信州富士見の井戸尻考古館に立ち寄って縄文土器のお話にはなりましたけれど、やっぱり土偶のことも触れずにはおかれないところでして。縄文土器の意匠も気になる一方で、土偶の造形もまた気になりますよねえ。

 

ただ土偶といえば、井戸尻遺跡からほど近い茅野市尖石縄文考古館にある「縄文のビーナス」、「仮面の女神」の国宝2体、そして昨2024年に山形県立博物館で見てきた「縄文の女神」(これまた国宝)が有名どころとして、先日のEテレ『美の壺・選』にも登場しておりましたっけ。これらが造形的にはいかにも完成形といいましょうか、粋を凝らした結果とも見えるわけですが、井戸尻考古館に見た土偶(加えて人面土器片)は至って素朴な雰囲気を醸しているのでありましたよ。

 

壁に沿ったガラス製展示ケースにあれこれ展示してある中で、フロアの中央に個室のように単独でガラスケースに鎮座している展示物が数点。そのひとつが、この「蛇を戴く土偶」ですのでね。素朴さ全開しておりましょう。

 

 

ですが、解説としてはやはり土器の意匠説明とも関わるように「蛇」のことに触れているのですね。

頭頂で螺旋をなす造形の先端には、土器に表された蛇の口と同じような深い切れ込みがある。それゆえ、とぐろを巻いた蛇だと認められる。この時代の人面深鉢の造形のなかには頭上に蛇を戴いた昨がみられるが、土偶では他に類例がない。

という、レアものなれば重要文化財に指定されておると。せっかくですので、後ろ側に回り込んで頭頂部も見ておきましょう。

 

 

とぐろを巻いた蛇とは「なるほど!」ですけれど、裏から見ると、左右にちょこんと突き出した腕の部分の愛らしさが尋常ではありませんなあ(ちいとも学術的視点ではありませんが、笑)。

 

 

こちらも個室待遇を与えられている一体でして、呼び名は少々大仰に「始祖女神像」と。やはり重要文化財だそうで。展示解説に曰く「両腕を大きく広げて胸を張り、顔は斜め上を向いて空を仰ぐように立つ姿は、大地や自然の恩恵を全身で受け止めているようでもあり、天に向けて何かを願っているようでもあります」と、そんなふうに見えるところが「始祖女神像」と言われる由縁でしょうかね。それにしても、土偶のネーミングには使いたくなる決まったワードがあるように思えてしまいますなあ(映画でいえば「愛と〇〇の〇〇」みたいな?)。

 

 

と、こちらは人面土器片になりますが、「人面または人首の神」する解説にはこのように。ちと長いですが「ほおほお」と思ったりするところかと。

ほんらい深鉢の口縁に戴かれていたもの。その深鉢は、秋の収穫を終えたのち、新嘗の祭りに新穀を炊く礼器であったと考えられる。ところがこの種の土器は、最後に人面が欠き取られ、本体は壊されてしまう。首を欠き取るという行為は、収穫にあたって穂首を刈る作業に擬せられていたに違いない。

あたかも弥生遺跡の資料館を訪ねたかのように思えてもくるところでして、さすがに縄文農耕論発祥の地らしい解説ではなかろうかと。そして、説明はこのように続きます。

…いっぽう、人面の表現は母胎より生まれ出ずる稚児の顔となっている。すると、土器の口縁より欠き取られる稚児の首とは、穀物の穂に宿る神霊すなわち穀霊の姿であろう。芽生えの力をもつ種子の神霊は、日本書紀で稚産霊(わくむすび)と呼ばれる神である。生命力あふれる人面の稚児は、まさに稚い産霊(わかいむすび)という神の名にふさわしい。

穀物神、日本書紀…やっぱり日本神話の起源は縄文にありてなふうに思えてきますですねえ。ただ、こういわれますと人面とされるものに「なるほど」と思わなくもないわけですが、考えようによっては「シミュラクラなんじゃね?」とも。

 

文献としての一次資料が無い時代に関しては想像を積み上げるしかないでしょうけれど、想像の可能性はいくらでもあるというのが、この時代の難しいところでもあり、興味深いものでもありましょうね。といって、ここで全く別の推論を展開するほどの想像力は持ち合わせておりませんですが…。

 

 

水場に近く、木の実の採集できる森にも近い、日当たりのよい傾斜地にある井戸尻遺跡。ここで縄文人たちは狩猟採集のみならず農耕も営んで暮らしていた…てな想像を巡らすことくらいはできますけれどね。