いささか拍子抜けしつつ弥生時代の三沢遺跡を通り抜け、たどり着いたのは九州歴史資料館、福岡県立の歴史系博物館ということながら、福岡にあって「九州」を標榜するあたり、あたかも宮城県立の東北歴史博物館のごとしかと。いやでも期待感ばかりが高まるのですが、果たしてどうでしょう。建物は実に立派というか、横に長すぎて画角に収まり切りません。

 

 

ちなみに手前に写っているのは「大宰府式鬼瓦」であると。「奈良時代の大宰府政庁の屋根を飾っていた鬼瓦」で、天智天皇二年(663年)に白村江の戦で敗北を喫した後、唐・新羅に攻め込まれた際の守りとして築かれた水城や大野城の跡地からも出土しているそうでありますよ。

 

 

本来的に厄除けの意味合いのある鬼瓦ですけれど、ここではかなり具体的な脅威を感じていたからか、形相にはコミカルさのかけらもありませんですねえ。それにしても「でかいなぁ」と思えば、実際の寸法の3倍で作られているそうで。要するに記念写真用のモニュメントということでもありますか。ともあれ中へと入ってみますと、最初の第1展示室では特別展が開催中であると。

 

 

同館HPによればここは常設展示として「九州や福岡県域の歴史を語る上で意義深い資料を取り上げ、旧石器時代から近代まで、各時代を象徴する資料を時間の流れに沿って印象的に展示しています」という内容のはず。されど訪ねた折には特別展「江戸時代に華ひらいた福岡のやきもの」の会場となっており、常設展はどこへ行ったものやら?

 

元よりやきものには些かの興味を持って臨んでいるのではありますが、今回ばかりは常設展の「弥生時代ー稲作とクニー」やら「古墳時代ー北部九州の古墳文化ー」やらいったあたりを、実は楽しみしていたのでありますが…。

 

とはいえ、やきものの類に興味がないではないものの、九州のやきものとなると福岡のお隣・佐賀の有田焼や唐津焼、はたまた鹿児島の薩摩焼や大分・日田の小鹿田焼(おんたやき)など思い浮かぶのは僅かだもんですから、この機に「豊前、筑前、筑後の三つの地域に分かれ、実に100か所以上でやきものが焼かれていたとい」うこの地域のやきものを概観したのでありますよ。

 

 

異なる地域でさまざまに作られてきたやきものの個性を振り返っていきますと、話がとんでもなく長くなりますので、ここでは差し当たり個人的にぴくりと来たひと碗だけをクローズアップしておきますかね。

 

灰釉碗 銘「小倉焼」

 

一見したところでは渋いと感じるところながら、色合いの肌艶はなかなかに魅せるものがあります。解説に「釉は枇杷色だか、褐色から黄色、わずかに青みのある景色と変幻」とあるのを見れば「なるほどなあ」と思ったものでありますよ。

 

てなふうに、思いがけずも?やきもの展に出くわしたあと、いよいよ九州の歴史に関わる展示解説が展開するかと思いつつ、第2展示室に歩を進めますと、何と!こちらはこちらで企画展「江戸時代の福岡の窯道具」が開催中であったとは?!

 

 

今回はとことん、やきものを見て行きなさいという思召しだったようですな。個人的にというか、勝手にというか、九州歴史資料館に期待したものとは必ずしも合致しない内容ではありましたですが、それでもよおく考え見れば、玄関前にモニュメント化して飾られていた大宰府式鬼瓦にしてもやきもの技術の淵源に関わるものであるわけで、そうした目を持って見てくればよかったのであるなあと、あとになって覆い返すのでありました。

 

で、この先にもそっと長い歴史と関わる別の展示を見て行くことになります。九州歴史資料館を振り返るお話は次にも続いていくことになりますです、はい。