りたい方は、下記リンクをクリックしてください:
『麒麟がくる』第11~12回―なぜ朽木谷か?/信長家臣団の萌芽
蜂須賀小六の登場する記事:
稲葉山城の合戦―人に好かれる人が勝つ
竹中半兵衛の登場する記事:
『麒麟がくる』第15~16回―織田一族の関係性と斎藤新九郎高政の重臣たち
同関連記事:
姉川の合戦-即座に方針転換する
織田信長の登場する記事:
『麒麟がくる』第44回―南光坊天海について
次回は戦国大名の農民支配について言及できればと思いますが、そのときの状況によって考えます 笑
※画像はイメージです。
参考
寄親寄子制について
れきしのおべんきょうφ(.. )メモメモ
「なぜ」と「流れ」をつかむ日本史
竹井党の寄親口羽氏の居城について
どこいっきょん?
山武の世界史
徳川氏の軍事編成について
知りたい歴史その答えはここにある
大航海時代について
しばやんの日々
ナチュラリストの散歩道
るいネット
こん
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