福岡県小郡市にある九州歴史資料館を訪ねて、いくら特別展とはいえ、やきものの話ばかりではなんですなあ。福岡県立の歴史系博物館を標榜するあたり、その辺には触れておきませんとね。
こちらは企画展「江戸時代の福岡の窯道具」が開催中であった第2展示室の片隅になんとなく?置かれていた模型ですけれど、説明に曰く「大宰府政庁注文復元模型」であると。
中門というのは「政庁内部に入るための門」だそうでして、それにしても上の模型は1/10スケールということですが、ヒトのスケールと比べてずいぶんと大きな門であったと思われます。ま、こんなふうに驚いたりしますのは、恥ずかしながら大宰府と聞いて思い浮かべるのが太宰府天満宮しかなかったからでして。
今回は福岡県内(ちょいと佐賀県も)をうろうろして古代史に探りを入れる?ことも目論見の一つにしていたものの、端から大宰府のことは全く考慮しておらなかったのでありますよ。「だって、神社でしょ?」と。ですが九州歴史資料館の館内を見て回って、遅まきながらそうではないと思い知ることになったわけでありますよ。ひとつには、こんな子供向けかとも思わえるパネル展示からです。題して「大伴旅人の大宰府ものがたり」と。
今から一三〇〇年前の奈良時代、現在の福岡県太宰府市に、九州全域をまとめる古代最大の地方役所「大宰府」が置かれました。その前面には「天下の一都会」と呼ばれた大都市「大宰府」がひろがり、国内外をとわず、多くの人や物が行き交っていました。
ほおぉ!そういう施設だったのでしたか、大宰府は?!よおく考えてみれば(実は考えるまでもないと思いつくのですが…)菅原道真が大宰府に左遷されたといって、太宰府天満宮が先にあったわけではないですものねえ。
と、ここで余談ながら、記載のうちに「大宰府」と「太宰府」が混在して見えますが、一応は展示解説に倣うよう意識はしておりまして。曰く「大宰府」は「古代の役所を指す場合」、「太宰府」は「現在の地名を指す場合」と。
ところでパネル展示の方は、万葉歌人として知られる大伴旅人の生涯をたどるようになってますが、その全てを追いかけるのではなくして、かいつまんで。
天智天皇四年(665年)、つまりは白村江の戦いに敗れて唐や新羅から攻め込まれるんじゃね?という雰囲気濃厚だったころに生まれた大伴旅人、武門で活躍することも期待される中央官僚として成長していくのであったとか。九州南部の隼人征伐では大将軍を務めたそうでありますよ。
華々しいキャリアを積み重ねたわけですが、晩年(63歳といいますから、今なら定年間近)になってやおら大宰師(だざいのそち・大宰府の長官)に任命されることに。展示では大宰府をネガティブな印象で語ることは無いようですので、左遷とかいうような紹介はありませんけれど、中央においては藤原四兄弟にめざわり感を抱かれた結果として、大宰府に行かされたようでもあり。
もっとも対外的脅威の存在が未だ払拭されない時期にあっては、西国の押さえを任せたいとか何とか云われたかもですね。後に菅原道真は大宰府に流された嘆きのあまり、怨霊になったりしてしまいますが、旅人にはそこまで後ろ向きなようすが無いのは時代の違いでもありましょうか。ま、最晩年には大納言として中央返り咲きも果たしますしね。病を得ていて、もはや活躍の場は無かったようですが。
なにやらかいつまんでというわりには長くなりましたですが、他の展示室でも大宰府関連を見てみるといたしましょうね。弥生土器や甕棺、そして須恵器など(要するにまたやきものであるか…)などが多く見られる第3展示室です。
史跡発掘などにより出土した瓦の類いがたくさん展示してありますが、「瓦」というもの自体、「飛鳥時代に朝鮮半島から伝えられた」ということで。
でもって、大宰府政庁跡の遺跡からも瓦が出土するわけですが、上と下では意匠がずいぶん異なりますなあ。
上と下では年代的に飛鳥時代と平安時代という開きがあるのではありますけれど、意匠の点では上が「百済系」であり、下は「新羅系」(とは記載されないものの)に近いように見える。同じ朝鮮半島にあって、やはり百済と新羅には文化的に異なる流れがあったのであるなと思うと同時に、海を隔てるも距離的には近い朝鮮半島からそれぞれの文化が九州には流入していたのであるなと改めて。
てなことで、大宰府政庁跡の遺跡などにやおら関心が高まるところとなったものの、今回の行程の中では消化できないだろうと、これまた積み残し課題になってしまいましたですよ。
ところで、九州歴史資料館の展示関係では甕棺とか石人像とか、触れておきたいことはまだあるのですが、この後に訪ねたあちこちの施設を振り返る際にも出てきますので先送りとすることに。
で、話は少々、古代史関係が続きましたですが、次には旅立ちのそもそもであった福岡天神近くでさるイベントを覗くというお話になってまいります。
唐突ながら、ちと2~3日のお休みを頂戴いたします。取り立てて何かあるというでもないものの、ちと気忙しいふうになってしまっておりまして。おそらくは11/16頃には旧に復す予定ですので、その頃にまた。ではでは。





