昔、駿河国と遠江国を分かつ存在であった大井川ですけれど、「奈良時代には、大井川の流路が現在より北を流れていた」(Wikipedia)そうでして、そういわれてみますと現在の静岡県島田市は川のこちらとむこうとに跨っておることが宜なるかなと思われたりも。
ともあれ、江戸期に川越制度が作られた頃には流れが現在と近いものとなっていたのでしょうか、旧東海道沿いに大井川川越遺跡が並んだ先、土手下には朝顔の松公園とその向かいに島田市博物館が建てられてあるわけで。この塀の向こうが博物館です。
塀そばに掲げられておりますのは、先に見た「仲間の宿」でちと触れた歌川芳艶の「頼朝公大井川行列図」でして、頼朝公と言いながら実際のところは、「十四代将軍徳川家茂の文久3年(1863年)の大井川川越を描いたもののである」と。
…となりますと、孝明天皇に謁見するため京に向かうの図であるか?と思うものの、川向う遠くに富士山が見えているということは…なあんだ、江戸へ帰るところであったかと思ったりしたものです。
ともあれ博物館の敷地内に入ってみますと、まず目にとまったのはかような石碑でありまして。どうやら松尾芭蕉の句碑ということで。
黒地に細い文字が刻んでありますのでとても読みにくいのですが、「ちさはまた青はなからになすび汁」と、芭蕉が当地の俳人・塚本如舟宅に逗留した際に詠んだ句であるようで。大井川に臨んでは「五月雨の空吹き落せ大井川」という、雄大な風景画のような句も残している芭蕉ですけれど、一方で句碑にある一句のように青々としたちさ(チシャ菜、レタスのことだそうな)とナスの紫を対比させて、色彩感溢れる静物画のような作もあるのですなあ。
なお、同じ敷地内には芭蕉の句碑がもうひとつ。こちらには「たはみては雪まつ竹のけしきかな」と刻まれておりますが、さまざま句作にふける芭蕉の姿からは、さぞや如舟宅での逗留が心地よいものだったのであるかなと、出羽・尾花沢の鈴木清風邸での滞在を思い出させられたのでありました。
実のところは川留めにあって長逗留になった…てな話でもあるようですが、そのおかげで?島田市内には他にもいくつか芭蕉句碑が残されているようでありますよ。
と、降ったり止んだりの雨脚が酷くなってきたところで、ようよう館内へ。折しも収蔵品展「川越し大解剖!~大井川に残る江戸からのメッセージ~」なる展示が開催されておりました(会期は6/14で終了)ので、ここでまた改めて川越制度のことなどをたっぷりと拝見し…ではありますが、長くなりますので館内のお話はまた次回ということに。




