JR仙石線の本塩釜駅に近いホテルに宿泊した後のお話になります。が、まずマクラとしてはその地名の点に触れておくといたしましょうか。JR仙石線には本塩釜駅のお隣に西塩釜駅と東塩釜駅があります。さらに、東北本線には塩釜駅もありまして、表記はいずれも「塩釜」なのですな。

 

一方、前日に立ち寄った塩竈市杉村惇美術館は地元自治体・塩竃市の正式名称として表記は「塩竈」になっています。さらに、この日に朝から訪ねようとしている陸奥国一宮は鹽竈神社ということで、こちらの表記は「鹽竈」と。単純に考えれば、難しい漢字が簡略化されるに従い、鹽竈⇒塩竈⇒塩釜という変遷をたどったのではなかろうかと思ったりするところながら、自治体が「塩竈」という表記に踏みとどまっているのはどうしたことか。

 

だいたい文字の簡略化などと言ってしまったものの、「竈」は「かまど」のことであって、「釜」の意味する「かま」とはモノが違いますですよね。おそらくはそのあたりが関わって…と、塩竈市HPを見てみれば案の定でありましたよ。

市役所で、塩竈という表記に統一するようになったのは、昭和16年(1941年)からで、それ以前には、「鹽竈」、「塩竈」、「鹽釜」、「塩釜」など、混在して用いられていました。「鹽」という漢字についは、当用漢字の「塩」を用いてもさしつかえありませんが、「竈」と「釜」では、字義が違っており、本市の地名の由来が、「鹽竈神社」の社号に因むものであるところから、「釜」ではなく「竈」を用いることに統一されました。

歴史に対する敬意というかこだわりというか。そのあたりが感じられるところですけれど、市民から提出される文書に「塩釜」と書かれてあっても受理しているといいますし、市民の方々にアンケート調査をしたところ、「塩竈」を使うことに不便を感じていないと答えた方が54.8%いたというわりには、市名を変更した方がよいと答えた方が66.6%に及んでいたとは、なんとなく捩れを感じるような。歴史は大事にしたいけれど、やっぱり書きやすい方がいいてなところなのかもしれませんですね。

 

そんなことから、市民の方々も塩釜、塩竈、鹽竈の混在を当たり前のことと受け容れているのかもですが、長いマクラはこのあたりにして、この日は朝いちばんで鹽竈神社を目指したのでありましたよ。取り敢えず、前日に美術館や浦霞 酒ギャラリーを覗く際に通った道をまっすぐに辿ります。といいますのも、本塩釜駅から鹽竈神社に向かうにあたり、今ではより広い道が伸びていますが、前の日に通った道の方が「かつて長い参道だったんではないかいね?」とも思えたもので。

 

沿道には歴史ある酒蔵(浦霞のことです)があったり、はたまたかような風情の町家が残るということはただの裏道では無くして、それなりに(神社参詣の)ひと通りが多くあったろうと偲ばせてくれるわけでして。

 

 

元はゑびす屋旅館だったという建物を今では「まちかど博物館」&カフェとして再利用しているそうですが、あいにくと土日の午後しかオープンしないようで覗けずじまい。明治初期には珍しい木造三階建ての2階、3階部分が開放されて、内装を見るのはもちろん、塩釜の歴史にまつわる展示を見られたということだったのですが、ちと残念。

 

ところで、このまちかど博物館の丁度お向かい、前日訪ねた美術館への曲がり角にあたりますので、当然にそのときから気付いてはいたのですが、御釜神社というお社があるのですなあ。塩竈市観光物産協会HPでは、このように紹介されておりますよ。

御釜神社は、製塩法を伝えたとされる鹽土老翁神(しおつちおぢのかみ)を祀る鹽竈神社の末社です。 境内には直径約180cmもの大鉄釜(神竈)が4つ、ひっそりと安置されております。この鉄釜こそ平安の昔、土釜に代わる新兵器として古代製塩「藻塩焼」に使われたもので、塩竈の名前の由来になったものとされています。… また、吉凶がある時は竈の水の色が変わると言われており、「日本三奇」の一つに数えられています。

 

社務所に申し出れば神竈を拝観できるということでしたが、何せ朝早くに歩き廻っておったものですから、神社の方に申し出るのも憚られた次第。ですので、神竈は扉の向こうで鎮まっておられたことでしょう。

 

 

と、神竈にご対面は叶わなかったわけながら、ご神体の神竈は要するに「大鉄釜」であるのだ…ということが、先の説明にあったことに、ふと「?!」と。表記の文字遣いにかなりこだわりありそうな塩竈市の方の説明では、「竈」と「釜」は字義が違っているから云々とあっただけに、結局のところ塩を炊きだすには竈も釜も必要なれば、もはやあまりこだわってもと思えてきたりしたものでありましたよ。

 

そんな思い巡らしをしつつ、かつての参道と思しき道筋を辿って、いよいよもって東北鎮護の鹽竈神社に到着いたしました。神社に向かう参道はいくつかあるようですけれど、昨年出向いた伏見稲荷大社石清水八幡宮のときと同様に堂々表参道とされるところからアプローチすることにしましたので、この先に202段の石段登りが控えています。山寺の1015段に比べればものの数ではないと高を括って臨んだところが果たして…というあたりを次回のお話にしてまいりたいと考えておる次第でございます。