がらくた文庫

主として筆者がノートを復習する形で歴史のネタを提供するブログです。

拙い文章力ですが、皆様の歴史の勉強に貢献できたらと思っています。
よろしくお願いします!


テーマ:
「戦国大名の支配って?」

他の大名とドンパチやって勝つだけでは人々は付いて来ません。戦国大名には家臣を上手く従えるシステムがありました。
ひとつひとつ見ていきましょう。

まずは家臣団を形成します。前回お話した国人や地侍を綺麗に統率された部隊にします。
そのために使われたシステムが「貫高制」と「寄親寄子制」です。

「貫高制」とは国人や地侍の収入を銭に換算した額「貫高」で把握し、その地位と収入を保障します。もちろん代価として軍役を提供してもらいますが。
その収入換算の為に大規模な検地が行われます。この検地は指出検地(いわゆる自己申告制、家臣に反乱されないため・下手に検地に時間を裂けなかったため)でした。

「寄親寄子制」とは家臣に編入された地侍を有力家臣に預けるシステムです。
有力家臣は戦国大名をサポートしつつ、家臣団を統制する優秀な中間管理職でした。

更に戦国大名は自身の城下町を作ります。これは単に自分の街を作りたかったわけではありません。
まず皆さんが思いつくのは商人を集め経済を発達させることだと思います。楽市楽座などはまさにその典型的な政策ですね。

一方で城下町にはもう一つ機能がありました。それは「家臣を住まわせる」ことです。
なんだいい奴じゃないか、と思うかもしれませんが実は隠れた狙いがありました。家臣を帰さないことで、家臣が持っている在地勢力を取り除くことです。
家臣を城下町に住まわせたことで出兵時の機動力も上がり、結果的に戦国大名の利益となります。

最後に分国法について。
「今川仮名目録」「甲州法度之次第」「塵芥集」「早雲寺殿廿一箇条」辺りは聞いたことがあるかと思います。

分国法も御成敗式目に倣い武家の先例・慣習を主としますがいくつか違う点がありました。
まず御成敗式目は惣領制(血縁的結合)を前提としていたため御家人の家の事情には干渉出来なかったのですが、分国法の時代は地縁的結合の下で家臣と大名が主従を結ぶ関係なので親権の絶対性が崩れます。つまり家庭事情に堂々と干渉出来るわけです。

また喧嘩両成敗など特殊な規定もありました。有力家臣はトラブルが起こると実力行使で解決したがるので、戦国大名は家臣統制と自身への裁判権の集中を図ったわけです。
他にも結婚や相続に戦国大名が口を出すこともありました。

戦国大名がただドンパチやるだけでなく、支配システムを確立した指導者であったことを理解できればよいかと。
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