一昨日に「行徳富士」の話などをしたですが、今度は本当の富士山のお話。先に北斎の『富嶽三十六景』に触れて、「動かざること富士の如し?」なんつうふうにも言いましたけれど、位置づけとして富士山は今でも活火山なのでしたなあ。かつて「富士山は休火山」と言われていたように思うところながら、どうやらいつの間にか定義が変わっていたらしい。気象庁HPには、こんな説明がありましたですよ。

…数千年にわたって活動を休止した後に活動を再開した事例もあり、近年の火山学の発展に伴い過去1万年間の噴火履歴で活火山を定義するのが適当である との認識が国際的にも一般的になりつつあることから、2003(平成15)年に火山噴火予知連絡会は「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」を活火山と定義し直しました。

てなことで、1707年に宝永噴火を起こした富士山、以来300年余りにわたって大噴火が起こってはいないものの、長い長い火山の時間からすれば、300年は大した年数でもないのでしょう、上の引用のような定義し直しの結果、活火山ということになっておるようです。ちなみに、Wikipediaを覗きましたら、2012年に「富士山3合目(山頂の北西約6km)の山腹で僅かな噴気」が確認されたりもしていたのだそうな。

 

願わくば、どうかこのまま穏やかに悠然たる姿でいてほしいところですけれど、火山活動がひそやかにも続いているとなれば、山のようすが変わっていくという方が当然なのでしょうね。『10万年の噴火史からひもとく富士山』という一冊を手にとって、つくづくそんな思いを抱いたものでありますよ。

 

 

本書は写真集とまで言い切れないものの、たくさんの写真で富士の見せる諸相を切り取っておりますな。富士に魅せられてその姿を撮り続ける写真家は数多おりましょうものの、それは基本的に富士自体の均整のとれた姿を周囲の景観や気象状況などを含めて、どれだけ秀麗にとらえるかという点に関心が置かれているような。本書の著者もやっぱり写真家のようですけれど、こちらの目線はどうもそういうことではないのですな。荒ぶる富士の作り出した自然造形などを求めて、樹海や溶岩洞穴の奥深くにも入り込んで行っているわけです。ま、そうでなくては10万年の噴火史(の痕跡)を辿ることはできないということでありましょうね。

 

ただ10万年といいつつも、今の富士山につながるそもそもとしては、少々北側の場所におよそ26~16万年前にできた先小御岳火山が始まりであるそうな。これが活発な火山活動で山体が大きく、標高も高くなったのが小御岳火山であると。10万年前(ここからが直接に今の富士の形に繋がる火山活動になりますな)には、小御岳火山の山腹部(愛鷹山との間)で火山活動が起こるようになりまして、やがて1万70000年くらい前までの間に小御岳火山を覆い尽くすほどに成長しますが、この時期を古富士火山というのだそうでありますよ。ちなみに、小御岳火山は覆い尽くされたとはいえ、今でもその名残を望むことはできるだとか。山梨県立富士ビジターセンターのブログには、こんなふうにあります。

山中湖あたりから富士山を見たとき、富士山北斜面の中腹(富士山の右)に肩のように張り出した部分がありますが、それが小御岳火山のほぼ山頂部で、スバルライン終点の駐車場は小御岳火山の山体が富士山本体の横腹に頭を出している平坦部に作られています。山体の最高点は2500mで、直径約1.5kmの馬蹄形の山頂火口があり、小御岳神社も火口の一部に作られています。

ともあれ、今眺めることのできる姿は1万7000年前に始まる新富士火山の活動によってできたようですね。新富士火山は古冨士火山を、これまた覆い尽くしていくわけですが、途中から噴火のようすが変わっていったようですな。本書ではこのように。

(いったん低調化した)噴火活動は5600年前ごろから再び活発化します。それまでの溶岩流を大量に流す噴火活動から、爆発的な噴火を伴い、山頂及び山腹から噴火が発生するようになり、…広大な溶岩の土台の上に溶岩や火山灰が幾重にも積み重なった急傾斜の円錐形を形作っていきます。

続く噴火活動で山体崩壊を起こしたり成長したりもするわけですが、2300年前を境にもはや山頂部での噴火は無くなり、北側の山裾に連なる噴火口から大量を溶岩を流した貞観噴火(864~866年)、山腹に大きな擂鉢状の爆裂火口を設けることになった宝永噴火(1707年)が大きな噴火として記録されるばかりのようで。

 

さりながら、富士の姿は300年来、変わっていないのかといえば、そうではないようですな。本書のカバー写真にありますように、富士の山肌には侵食と崩壊による谷筋が刻まれていて、その中で最も有名な「大沢崩れ」は「現在も毎年平均約15万立方メートルの土砂が崩れ落ちて、拡大を続けています」(静岡大学防災総合センターHP)ということですのでね。火山の一生は(一概には何年とはいえず)数百万年に及ぶものもあることからすると、富士が現在の秀麗な姿を留めているのに立ち会えるのは束の間ということになりましょう。いつ、その姿が大きく変わることになるのか、誰にも分からないことなのでしょうなあ。

 

とまあ、山容のことばかりに終始してしまいまして、貞観噴火の溶岩流が大きな剗の海(せのうみ)を埋め、小さめな西湖と精進湖が残ったとか、青木ヶ原樹海の生成とか、その地下にある溶岩洞穴のこととか、富士を取り巻くさまざまが紹介されている本書の振り返りとしては片手落ちなのですが、まあ、とりあえず。結果として今ある周囲の湖や滝などを含め、富士周辺をもっぱら観光地という認識で見ているものの、地学的な背景を幾分かでも知って臨むと、見え方も変わってくるだろうなあと思ったものでありますよ。