一日お休みを頂戴して温泉につかってまいりました。日頃、自宅の風呂で「ああ、あったかい!」などと思ったりするところながら、やはり温泉のお湯はまろやかといいますか、実につかり心地がよろしいようで。温泉場近くに住まう方々というのは、毎日のようにかような湯につかっておられるのでしょうかねえ(羨)。
ところで「さほど遠からぬ温泉に…」とだけ申しておりました行先は、山梨県の石和温泉。いわゆる鈍行列車でのんびり出かけられるものですから、何度も出向いている温泉場でありますよ。出発前々日から前日にかけて、降雪の関係で立ち往生を起こした中央本線がすっかり復旧していたのは幸いでありました。
ともあれ、たびたび出向いて周辺の観光スポットにはおよそ立ち寄った覚えがあるところばかりになってきておりますが、行きがけの駄賃とばかり、これまで一度も途中下車したことの無い駅で降りてみたという。東山梨駅は、ものの見事に無人駅でありましたよ。
背後にはあたかも屏風のように御坂山地が並び、これを越えると河口湖という位置関係で、本来なら山並みから富士山が頭をのぞかせる…はずなのですが、この日はどうにも雲が多くて。
ま、遠望はともかくもこの無人駅で下車しましたのは、伽藍に国宝となっている建造物を持つ古寺があり、梅のお寺として知られていると予て聞き及んでおりまして、訪ねる時季にはちょうどよかろうと踏んだからなのですな。駅から歩くことしばし、やってきたのは臨済宗妙心寺派海涌山清白寺でありました。
清白寺は、寺蔵の『仏殿沿革調査書』(明治39年〔1906〕)によると、足利尊氏が開基し、夢窓国師(疎石)を開山として、正慶2年(1333)に創立されたと伝わる臨済宗の寺院です。天和2年(1682)の火災で仏殿を残してほとんどの堂宇が焼失し、その直後から享保16年(1731)の総門の完成まで再建工事が行われています。総門、放生池、鐘楼門(改築)、仏殿、本堂が一直線上に並ぶ禅宗特有の伽藍配置が見られます。(境内解説板)
総門、鐘楼門とくぐって突き当たるのが仏殿でして、天和二年の火災でも被害を免れたという仏殿、いったいつから建っておるのかと言えば、山梨市による解説板にはこのように。
建立年代は、組物に墨書が発見され、応永22年(1415)と判明しました。鎌倉から室町時代は、貴族や武士の信仰を得て、各地に禅宗寺院が盛んに創立されましたが、その後衰退したため、現存する遺構のうち室町中期までさかのぼるものは極めて少なく、禅宗仏殿の古い形式を伝える一例として価値の高いものです。
ということが「国宝」たる由縁なのでしょうね。一方、時節柄と思った梅のようすですけれど、東京よりは気温が低いせいか、まだまだ咲き始めたばかりのようでしたなあ。
時季が適いさえすれば、総門へと続く参道の梅並木(上の写真より実際はもっと長いです)が紅白見事に咲き競って「梅参道」と呼ばれるようすが見られたはずなのですけれど。解説板掲載の写真では、こんなふうですのでねえ。
ちなみに、境内の方に植えられた梅の木もまた、まだこれからでしたなあ。
なまじ大きくなりつつあるつぼみがぎっしりと付いているだけに、残念無念さが募り来るといいましょうか…。