ちょいと前に知り合いから、「私も(定年前に)退職しました」とはがきをもらったのですなあ。いくつか年下なので、ちょうど自分が退職した年齢ぐらいに追いついたところで辞めた感じでしょうけれど、退職して早速に「古本屋を始めました」と。
「へえ~」と思いつつも、図書館司書の資格ホルダーだけに「なるほどねえ」とも。ただ、つい先ごろ読んでいた鹿島茂の『パリの本屋さん』に書かれてあったことを思い出して、悠々自適の古本屋のおやっさんならともかく、本気で商売していくなら大変だろうなと想像したものでありますよ。
数年前、…本を書くために改めて(パリの)パサージュを集中的に歩いたが、そのとき少し感動したのは、パサージュの中の古書店がいまも健在で、細々とではあるが営業を続けているという事実だった。…インターネットの普及で店舗をもっている店の経営が難しくなっていると聞いたが、パサージュの古書店はそれぞれに工夫してなんとか持ちこたえているようである。
これに続けて、パリのパサージュに生き残る古書店が時代の流れに乗った工夫をしているようすを綴る一方で、「昔ながらの「不愛想」な営業方針を貫いている店もある」ことも紹介しておりましたよ。
今のご時世、古本屋といえば「ブッ〇オフ」を思い浮かべる人(取り分け若い世代に?)が多いのではと思ったりしますけれど、かつて古本屋はそういうところではなかったですよねえ。狭い間口の店舗に天井まで届く本棚が並び、通路は人が一人通れるくらい。奥の方には未整理と思しき古本が積んであって、その向こうに店主がいるのだかいないのか、気配が消えている状態。そして、古本屋独特のにおいが漂っているばかり…といったふうな。
おそらくはパリの、ほどではないにせよ、決して愛想がよろしいようでない店主は、一見さんお断りではないものの、余計な会話を交わすでもないわけですが、一方で店主ならではのこだわりの品揃えに敬意を抱くような客(というか、同好の士)に対しては、少々ずり下がったメガネの奥で小さな瞳を瞬時輝かすといったことも浮かんでくるわけです。パリの不愛想店が生き残るのは「この店なら、この店主なら(不愛想を補って余りある)」という感覚が残っているのかもですね。
古本を単に新刊のおさがりとして安く手に入れることをのみ目的とした場合、ブッ〇オフは都合のいい店になりますし、またインターネットの古本通販がある現在、ピンポイントで探している本の宛てを付けるのに店へ出かけていくまでもなくなっていることは、これまた好都合でありましょう。結果、店舗販売する町の古本屋(まあ、新刊書店もそうですが)が存続が危ぶまれる状態になってもいようかと。なにしろ、日本ではおそらくパリほどの不愛想許容度は無いでしょうし。
そんな中で、敢えて古本屋を開業と聞いたものですから、こりゃあ、近いうちに覗きに行ってみんといけんね!と思ったいたのありますよ。そして、ようやっと出かけてみたという次第です。
店があったのは、いわゆる谷根千(谷中根津千駄木)の片隅。もともと店主は23区住まいとはいえ、およそ住まうエリアとはかけ離れた場所だっただけに、「なぜここに?」と問うてみれば、どうやら谷根千界隈には古本屋が点在しているのだとか。全く知らなかったですが、知っている人は知っている、当の店主も開業以前、自らのための本漁りでちょくちょく歩き廻っていたエリアだったそうなのですなあ。むしろ、土地勘ありということで。
それにしても、商売という点では近隣に唯一無二だからこそ開店すると言う形もありましょうけれど、東京・神田の古書店街を思えば、同業者が同じ地域に集まっているケースもあるのは、相乗効果狙いということになりましょうか。何しろ、新刊書店とは異なって古書店の場合、その品揃えには店ごとに個性が濃厚に反映されているわけで、端から渡り歩いてもらう(その中のひとつになる)ことが目指すべきポイントなのかも。
ということでこちらのお店の品揃えも、予て趣味嗜好の話を聴いていて「なるほど」と思うものもあれば、「こんな方面の関心もあったのであるか…」となことも。なにしろ、店に並ぶ在庫の元は店主自らの個人蔵書でもあったということですのでね。
ですが、言ってみれば本のコレクター的なところもあった店主が、それを売ってしまう(つまりは手元から無くなってしまう)ことにもどかしさは無いのか?とも問うてしまいました。なかなか悩ましいところではあるようですが、「そこはそれ、商売!」てなことでもないようで。平日の昼間は結構開店休業状態らしい店の中でつらつら話をしながら、巡らしたのは「ああ、この人は図書館の人だったんだっけ」ということでありましたよ。
図書館の人というのは、自らが本好きというのはもとより、来館者の知識を広げる手助けする意識がありましょうね。昨今の活字離れといった風潮にあってはなおのことかと。で、分類番号に従ってきちんと蔵書管理がなされている(ピンポイントで探している本がある場合にたどり着きやすい)一方で、あれやこれやの観点から関連本を集めた書棚を設定し、来館者の興味喚起をするのもまた仕事であったろうと。自分が棚を任せられれば、こんなふうにしたい、あんなふうにしたいという思いがぐるぐる巡っていたかもしれません。
それが自分の古書店では全ての棚作りが自由にできますし、そうした中に並ぶ本の一冊が目に留まって買い求められるとすれば、それこそ司書冥利に尽きるということになるのかも…と、そんなふうに思ったものでありますよ。コレクターとして自分が持ち続けるだけでは、言葉は悪いですが「死蔵」状態になる本に新たな使命が課されることでもあって。
想像にはなりますけれど、そんな気概でもって店を構えたとなれば、定年後に古本屋のおっさんとしてのんびり…という見た目の現実?とは異なって、実に前向きな人生の過ごし方ではありませんか。些かうらやましくも、またまぶしくも見えたものでありましたよ。先には、パリの古本屋のことでは商売として成り立つのかどうか、存続にはあの手この手を使って…みたいな方面でばかり考えておりましたですが、どうやらお仲間からは「Xを使った発信はかかせない」と勧められても「どうにも好きになれない」と手をつけない店主のありよう、儲けるのとは目指すところが異なっておるようすに「また寄るよ」と言って別れたのでありましたよ。