京街道枚方宿の旧道をゆらりとしておりましたが、途中でちと脇道へ。手元にあった「淀川河川公園枚方地区 歴史散策MAP」によりますと、枚方宿本陣跡の背後の山に「御茶屋御殿跡展望広場」というのがあるようですのでね。
「淀川の広がりから向こうに北摂山系が見渡せる絶景スポット」とまで言われますと、そも淀川巡りの旅でもありますので、どれどれということになるわけでして。ですが、展望のきく高台を目指すとなれば、当然に登り坂に遭遇することに。
まあ、山坂の登り下りは何度もやってますから、さほどのこともないわけながら、この時はキャリーケースを(故あって枚方市駅のコインロッカーに預けるでなしに)ごろごろと引いて歩いていたという状況。これにはいささか難儀させられました…。
5月にしてはすでに暑さがこたえる日(といっても8月の今を考えれば、まだましだったでしょうけれど)でして、ひいこら言いながらキャリーケースを引っぱり上げ(坂道ならいざ知らず石段の道なのですよねえ)、なんとかたどり着いたのでありましたよ。
そこでは我が世の春とばかりに草木が生い茂って、本当に眺望が得られるのであるか…といぶかったものですが、万年寺山とも言われるこの場所、解説板によればその風光明媚は昔から知られていたようで。
言い伝えによると、推古天皇(592~628)の時代、高麗(高句麗)の僧恵灌が、この地の風景の勝れているのを愛で、眺めが唐の林岸江に似ているとして、草庵を営んだのが万年寺のはじまりです。
で、現代の眺めや如何?となるわけですが、千数百年の時を経た姿はこんな感じでありますよ。
「おお、淀川!」と思うのは、ただ偏に淀川に関心を寄せる者なればこそでしょうけどね。ところで、恵灌和尚が開いた万年寺は長く明治まで続くも、神仏分離によって廃され、神社にとってかわられることになったそうな。それが広場のすぐお隣にある意賀美神社(おかみじんじゃ)とか。「水をたてまつる高龗神(たかおかみのかみ)を主祭神とし、淀川の鎮守として創建された」と聞けば、ひと言ご挨拶を!と思うも、また登るのであるかぁとも。
ともあれ、明治の神仏分離を機としてここに鎮座することになったということからして、由緒のほどはさほど長くない?と思えば、これが大はずれ。神話時代の話ともなれば、どこまで信憑性があるのか…ですけれど、取り敢えず相当に長い歴史を抱えておるようですなあ。「大阪公式観光情報 OSAKA-INFO」によれば、このような。
創建年代は不詳ですが、延喜式内の古社です。元伊加賀宮山の地にあり、産土神として、又淀川の鎮守として御神威高く、古来航行の船人達が通航の安全と水害排除祈願のために創建し、開化帝の御代に伊香色男命、伊香色女命の邸内に高龗神(たかおかみのおおかみ)を奉祀したと伝えられています。
てな具合に由緒あるこの高台、そも現代に「御茶屋御殿展望広場」と言われる「御茶屋御殿」とは豊臣秀吉ゆかりであると。淀川を見下ろす眺めを楽しみながら茶会でも開いていたのでしょうなあ。その遥か昔、万年寺が開かれるよりもさらに昔、この地には古墳が築かれたということで。今となっては墳形も詳らかでないようですが、発掘によって三角縁神獣鏡などが発見されているそうですから、やはりその時代にもそれなりの由緒ある一族の墓所とされたのでしょう。古墳が見晴らしのいいところに造られるのはよくあることでしね。
そんなことで、いざ淀川の流れを目の当たりにしたからには、川べりに行ってみるということになりますな(元々そのつもりですけれどね)。ですので、お次は三川合流し晴れて?淀川となった流れを間近に眺めに行くことに。そこにはまたひとつ、目的としている資料館があるものですから。