ひととき読書三昧と先に申した中で読んでいたもう一冊。『あるじなしとて』というタイトルに、「どこかで聞き覚えのあるフレーズであるな」とは思ってもすぐに出典にたどり着かないあたり、古典の素養のほどがうかがえるところでありますなあ(笑)。気付いてみれば、太宰府送りとなった菅原道真が庭の梅の木に向かって詠んだとして知られる和歌の一節でしたですねえ。
「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」と、記憶の底からはこんなふうに掘り出されましたですが、実は結句の部分、初出では「春を忘るな」であるとは本書の謂い。そうなんですか…という感じですけれど、ともかくも菅公、菅原道真のお話なのでありましたよ。
菅原道真といいますと学問の天才で、その天分を生かして朝廷での顕職を極めるも、藤原時平らの讒言により太宰府送りとなってしまう。失望のあまり、その怨念が後に数々の災いをもたらして、天神様として祀られるようになった…という、実にざっくりとしたところだけが予備知識ですけれど、太宰府行きを命じられる以前、もそっと若い時期に道真自身として「左遷かあ」と考えた讃岐国守就任という人事異動があったのですなあ。
もっぱら都にあって文章博士という学問領域での働き場こそ本分と考えていた道真にとって地方任官は「左遷」としか受け止めようが無かったのでしょうけれど、これって「かわいい子には旅をさせろ」ではありませんけれど、目をかけようと思えた才能が本物かどうかを探るために敢えて苦労させるといった思惑あっての人事だろうとは、すぐに思い浮かぶところながら、道真はそうではなかったのですな。もっとも、行政官としての栄達を極めるところまでの思い巡らしも無かったとすれば、本分から外れた仕事をやれとは窓際送りに思えたわけで。
ですが一国の差配を任されてみれば、デスクワークに終始するというわけにもいかず、海千山千、有象無象の土地の有力者たちと渡り合っていかねばならない。その際、もっぱら焦点となっているが収税業務なのでありますよ。単純にいって、中央派遣の役人としてはきちんと収税が行われるこそ肝要で、土地の者としてはいかにお目こぼしを得られるかがポイントですから、利害は相反しているのですよね。そこで「律令」を決まり事として振りかざしても、うまくいかない。法律どおりとしては、あたかも当地の作物を根こそぎにしてしまうイナゴのような存在になってしまうわけで、(悪い意味ではなくて)折り合いをつけること、それが結果として、中央にともって現地にとっても双方に都合の良い状況を生み出すことになると、道真は学ぶのですよね。
やがて都に呼び戻された道真、ひとかわもふたかわも向けた存在となったのは人事を手掛けた側(藤原基経でありましょうか)からすれば、思う壷でもあったでしょうか。讃岐一国のことではなく、中央としての抜本的な税制改革に取り組み、それによって官位役職が上っていくという。ですが、讃岐に行ったことで人物的にも成長し、もとより頭の働きは人一倍としても、如何せんいわゆる権門勢家の出ではないところがネックになってきますな。出る杭は打たれるというわけで。
それをも見据えた道真はしっかりとお膳立てを整えた上で、総仕上げを権門勢家に託すという流れを作り出すのですなあ。あくまで自らの手で強行すれば、中央政権にとっていかに良策であっても潰されることを回避したのでしょう。事が成るのは道真が太宰府に送られたあとのこと…となれば、果たして道真は太宰府送りに果たして怨念を抱くことがあったかどうか。むしろやれることはやりきった上で、自分が遠ざけられることはシナリオどおりだったのかもしれません。
たまたまにもせよ、道真配流の後にさまざまな変事が起こり、これを道真無念の怨霊と考えるのは話としてよく出来ている。藤原時平らの讒言があったかどうかという点も、後の変事を道真の怨霊を原因にするためのよく出来た作り事なのかもしれませんですね。実際に確たる証拠があるでなし。
ともあれ、さまざまに伝説化することで菅公がらみのたくさんの物語がその後に作り出されますし、今でも天満宮は受験の切り札的存在にもなっているのですから、文化的な流れからすると作り話があってなによりだったのかもしれませんですが、実はこんなことだったのかもという異説が展開されることはあってもいいことでありましょう。小説としては、現代社会と擬えた捉え方ができるものともなっていますしね。
ということころで、また父親の通院に付きそうために両親のところへ出かけてまいりますので、明日(8/18)はお休みを頂戴いたします。ではでは。